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「椎名さん。今さらで、ほんと図々しいと思うんだけど──」 「ちょっと待って、瑛太。……自分で言うよ」  椎名に向き直った瑛太を、広務は横から遮った。  瑛太が広務にチャンスを作ってくれたのだ。自分の言葉で、自分の気持ちを伝えよう。 「椎名……、今さらだけど、椎名のことが好きです」  広務は初めて気持ちを言葉にした。ずっと口にするのを躊躇っていたが、椎名と別れて、せめて自分の気持ちを伝えておくべきだったと、ずっと後悔していた。  それが、唯一の後悔だったのだ。 「もしよかったら、おつきあいしてもらえますか」  こんな恥ずかしいことは初めてだ。好きな人に気持ちを伝えることの不安と羞恥を、広務は初めて全身で受け止めた。  いつも椎名の気持ちに対して、妙にごまかしていたことを、今さらながら申し訳なく思う。 「椎名、俺からもお願い。もし父ちゃんのこと、まだ好きなら──俺、椎名に父ちゃんといてほしい。いつか俺がいなくなっても、父ちゃんが寂しくないように」  広務の隣で瑛太は頭を下げた。 「親子してすげー重くて、まじごめん……」  椎名にとっては、いかにも断りづらい状況だと思われた。  自分は案外恋愛に対して、ひどく不器用なんだなあ、と思う。こんな不格好な告白、しかも子連れ告白なんて、前代未聞だ。 「あの!二人とも頭を上げてください……。それと、こちらこそ──広務さんとまた恋人になるチャンスをくれて、ありがとう。瑛太くん」  広務はゆっくりと頭を上げた。  瑛太も肩の力を抜くように、息を吐いたのが伝わった。  椎名の顔を見ると、今の返事が義理ではないことがわかる。三年前と同じ、愛しい者を見る瞳が、広務に向けられていた。 「よかったな、父ちゃん」  瑛太が笑って広務を振り返った。広務もそれに笑顔で応える。 「ていうか、父親の告白を見せられた俺の気持ち、めっちゃ複雑なんですけど」  気持ちが緩んだのか、瑛太はさっそく憎まれ口をたたいた。 「俺だって息子の前で告白するとか、まじで気まずいし」  温くなりつつあるスープに口をつけ、広務もそれに応酬した。  椎名はそんな広務達を、懐かしげに見ている。 「俺、諦めないでよかったです。ずっと広務さんのこと、想っていました。広務さんと瑛太くんが幸せに暮らしてくれれば、それだけでよかった……」 「椎名……」 「椎名……」  意図せず重なった広務と瑛太の声を聞き、椎名は「やっぱりそっくりですね」と笑った。  久々の楽しい晩餐だった。  こんないい店に三人で来たことはなかったけれど、広務のマンションで囲んだ食卓を思い出す。  瑛太がいて、椎名がいて、三人で食べる夕食は、家族の幸せを広務に与えてくれたのだった。  再びそんなふうに食卓を囲めることに感謝した。 「そういえば椎名、俺が中学上がるときにくれたボールペン、あれで願書書いたよ。すごく書きやすかった」  瑛太はバッグからペンケースを取り出し、椎名に見せた。  瑛太が子供には不相応な、高級なボールペンを持っていることを、実は広務は把握していた。海外の有名な文具デザイナーがデザインしたボールペンは、シリアルナンバーつきでロクカクが発売したものだった。 「まだ持っててくれたんだ」 「当たり前じゃん。ただ、使う機会はなかなかなくて……、さすがにこれで落書きなんかはできないし。だから高校の願書を書く時、初めて使ったんだ」  もしかしたら椎名は、こうなることを予期していたのかもしれない。  広務はふと、そう感じた。  自分の想いとは関係なく、こんなふうに離れてしまう可能性を、椎名は常に考えていたのではないか。  中学生に分不相応の一本数万円もするボールペンをプレゼントしたのもそう。  普段使いしなくても、瑛太の机の片隅にでも置いてもらえればいいと思ってのことだったのではないか。  