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熱い人達
周りを見渡す。派手な音を立ててしまったようで、注目が集まっていた。
「はい、これで全てですね。どうぞ。」
その男性がニッコリとした顔で、拾った資料をまとめて渡してくれた。
「すいません、本当にありがとうございます。失礼します。」
体の方向を無理やり男性から逸らし、資料の配布を再開した。そうでもしないと、その男性の前を離れることがとてもできない、そんな予感がした。
「佐倉さん、大丈夫ですか?半分手伝います。」
亜樹さんは、既に自分が持っていた資料を配布し終わっていたようだ。
「すいませんでした、やっぱり緊張しているみたいですね。」
「さっき課長も言っていましたが、緊張することは悪いことではありません。それよりもここからどうカバーしていくかが大事だと思いますよ。」
その言葉で、大分感覚が正常に戻ってきた。あまりに衝撃だったのか、自分の手が少し痺れているような感覚になっていることに気づいた。一体何だったのだろう、不思議な、それでいて暖かいような感覚に一瞬にして包まれていたように思う。亜樹さんの言うとおりだ。失敗してしまったが、ここからのカバーが大切だ。
体全体がまだ軽く痺れているような感覚が残っているものの、資料の配布を再開し、会議の開始時刻直前にはなってしまったものの無事準備を終えることが出来た。少し離れた位置に座っていた課長が、笑いをこらえているのが横目にチラッと移ったが無視しておこう。
「みなさま本日はお忙しい中、千台市の冬を彩るイルミネーションイベントの会議にお越しくださいまして、ありがとうございます。司会進行を務めます千台市役所商工観光課の鈴木と申します。」
亜樹さんの涼やかな声と共に会議が始まった。まばらな拍手が聞こえてくる。こういうときの亜樹さんには見蕩れてしまうものがある。
「それでは始めに、商工観光課長の菊池よりご挨拶申し上げます。」
一瞬、菊池と聞いて誰だそれと思ってしまった。普段から課長のことは課長と呼んでいるし、周りのみんなも課長と呼んでいたので、すっかり忘れていた。課長の名前は、菊池裕二(きくち ゆうじ)だったはず。
「商工観光課長をしております、菊池と申します。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。本イベントは千台市の寒い冬に温もりをもたらしてくれる、地域のつながりという意味でも、観光客の誘致といった観点からもとても大事なイベントになります。本日ここにお集まりいただいた皆様のお力添えをいただきまして、イベント成功を目指していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。昨年のイベントでは、……」
課長が昨年のイベントの経済効果やアンケートの結果を一部を参照して、今年の目標などを話し始めた。このイルミネーションイベントは始まって既に十年が経過している。今年は節目の十年目、何か一ついつもとは違った大きなメインイベントを企画したいといった趣旨の説明がされた。
「……といった観光客のニーズがあることが、アンケートの結果からわかっています。本イベントはイルミネーションという性質上、街のメイン通りの青風通り全体に渡ってイルミネーションを施します。観光客の回遊性を高めるという点では、非常に有効であることがこの十年の成果として判明しています。しかしアンケートの一部には、様々なイベントがイルミネーションが実施されている範囲全体に点在していて、大勢の参加者が一同に介するようなイベントがあってもいいのではないかという意見が多くありました。十年目という節目ですので、新しい試み、すなわち何か本イベントのメインとなるキラーコンテツを企画できればと思っています。すいません、少し長くなってしまいました。詳しくは後ほど、議論させていただければと思います。本日はみなさま、千台市のため忌憚なく意見を出して頂き、ともにイベントをより良いものにしていきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。」
課長が挨拶を終えると、会場から大きな拍手が沸き起こった。課長の熱意が伝わったのだろう。私にも伝わった。普段はふにゃふにゃしてそうな上司ではあるが、そのふにゃふにゃの中心に一本真っ直ぐに芯が通っている人だなと改めて感じた。会議開始前、どこか別の方向を向いていたような参加者たちも、目に光が宿ったように見える。課長が自分の席に戻るときに、一瞬目が合った。軽くドヤ顔をされた。
(はいはい、わかりました。凄いですよ。)
心の中でつぶやく。決して直接は言ってやるもんかと決意した。
「ありがとうございました。続きまして、本イベントの実行委員会、委員長の柏木様よりご挨拶いただきます。柏木様、どうぞよろしくお願いいたします。」
呼ばれた柏木委員長が立ち上がる。おそらく40代後半ぐらいの男性で、外見は一言で言うならダンディーという言葉が最も似合うだろう。高級そうなスーツをビシッと着こなし、歩く姿にも大人の余裕が感じられる。
「ご紹介にあずかりました、実行委員会の委員長を務めさせていただいている柏木です。みなさま、どうぞよろしくお願いします。この会場の手配や会議のスケジュール調整をしてくださいました千台市役所商工観光課の皆様には改めてお礼申し上げます。実はこの挨拶のために原稿を用意してきたのですが、……」
そう言うと柏木委員長は、原稿を胸ポケットから取り出した。
「課長の先程の熱い挨拶に胸を打たれてしまいまして、今思っていることを話したくなってしまいました。この原稿は来年に取っておきたいと思います。」
会場から笑いが漏れる。会場の空気が一気に引き込まれるのを感じる。確か柏木委員長は千台市内では有数の実業家で、幅広く活動していると聞く。人を引きつけるカリスマ性を感じた。
「このイルミネーションイベントは、五年前に亡くなった私の実業家としての偉大な恩師であった進藤氏が始めたものです。進藤氏は人望の厚い人で、どこか他人行儀だったこの千台市内の街中を、みんなで盛り上げていかなければいけないという機運に変えた人です。恩師の企画したイベントの内容を変えるということには、少し躊躇いもあります。しかし進藤氏が今私の隣に居たとしたら、何をつまらないことを言ってんだアホ、やってみたいと自分が思ったんなら突っ走れ、と肩を叩かれながら言われる、そんな気がしているのです。千台市はもっと盛り上がっていくことができる、私はそう信じています。しかし、具体的にまだ何も決まっておらず、さらにイベント開始までの期間が一ヶ月半程度と、とても短い。しかしここにいる皆さんで協力すれば、達成することは可能だと確信しています。一緒に悩んで、苦労して、汗を流して頑張りましょう!」
会場は、先程の課長の挨拶のときよりもさらに大きな拍手に包まれた。どうやら会議が始まる前に、大まかな方針が決まってしまったようだ。亜樹さんの方を見ると、目が合った。次の進行に入るタイミングを掴み損なったようだ。
「そ、それでは、会議に入っていきたいと思います。会議を始める前に今日お見えになっている方々を紹介させていただきます。それぞれの詳しいご紹介は、時間の都合上省かせていただきます。私がお名前をお呼びいたしますので、呼ばれた方はご起立の上、一言いただければと思います。」
会議がようやく始まろうとしていた。
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