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 その日、広務は瑛太と桜並木を歩いていた。三月も終わり近くなり、花弁がはらはらと頭上に散る。 「並んで歩くの久しぶりだなあ。……瑛太、背伸びた?」  広務は、隣を歩く瑛太の頭頂部を見つめた。 「あー。ていうかとっくに親父よりでけえし」 「まじかー」  瑛太はこの春、高校に進学する。  中学の三年間で、ぐんぐん背が伸びてるなあ、とは感じていたものの、すでに広務の背を追い越していたとは。子供の成長とは早いものだ。 「てかさ、葛岡くんのお父さん超若い~、って言われちゃったね」  今日は中学で行われる離任式のために、広務はわざわざ有休を取ったのだ。  保護者である広務が出席する経緯にいたった理由は、三年目の保護者会で『当たりくじ』を引いてしまったからだった。何のくじ引きかというと、保護者の大多数が恐れている『役員決め』のくじ引きだ。  片親かつ正社員ということで、あまり出番のないクラス理事の役目を請け負う事となった。今回は瑛太の担任が他校へ異動することになり、花束を渡すことになったのだ。  別に広務がわざわざ行かなくても、もう一人いるクラス理事だけが出席すればよかったのだけれど、広務はあえて有休を使った。  瑛太は現在思春期の真っ只中にいて、広務にかまわれるのを鬱陶しがる。もちろん一緒に出かけることも少なくなり、故に広務の有休はたまりにたまっていたのだ。  たまには大事な息子のために、休ませてもらってもバチは当たらないだろう。  それに今日は離任式のあと、瑛太とお祝いの外食に行く予定になっている。瑛太が店を選び、すでに予約済だった。  瑛太のクラスの女子達に「若い」「かっこいい」など褒められ、広務はまんざらでもない気分で歩いた。  長らく恋人のいない寂しい独り身ではあるけれど、男としての色気は失いたくないと思っている。  褒められるのはもっぱら保護者会や学校の行事などで、「葛岡くんのお父さん若くてすてき」程度の色恋とはほど遠いものだけど、今の広務はそれでじゅうぶん満足していた。  ただ息子の瑛太がそれを白けた目で見てくるのがつらい。「いつまでも若いつもりでいるの、まじヤバいよ」などと苦言を呈されると、まじヘコむ。  そんなつれない息子からの誘いに、今日の広務は浮き足立っていた。  瑛太が予約を入れたのは、広務の会社近くの、個室があるちょっと値の張るレストランだった。ランチタイムはもっと気軽に入店できる美味い店として、広務もよく訪れる。  しかし瑛太が、こんなオフィス街の外れにある店を知っていたのには驚いた。たまたまネットでみつけたそうだ。  入店すると瑛太は一人前に、「予約の葛岡です」とスタッフに告げた。  その様子を見た広務は、内心いたく感動した。あの馬鹿なことばっかりやるお調子者だった子が、いつの間にか青年らしくなっている。 「瑛太、大人っぽいなあ」  思わず褒めると、瑛太は呆れた顔で広務を見た。そういうつれない態度もまた成長の証だ。  広務達は個室に案内された。白いテーブルクロスのかかった四人掛けのテーブル席だ。  スタッフに椅子を引かれ、広務は礼を述べつつ腰かけた。  今夜はコース料理を予約している。テーブルにはカトラリーが三人分用意されていた。 「もう一人遅れて来るんで、来たら料理出してもらえますか?」  瑛太が言うと、スタッフは「わかりました」と柔く微笑み、部屋の外へ立ち去った。 「もう一人って、お母さん?」  瑛太を引き取ってから、元妻である香子ともよい関係を築いている。頻繁に瑛太の様子を知らせているし、瑛太について相談できる一番の相手だ。  香子はとっくに復職していて、彼女がこちらに出張の際には、三人で外食することもあるのだ。 「あー、まあ……」  瑛太の返事はいつもこんな感じだ。自分の興味のないことにはリアクションも特にないし、よほど困った時だけしか頼ってこない。 「ふうん?」  広務もそんな瑛太の反応を特に気にしない。口数は少なくとも、だいたい通じるからだ。それが親子ってものだろう。 「お連れ様がお着きになりました」  控えめなノックの後、個室のドアが開かれた。固い床に足音がコツンと響く。 「こんばんは」  突然瑛太が立ち上がり、頭を下げた。珍しく見る礼儀正しさに、広務は目を瞠った。  背後にある部屋の入り口を振り返り、広務は更に驚いた。 「今晩は誘っていただいて、ありがとうございます」 「……椎名」  今夜の晩餐の招待客、それはかつて広務が本気の恋をした、その人だった。 「どうぞ、座れば……?」  瑛太はもう一つの席を視線で示した。店員が椅子を引き、椎名は礼を述べ腰を下ろす。 「どうして……?」  三年前の春以来、椎名とはまともに口すらきいていない。会社ですれ違えば会釈はするが、それ以上の接触はしない。  それは広務も椎名も、瑛太の気持ちを第一に優先してのことだった。  隠れてつきあおうと思えばそれも可能だったが、息子に対してそんな『ズル』をしようとは思えなかった。

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