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白川神社
青風通りを西に進む。青風通りの歩道はとても広い。いくら私の足がふらつこうが、車に轢かれることはないだろう。通りではときどき、ストリートマジシャンやミュージシャンが、パフォーマンスをしている。通りの所々に人だかりができている場所もあった。観客も酔っ払っているのだろうか、大きな歓声を上げている。
しかしそんな人々のことは、今の宗一の目には映らない。その目は、まだ見えない白川神社を見ていた。
(ちょっと飛ばして飲みすぎてしまったか。モスコミュールが濃かったのが原因かもしれんな。)
モスコミュールは、ウォッカをベースにしたカクテルのため、度数は結構高い。足取りは気持ち軽くなっているのだが、酔っ払っている事実は消えない。白川神社に寄らずに、さっさと帰ってしまおうかと一瞬思う。しかしこういうタイミングでもないと、行こうと思わないのも事実だ。せっかく通り道にあるのだから寄ってみないと、そう思い宗一は歩き続ける。
「あれか。」
白川神社の鳥居が見えてくる。華やかな街中と比べて、白川神社の中は仄暗くなっていた。照明のようなものは見えず、奥の方にある建物の明かりが灯っているのが唯一の人工的な光のようだ。
(静かだな。それにちょっと暗くて怖い。)
宗一は、鳥居の前に着いた。鳥居からは真っ直ぐに参道が伸びていて、奥の方は暗くて見えない。鳥居に書かれた白川神社の文字が、かろうじて読むことが出来た。
(とりあえず五円玉投げて、さっさと帰ろう。)
そのときふと思いつく。白川さんは、ここの宮司だ。ということは、奥の建物の明かりがあるところには、白川さんがいる可能性が高い。それに夜の神社でも、何か作業をしている可能性がある。こんな酔っぱらいの状態で白川さんに会ったら、失礼ではないだろうか。そんな気持ちが、宗一を躊躇わせる。会ったら困る。何を話せばいいのだろう。とりあえず、こんばんは、と挨拶だろうか。いやしかし、時刻は午後九時を回っている。こんな時間に薄暗い神社に入ってくる人間には、誰しも少しは不信感を抱くのではないか。いや、逆に酔っぱらいであることをアピールすれば、迷い込んだのだと不審に思われないのではないか。不安になる。なぜだか、不安になる。まだ鳥居の前に立っているだけだというのに。そもそも会わない可能性が最も高いだろう。遠目になら、薄暗い今なら、私だと気づかれることもないだろう。宗一は、入る理由を探し出す。
(いいや、入ってしまえ。)
迷っていても、今の酔っ払った状態では、正しい判断などわからない。ならさっさと入ってしまえ、と宗一は決心を決めた。
鳥居をくぐり、歩みを進める。五歩ほど中に進んだとき、街中の喧騒が急に遠くに感じ、しんとした静けさを感じた。薄暗いと思っていた神社の中も、月明かりに照らされているのか、先程よりも明るく感じる。この辺りはそこそこ都会のはずなのに、どこかここだけ異空間のような不思議な感覚だ。
(静かだ。初めて来たはずなんだけどな。)
歩いているうちに、既視感に襲われる。記憶にある限り、白川神社に来たことはないはずなのに。もしかしたら、ほとんど記憶が残っていないような小さなときに、親に連れられて来たことがあるのだろうか。
周りに人の気配がないか、注意しながら進む。別に何も悪いことはしていないはずなのに、静かに物音を立てないように歩みを進めた。
しばらく進むと、拝殿が見えてきた。賽銭箱がある目的地だ。立派な鳴らすための鈴があるが、これを鳴らすのは時間的にどうなんだろう。迷惑ではなかろうか。しかし、夜に訪れる参拝者は私以外にも、居なくはないだろう。気にせず鳴らすべきだろうか。
宗一は、拝殿の前に立った。迷った宗一は、鈴からぶら下がった縄を少しだけ揺らし、ギリギリ聞こえるぐらいの音量で鈴を鳴らした。財布から五円玉を取り出し賽銭箱にそっと入れる。
(二礼二拍手一礼だったよな。)
二度お辞儀をして、やさしく二回拍手をした。手を合わせて、お辞儀をする。
(神様、もし本当にいるのなら、酔いを覚ましてください。それと私が望んでいること、私にもよくわかりませんが、それも叶えてください。)
