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第3話

 流れるような英語の音読。教壇に立って教材を読んでいるのは昨晩ボールペンを手渡した相手だった。  三品は留学して取得した英語教授法(TESOL)資格と飲み歩くうちに広がったコネを活かして、オンライン英会話サービスの事業を立ち上げていた。そんな経歴を買われて、秋から母校で月二回特別授業をする様になっていた。 「Toru, could you read this paragraph out loud please(ここのところを音読して下さい)?」  名前を呼ばれてはっとした。顔を上げると、三品はやわらかな微笑みで手のひらを上に向けて起立を促している。  ガタガタを音を立てて立ち上がった亨を見て三品は微笑んだ。確かに昨日の子だ。長身を持て余すように下を向いたまま音読するのがいかにも高校生らしい。昨晩の相手と同じくらいだから185センチ位だろうか。  上着のせいで筋肉質な身体が見えないのが残念だ。あの身体をじかに触れてみたいものだ。知り合いの店を手伝っていると言っていたから進路は既に決まっているのだろう。  そんなことを考えているうちに音読を終えた亨は視線を上げて三品を見た。 「Nicely done(よく出来ました)」 着席する亨と一瞬視線が絡まった。熱っぽい光を帯びている癖に何かを我慢しているのか、眉根が微かに寄せられている。子供のくせに雄の気配をさせちゃって、と三品はうっとりした。 「今のとこにもあったけど、水道の蛇口はfaucetというのが無難です。cockというと男性器と勘違いされるかもしれないので気をつけましょうね。」  板書しながら説明をするとどっと教室が湧く。  受験とは直接関係のない特別授業では時々こうやって雑談を挟む方が生徒は集中してくれる。前の職場での経験が役に立っていた。  終業のベルが鳴った後、三品は生徒たちの間をするするとぬって亨の机に向かった。 「これ、僕のじゃなかったよ。本当は八谷くんのでしょ? 返すの遅くなってごめんね。」  ボールペンと三品の顔を交互に見比べて、亨はばつが悪そうに受け取った。あからさまな嘘がばれた子供のようでかわいらしい。思わず頭を撫でたくなるけれどここは教室だから我慢我慢。  三品は視線を落とした亨に顔を近づけ、耳元にささきかけた。 「バイトのことは言わないから安心して。」  耳にかかる吐息と間近に感じた気配。鼻をくすぐる微かな香水の匂いに横を見ると、艶やかに微笑む三品がいた。視覚と嗅覚が体の奥に三品をくっきりと刻み込んでゆく。  真っ赤になって反射的に身体を竦めた亨を残し、三品は手をひらひら振りながら踵を返して教室を出ていった。  「バイトじゃないって言ってんのに……」  独り言は「三品センセー!」と呼びかける甲高い声にかき消されて耳に届くことはなかった。  職員室に戻った三品は荷物を片付けながらさっきの横顔を思い出していた。  ちょっと近づいただけであの反応、可愛かったな。高校生の癖に小料理屋なんかでバイトしてるのは何か訳があるのだろうか。純朴そうなのに、案外年上の彼女に貢いでるとか?変なのに引っかかる前に僕が何とかしなくっちゃ。  周りの英語教諭らに挨拶して立ち上がり、「お疲れ様。」という声に見送られながら教員玄関に向かう三品の足取りは軽かった。

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