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再び店のスタッフが入室し、テーブルに前菜の皿が置かれた。
この店は創作フレンチで人気のレストランだ。気取らず食べられるフレンチをモットーとしているため、銀のカトラリーと共に箸も用意されていた。
瑛太はフォークではなく箸を持ち、野菜を頬張った。広務も戸惑いつつ、それに倣う。
「あのさあ」
瑛太は前菜をつまみつつ、口を開いた。
いつもの食卓、いつもの口調。ただひとつ違うのは、椎名がいることだった。
「今日、俺が椎名を呼んだのはさ……ちょっと聞いてもらい事があって……」
広務は箸を持つ手を休め、瑛太と椎名を交互に見た。
椎名も広務に顔を向け、少し笑む。三年前より精悍になって、男の色気が増している。広務の胸は、ドキッと高鳴った。
「椎名、俺、理系のそこそこ頭いい高校に受かったんだ」
瑛太は椎名に高校名を告げた。
小学生の頃はお調子者で勉強嫌いの瑛太だったが、六年生の夏、関西の大学で行われた小学生向けのロボット教室に参加して変わった。
将来はロボットを開発する人になりたいと、理系の勉強だけは熱心にやるようになったのだ。
逆に暗記中心の歴史や地理はてんでダメだったが、高校は理系の有名大学への進学率が高いところにすべり込むことができた。
今日はそのお祝いなのだ。
椎名は純粋に「すごい」と瑛太を褒めたたえた。
瑛太は年相応に嬉しかったらしく、ちょっとはにかんだ。
「それで俺、大学は関西の学校に行こうって思うんだ。小学生の夏休みに、ロボット教室で行ったとこ」
「へえ……」
それは広務も初耳だった。
関東にも有名な理工学系の大学は多くある。きっと瑛太はその中のひとつに進学すると思っていたのだ。
「俺、浪人してでも絶対その学校行くつもりなんだ。もう母ちゃんにもじーさんばーさんにも言ってあって、受かったら居候させてもらえることになってる」
自分の知らない間にそこまで話が進んでいたとは。広務は言葉が出なかった。
進路のことは一番に自分に相談してほしかったし、一番に相談してくれると思っていた。
しかし瑛太の決心は揺るがないようだ。もう親に相談などしなくても、立派に自分のことは決められる年になったのだろう。
広務は、いつまでも子離れできない自分を恥じた。
「もう決めたんだ?」
「うん……、ごめん……」
瑛太は急にしんみりとテーブルをみつめた。
「何で謝ることがある?中学生でもう将来の夢が決まっているなんて、すごいことだよ。父さん、瑛太はすごいと思う……親バカかもしれないけれど」
最後の方は椎名を見て言った。椎名は緩く首を横に振った。
「いや、広務さんの言う通りだよ。自分で自分のやりたいことをみつけられるなんて、素晴らしいことだと思うな」
しかしどれだけ褒めても、瑛太の浮かない顔は晴れない。
「あのさあ、俺が親父のとこに来た理由……覚えてる?」
「え?ああ……、うん。すごく嬉しかったから忘れるわけないよ」
父親をひとりぼっちにしたくない、瑛太はその気持ちで広務と暮らし始めた。瑛太のおかげで、毎日寂しさを感じる暇もない。
「椎名、さん……」
「えっ?あ、はい」
瑛太はあらたまって椎名に向き合った。椎名の背筋がのびた。
「まだ、……うちの父親のこと好きですか?」
瑛太は真摯な瞳を椎名に向ける。
広務はそれを黙って見守った。瑛太の真剣な表情は、口出しするなとものがたっている。
「それは……」
椎名は瑛太の顔から広務へと、視線を移動させた。
広務は内心覚悟した。三年も離れていたのだ。とっくに恋人の一人や二人いるのだろう。
すでに広務は、なぜ瑛太が今夜椎名を呼んだのか、その理由に薄々気がつき始めている。
椎名は親子の事情に巻き込まれたのだ。
「瑛太、椎名を困らせるんじゃない」
広務が瑛太をたしなめた時だった。
「好きです」
「え」
「ごめん瑛太くん。まだ君のお父さんが好きだ!三年経っても、気が狂いそうなほどに好きなままなんだ……」
椎名は瑛太に向かって頭を下げた。
まだ高校にも入学していない子供相手に、椎名はその恋情の強さを率直に述べたのだ。
「椎名、頭上げてよ。ていうかまじで良かった……。まだ椎名が父ちゃんのこと、好きでいてくれて」
久々に聞く「父ちゃん」という呼び方。
初めてそう呼ばれた時は、もう少しましな呼び方はないものかと思ったけれど、今ではひたすらに愛おしい。
「父ちゃん、まじごめんな。俺のわがままで椎名と別れさせたこと……。もうひとつ、父ちゃんが寂しくないように一緒に暮らすって約束したのに、俺、父ちゃんをひとり置いて、自分の好きな道に進もうとしてる──本当にごめんなさい……」
瑛太の声は震えていた。泣くのを必死に我慢しているのだ。
しかし瑛太より先に、広務の頬を涙が伝った。
「馬鹿!なんで謝ることがあるんだよ……!俺は、俺はすごく嬉しいよ!瑛太が立派に自分の将来に向かっていること、瑛太の父親でいさせてくれること……、全部、全部、心から嬉しいんだよ」
「てか……泣くなし……!」
「瑛太もだろ」
広務は瑛太を泣き笑いの顔で見た。瑛太も同じような顔で広務を見ている。
ああ、親子なんだなあ、と感じた。
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