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第3話

   かくしてその日はやってきた。  玄関先のゴルフバッグはまわりを綺麗に拭かれて主人の起床を待っていた。  午前3時半。彗は目覚ましを止めると、キングサイズのベッドでゆっくりとストレッチした。それからシャワーを浴び、ドリップコーヒーの香りで目を覚ます。何時に起きても変わらない習慣だ。  リビングに置いた愛用の大きなヴィ◯ンのボストンバッグを開ける。昨夜荷物を詰めておいたが再び中身をチェックする。 「ん、大丈夫だな」  最後に冷蔵庫から取り出した小さな保冷バッグを入れてバッグのジップを閉めた。  それでは行くかと、おろしたてのジャケットを着る。ワイシャツは黒だがシフォンだ。仕事よりも少しだけプライベート感を出したい。静かに主張する黒いエナメルストライプの光沢が色気を醸す。それを深いボルドーのジャケットがそっと隠し、品を与えた。  パンツは白にしたいところだが、今日は取引先の社長が相手なので控え目に黒でまとめる。  嗚呼、本当は白が履きたい! これが真田さんとのデートだったら絶対白にするのになぁ。  ノンケとデートなんてあり得ないが、彗の脳が妄想を始める。これからゴルフだというのに、頭には代官山のカフェの情景が紛れ込む。彗の好きなタルトの店だ。背のデカイ男ひとり入るのは気が引けてテイクアウトしている。それなのに、妄想の中では店内でタルトを頬張る絹。それを微笑ましく眺める白いパンツにオレンジのニットの自分。ポットの紅茶を注いであげたりなんかしてしまっている。なんというベタな妄想だ。 「そういえば真田さんてケーキとか甘いもの食べられるのかな……って……ハッ、いかん」  妄想はあっという間に時間を食う。ボストンバッグを持って玄関へ急ぐ。  玄関先で最後の選択肢を迫られた。車のキーがズラリとケースに並んでいる。  彗の自家用車は、メルセデス、ランボルギーニ、プジョー、ボルボ、エルグランドの五台。次の自分へのご褒美はフェラーリと決めている。赤のバタフライだ。  エルグランドは姉アリスから副社長就任祝いで貰った。おかげでしょっちゅう脚に使われパシられている。買い物のときなんて荷物持ちに運転手扱いだ。  それでも快く引き受けてあげるのは彗がとにかく車、ドライブが大好きだからだ。運転自体が大好きで苦じゃない。一人でだってどこまででも走れてしまう。助手席に誰もいなくたって寂しくない。車そのものが相棒だからだ。  さて、どれで行こうかと迷う。ランボルギーニのシザーズドアはデートにはうってつけだがゴルフ場では悪目立ちが過ぎる。それにツーシーターの後ろにゴルフバッグを入れると無理矢理には入るがパンパンだ。プジョーも同じ理由でナシ。  カタチはカッコイイんだけどなぁ。  これが真田さんとのデートだったらこっちに乗るのになぁと、また妄想モードに入りそうになる。  容量の問題でVIPの白のエルグランドと、オスミウムグレーのメタリックが渋いボルボで迷った。結果、やはり相手より目立たないよう色でボルボV90に決めた。  キーを取り玄関を開けると、まだ暗い空に明けの明星が瞬いている。雲ひとつない。 「最高の秋晴れになりそうだな」  思わず口元がニッと上がる。  今日は仕事時間以外で初めて絹に会えるスペシャルな日だ。彗の胸はワクワクして少年の心に返っていた。 「あんま眠れなかった。ヤバイ」  絹は時計を見てため息を吐いた。 「もう起きてシャワるか」  初めてのゴルフに緊張しているのか、遠足前日の小学生のように寝付けず二時間睡眠になった。  四時に鳴るはずの目覚ましを止めベッドから降りる。キッチンで水を口に含み電子タバコで一服すると風呂場へ向かった。  熱いシャワーを浴びながら心を落ち着かせる。  あの男に迷惑をかけグチグチ言われないよう、今週は打ちっ放しに毎日行った。なんとかカタチにはなった。ゴルフ雑誌を読んでその通り練習したら意外と球は上がるようになった。きっと大丈夫だ。  そう言い聞かせ精神統一すると最後に冷たい水を被った。  気合いが入りシャワー前とは別人のようにやる気の漲った絹が風呂を出る。ザッと髪をドライヤーで乾かし用意してあった服を着る。  ゴルフバッグに合わせてテーラーメードのボストンバッグも買ってきた。ゴルフバッグに入らないウエアやタオルなどの荷物を、こうしたカチッとした大きいバッグに入れゴルフ専用にして持ち歩くのも初めて知った。  打ちっ放しでスニーカーを履いていたがスパイクが必要なのを知り慌ててそれも揃えた。それくらいの初心者だ。  絹は男三人兄弟の長男だがまだ誰もゴルフは始めていないし父もやらない。聞ける相手が昌明くらいしかいなくて、聞くも昌明はモノを教えるのが不得意なのでいまいち情報に欠ける。ネットでいそいそとひとりググって学んだ。  玄関先に運んで何もかもピカピカなそれらを見て思う。  白で揃えたのもあるが初心者丸出し感がスゴイな。まぁ仕方あるまい。 「デビュー戦だぞ。