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レディ・キラー
時刻は午後六時半過ぎ。当初予定していた飲み会の開始時間に遅れてしまった。充分間に合う時間に立ち飲み屋を出たはずなのに、康太が軽く酔っていて、歩く速さが緩慢になってしまった。千台市の飲み屋街の一角にある「二匹目のドジョウ」という何ともよくわからない名前の居酒屋が、今日の飲み会の会場である。何かのことわざだったと思うのだが、良く思い出せない。後で覚えていたら、調べてみよう。
「いらっしゃいませ!」
店員さんの元気な声に迎えられる。
「こんばんは!」
康太が元気よく挨拶を返す。店員さんは慣れたもので、ニコニコしている。俺が店員さんの立場だったら、ドン引きして引きつった薄ら笑い顔を返しているところだ。
「土居で予約していた者ですが。」
宗一が尋ねる。
「土居様ですね。既にお一人先にご案内しております。こちらです。どうぞ。」
康太が愉快なステップを踏みながら、店員さんに着いていく。私も後に続いた。仕切りの襖を開けると、そこには一人壁に背もたれながらスマホをいじっている女性がいた。
「ちょっと遅くない?」
「悪い遅くなった。こいつのせいで。」
「そんな俺のせいだなんて!ともに語り合った仲じゃないか。」
康太が腕を組もうとしたので、思いっきり振り払う。
「康太、あんたもう酔ってんの?」
「ぜーんぜん、酔ってないよー。勝負はこれからさ。」
「勝負って何、あんたバカ?」
「このとおり、許してください早苗様!」
康太は、何の誠意もこもっていない土下座をしている。それで謝っているつもりなのだろうか。
様付でよばれたこの女性は、西城早苗(さいじょう さなえ)。私達の同期だ。新卒ストレートで入庁しているので、私より一つ歳下だ。康太は、私の三歳歳上なので早苗とは四歳差。はたから見れば、どちらが大人に見えるかと問われれば、大半が早苗を指差すだろう。
「宗一も、こいつの躾しっかりしなさいよ。」
「俺のせい?そんなのやってらんねぇよ。」
「宗一さん、躾けていただいても構いませんことよ?」
「お前は気持ち悪い言葉遣いをするな、寒気がする。」
康太がシュンとしている。いや、そんなフリをしている。
「宗一と康太だけ?あとの二人は?」
「いや特に聞いてないけど。」
そのときスマホの着信が鳴った。スマホを確認する。
「健太郎からだ。」
「何だって?」
「今出る、すぐ向かう、先始めてて、だってさ。仕事終わったばかりみたいだな。千裕からは何か連絡あった?俺には来てないけど。」
「うちにも何も来てないよ。既読はついてるから、把握はしてると思うんだけど。忙しくてスマホ見れてないのかも。」
「まあまあ、トラブルはつきもんだ!とりあえず始めてようぜ!」
康太はとにかく早く飲み始めたかったようだ。とりあえず飲み物と軽くつまみを頼むことにした。
「俺は、とりあえずビールで!」
「さっきビール飲んだからな。なんか違うのにしようかな。」
「うちはとりあえずコークハイで。」
宗一だけ決まらずメニュー表を眺める。
「宗一、はやく〜。」
無視してメニューを物色する。
「じゃあ俺はモスコミュールにしよう。」
「モスコミュールってなんだっけ?」
「たしかウォッカにジンジャーエールじゃなかったかな。それにライムが添えられてる感じ。」
「へー、後でうちにもちょっと飲ませて。」
「いいよ。」
目線で康太に、よし、と合図を送る。待ってましたと言わんばかりに、康太が店員さんを呼ぶ。
「すいませーん!」
「はい、ただいまー。」
少し離れた店員さんの声が聞こえたかと思うと、すぐに店員さんが注文を取りに来た。
「生と、モスコミュールと……なんだっけ?」
「それとコークハイを一つ、お願いします。」