そのペンを見たときに、瑛太が椎名を思い出せるように。何か困ったことがあった時、椎名に頼るという選択肢を思い浮かべることができるように──。  考えすぎかもしれないが、椎名だったらそれくらい先を見通してのことをやってみせるのではないかと思うのだ。  そして広務も、未だに革のスケジュール帳を手放せずにいた。  毎年中身を交換して、もう三年使い続けている。革は広務の手に馴染み、使えば使うほど手放しがたいものになった。  そしてそれを手にする時、広務はいつも椎名を思い出した。  大切な思い出が詰まったその手帳は、常に鞄の中にある。 「あのさ、二人がつきあうのは全然大歓迎なんだけど、俺の前でいちゃつくのだけは、まじで無理」  無意識に椎名と見つめ合っていると、瑛太があきれたように苦言する。確かに自分の親が色気づいている場面なんて、広務だって見たくもない。  ごめん、と謝ると、瑛太に三つ約束させられた。 「俺の前ではいちゃつかないこと。二人で会ったりするのに、俺に遠慮はしないこと。あとひとつは──」 「うん?何?」  なんとも可愛い約束事に、広務はほのぼのとした気持ちになった。  しかし瑛太は、椎名を見つめる瞳に力を込めた。まるで怒っているかのような、真摯なまなざしだ。 「うちの父ちゃんさ、本当はすんげーさみしがりだから──椎名、父ちゃんのこと、絶対寂しくさせないって約束してほしい」 「約束する。広務さんが寂しい思いをしないよう、傍にいるって約束する」  椎名は真正面から瑛太を見据え、誓った。  泣くまいと、広務は喉に力を込める。油断すると涙のかたまりが、胸の奥からこみ上げてきそうだ。 「ほらまた泣く」  広務の目尻に滲む涙を見て、瑛太は片方の口角を上げた。 「仕方ないじゃん……。年取ると涙もろくなるんだって……」 「いや、広務さんは若いですよ。高校生の息子がいるパパには見えないくらい、すてきです」 「だから俺の前でそういうの、まじやめて」  これからもこうやって三人で過ごす日があると思えば、自分の人生もまんざらではないのだろう。  瑛太が生まれてきてくれたことに感謝した。息子が瑛太であることが嬉しくて、大切で、最大級の喜びだ。 「それでさ、俺、今日皐月んちでイツメンと打ち上げお泊まり会だから」  先ほどから瑛太のスマホは、メッセージの着信を何度も知らせていた。多分地元の中学の友達からだ。 「え、今日いないの?」  せっかくのお祝いムードなのに、瑛太がいないとつまらないし、寂しい。広務は不満を隠さず、残念がった。 「うんー、まあ……。だから飯食ったら、タクシー呼んでくれない?もうみんな集まってるし」 「じゃあ、俺も一緒にタクシーで帰る」  いよいよ子離れしなければ、と広務は寂しく思う。高校生にもなればもっと親子の時間は減っていくだろう。いつまでも可愛い可愛いで、ベタベタできないことに内心溜息を吐いた。 「いや、親父は帰らなくていいじゃん……?」  瑛太はスマホをいじりながら、画面をみつめたまま言う。  広務は首を傾げた。そんなに親子で行動するのがわずらわしいのだろうか。 タクシーくらい同乗してくれてもいいじゃないか。 「ていうかさ!まじで鈍いなあ!せっかくだから椎名とどっか泊まっていいよ、って言ってんの!」 「えっ……!」  瑛太の顔は茹で蛸のの如く、みるみる赤くなった。  泊まれば、ってつまり『そういうこと』だろう。広務の頬も、瑛太に負けないくらい熱を持った。 「そういうことだから!あー……、ちょっと想像しちゃったじゃん、……きもっ」  最終的にはいつもの憎まれ口が飛び出したが、瑛太なりの最大限のお膳立てだと思われた。  息子にそこまで気を使ってもらって、広務は恥ずかしいやら申し訳ないやらだ。  椎名だけは平常な顔をして、面白そうに親子のやり取りを見つめていた。

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