我ながら自分勝手なお願いだ。要は私の願いを察して、それを叶えてくれと言うのだから、我儘もいいところだ。
最後の一礼をしようと、目を開けたときだった。
辺り一面が真っ白だった。
明るいのだが、眩しくはない。
何もなくて、自分が今立っているのかどうかさえ、わからなくなる。
なんだこれは。
酔っ払いすぎて、ついにおかしくなったか。
あ、わかった。俺は、寝てしまったのか。
どこからが夢だったのだろう。
早く起きないと寒さで、体が大変なことになってしまう。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
一度目を閉じよう。
落ち着いて、もう一度目を開けてみよう。
宗一は目を閉じる。そして目を開ける。
目を開けるとそこには、今朝夢に見た美少年が、寝転がって私を見ていた。
「やあ、少しは落ち着いたかな?」
「あんたはたしか今朝の、……。」
目の前にいるは、今朝の夢で見た、美少年というよりも美を超越した何者かだった。
「そう、今朝の神様だよ。」
「ああ、そうだそうだ。今朝の自称神様だ。夢ならさっさと消えてくれ。俺は起きないと、多分寒さでヤバイことになりそうだ。」
「その心配はいらないよ。君の身体は、本殿の中に移しておいたから。あそこなら寒さは問題ないと思うよ。」
こいつは何を言っているのだろう。私の身体は、本殿の中にある?一体どうやって?いや、そもそも本当に私はいつ寝てしまったんだ?神社に入った記憶は確かにあるというのに。
「もしかしてまだこれが夢だと思ってる?」
「ああ、当然。」
「まあ確かに夢っていうのは、半分当たってるかもしれないね。」
「半分?」
「そう半分。僕は現世に肉体を持っていない。肉体に縛られない存在ということだけど、それは逆に物理的に僕自身が、現世に干渉できないことも意味しているんだ。」
「つまりここは、あんたの精神世界みたいなもんてことか?」
「うーん、正確に言うと肉体に縛られている君が、僕の側に来ることはできない。けど、少し眠ってもらって君の夢に、僕が干渉するくらいはできる。特にここは僕のホームグラウンドだしね。」
「眠ってもらって?」
「あ、眠っていた君の夢に干渉してるんだよ。」
こいつ今間違いなく、動揺したな。現実離れしたこの状況に慣れてきたようだ。
「わかった、多分珍しい夢でも見ているんだろう。」
「さすがは宗一、適応が早い。」
「何で私の名前を?」
「神様だからね。」
「さっきから言ってるけど、神様って何の冗談だ?」
「冗談なんて失礼だなあ。私はちゃんとした神様だよ。」
「確か十月って神無月だよな。今日から十月なんだから、神様ってやつはみんな出雲に行ってるんじゃないのか。」
「ああ、それはね、今の現世の人たちの多くが、勘違いしているんだよ。」
「勘違い?」
「そう勘違い。昔からの伝統を引き継いでいる人たちなんかは、もちろん知っているけどね。神無月っていうのは、君たちの言葉でいうと旧暦の十月のことさ。今の宗一たちの世界では、十一月上旬から十二月上旬にあたるね。」
「なるほど、じゃああんたも近いうちに出雲に向かうのか。」
「いや、僕は行かないよ。」
「行かないなんてありなのか。」
「うーん、行かないってよりは、行けないの方が正しいかな。」
「何か訳ありなのか。」
「訳ありと言われれば、そうだねえ。僕って普通の神様とは少しジャンルが違うから、他の神様連中には少し疎まれてるんだよね。」
「神様にジャンルって少しおもしろいな。けど、ここの白川神社の神様は、恋愛成就の神様って言われてたはずだけれど。恋愛成就の神様なんて、よくある神様の種類なんじゃないか?」
「あー、それもね。現世の人たちが、勘違いしてるだけだよ。そして僕が、こうやって君に干渉している理由でもある。」
「理由?理由ってなんだよ。」
少し間を開けて、自称神様は答えた。
「僕はね、男色の神様なんだ。」
真っ白な光に包まれながら、宗一の思考はフリーズした。
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