早苗が付け足す。
「あと枝豆と、たこわさと、フライドポテトをお願いします。」
「おー、宗一わかってるー。」
「とりあえず以上で。」
店員さんは注文を繰り返し、戻っていった。
「あんたらどっかで飲んでたの?」
「ああ、仕事終わって少し時間があったから、駅前の立ち飲み屋で飲んでた。」
「なんでうちを誘わないわけ?」
「悪い悪い、次は誘うから。」
「入庁したときから、あんた達仲良いよね。」
「まあ確かに。」
「宗一も康太ばっかに構ってると、いつまで経っても彼女できないよ。」
「え、俺の問題?それは宗一が、ヘタレなことが問題じゃね?」
「うるさいな、放っといてくれ。それに俺はヘタレじゃねえ。」
「そうかあ?だって童貞だろう?」
「それとヘタレかどうかは、関係ないだろう。」
すると店員が飲み物だけ運んできた。全くいいタイミングだ。飲み物が各自に行き渡る。
「それじゃあ、我々同期の強い絆に!」
「強い絆って五分の三しかいないぞ。」
「そういう細かいことは知らん!では、カンパーイ!」
三人でジョッキを合わせる。カン、と甲高い良い音がした。
「はー、生き返る!」
「お前さっきもそれ言ってたぞ。」
「酒を飲んだら、毎回生き返れるんだぞ。」
「なんだよ、それ。」
そう言いつつ宗一も、モスコミュールを飲み進める。思ったよりも濃い目に作ってあるようで安心する。安い店だと薄いモスコミュールがよく出てくる。ただモスコミュールはレディ・キラーとも呼ばれ、飲みやすい割に度数が高い。お持ち帰りを狙う男たちが、そういうカクテルをレディ・キラーと呼び始めたのが語源らしい。ただ私はこの飲みやすい味がとても好きだ。
「何の話してたんだっけ?」
康太が問いかける。
「宗一が童貞って話でしょ。」
早苗が即答する。早苗は傍から見れば、とても可愛らしい見た目をしている。職場では未だに猫をかぶっているのか、職場の男どもにチヤホヤされているようだ。女性からは嫌われるタイプだろう。ただその本性を知ってしまえば、芯のあるいいヤツだとわかるのだが、それを知っている人は少ない。
「その話は終わっただろ。」
「いやいや終わらせないよ宗一君。」
「お前はキャラを定めろ。」
「でも実際今まで付き合った人とかいないの?」
早苗が聞いてくる。
「いないよ。学生時代は仲のいい女子もいたし、女の子と二人で、出かけたこともあるけど。」
「けど、付き合ったことは無いと。」
「うーん、何というか友達の範囲を出ないって感じかな。そんな感じは向こう側も持っていたと思う。現に告ったこともないけど、告られたこともないし。」
「付き合いたいとは思うわけ?」
「まあそりゃいずれは、とは思ってるけどさ。今は別にいいかな。仕事も忙しくなりそうだし。」
「ふーん、そうなんだ。」
モスコミュールを飲む。ペースはゆっくりとしなければ、と思っていたが、グラスの中は残りわずかになっていた。
「宗一、次なに頼む?」
すでにビールを空にした康太が、こちらを見つめてくる。
「じゃあ同じので。」
「了解!すいませーん!」
「あ、ここ呼び出しボタンあるじゃん。」
早苗の影になって、呼び出しボタンが隠れていた。康太が、すぐに手に取って押した。店員は料理を持ってやってきた。
「こちら枝豆とたこわさと、フライドポテトです。」
つまみがようやく届いた。
「ご注文伺います。」
「ビール一つと、モスコミュール一つで!」
「以上でよろしいでしょうか?」
「よろしいです!」
店員さんが下がっていった。
何だか今日はお酒がよく回っている気がする。ペースを落として、今日は一次会で帰ろう、そう思う宗一であった。飲み会はまだまだ始まったばかりだ。
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