今日からよろしく」  そう言ってゴルフバッグの頭を撫でると、それらを愛車のDSに詰めて富士山に向かい走った。  山梨県、某名門ゴルフ場。メインエントランスからしてすでに美しい。辺りは真っ赤に燃える紅葉に囲まれ、秋ゴルフの景色の良さに期待が高まる。そして山梨は富士山を眺め吸う冷たい空気が実に美味い。  彗がゴルフ場に到着するとまだ誰も到着していなかった。  それもそのはず。自分は皆さんに混ぜて貰った側なので後から来るわけにはいかないと、集合時間より一時間以上前に来た。  まだ荷物を降ろしたばかりでちょっとコーヒーでも飲もうかというときに、驚くべきことにもう絹がやってきた。 「あ」  絹が彗を見て驚く。自分より先に来ていると思わなかったからだ。初心者なのでいちばん先に着いておくように家を出たつもりだった。 「おはようございます! 早いですね」  彗は驚いてつい駆け寄った。 「おはようございます。はい、初めての身なので誰よりも先にと思ったのですが……蟹江さんが先に来ていて驚きました」 「僕も混ぜて貰う身なのでいちばんに来ようと早目に出てまして。まさかこんなに早く真田さんが来ると思わなくてびっくりです」  なんだよ、なんでもう来てるんだよ早い早い! 早く来て一人で心を落ち着かせようと思ったのに。  絹は出鼻を挫かれた気分でモヤリとした、のも束の間。  ……えっと、まず……何をするんだ。よく考えたら手順がわからない。  絹はその辺を先に来て周りを観察しようとしていたのだが、その間もなく彗が目の前にいて思考が固まる。無言でキョロキョロと、目だけ狼狽してしまった。  すると彗が察して右手をカウンターに向けた。 「俺もエントリーまだなんで行きましょ」 「あ……はい、そうですね」  そうか、エントリーってのを先にするのか。社長来てないけどいいんだ。  内心ホッとしながら彗の後についた。  チラリと彗を横目に気にしながら、サクサクと書き終えペンを置く。 「着替えましょ。僕来たことあるとこなんで更衣室いっしょに行きましょう」 「ありがとうございます」 「荷物こっちです」  ああ、初めてのことだらけで思わず荷物のことを忘れロッカーキーひとつで更衣室に行きそうだった。危ない、恥ずかしい。  しかし絹は彗が何気にエスコートしてくれているのを察した。  なんだか気恥ずかしいし、コイツにエスコートされるなんてという気持ちも湧いた。しかし何も知らない自分に嫌な顔ひとつせず、教えてやるよと上からにもならず。尚且つこちらに恥をかかせぬよう導き促してくれる所作に思わず関心した。というか、この一年会釈だけで済ませてきた。絹が彗を嫌っているのなんか筒抜けだろうに。 「クソ紳士かよ」というツッコミ半分、「優しいかよ」というツッコミ半分。  苦手な相手なのでツッコミ変換になってしまうが、内心助かったと胸を撫で下ろした。  更衣室は少し距離があった。後ろをついて歩いている絹がまじまじと彗を見て思う。  背中ひっろ。ホント背ぇデカ。  確かに絹の目の前にいると彗は壁そのものだ。  てか……脚、長過ぎる。少しくれ。  正面から見たら身長百六十九センチの絹は百八十九センチの彗に隠れて見えないだろう。  さっき思ったけどジャケットが落ち着いてるのに胸元からチラッと見えたシャツめっちゃいい感じのだった。でも全部は見せないとか、こだわり強そうだな。  絹の趣味は服と靴だ。だからついついひとの着ているもの、着回し方を見てしまう。服が好きなひととは仲良く出来る。けれど仲がそもそも悪い相手の服装が良いと、少しムカムカした。関心と不愉快の同時多発テロは初めてだ。  そんなことを思っている間に更衣室に着く。  ふたりのロッカーは割と近くで。  彗がジャケットを脱いだ。すると絹は、手は動かしながらもギョロリとした大きな目で中から現れたシャツを凝視した。  上下全身黒、しかもそのシャツ、めっちゃエロい……っ。  あのストライプがぬるっと微かに光るシャツが全面に出ると、シフォンなので透けのヌード感が出る。その素肌感も相まって絹の目に大層セクシーに映った彗は、カバンを開けウエアを出すと袖ボタンを外した。その、たかだか袖ボタンを外す所作に絹はグッときた。  なんだろう、この生着替えのプライベート見てる感。着替えってこんなヤバいイベントだったか? 目がつい行ってしまう。ちょっと自重しなさい俺。  絹が自分にそう言い聞かせているとも知らず、彗は絹の私服姿にとてつもなく興奮していた。  上下黒のディ◯ールオムのスーツ。細身で脚丈と袖丈が少し短めの、ジャケットの丈も短く体にフィットしたタイトスーツだ。中はパールホワイトの詰め襟シャツで、青いスクエアのボタンとても可愛い。  真田さんそのスーツ似合いすぎる……! 素敵です……‼︎  彗も横目でチラチラと絹の着替えを見ている。  真田さん、細くて小さくて可愛い。抱きしめたら折れそうだな。えっ、中のタンクトップは黒! 意外だッ。  彗の心がはしゃぐ。ここまでは横目でがっつりチェックした。だが彼が下を脱ぐのを見て年甲斐もなくドキドキし、直視出来ずにチラッと確認する。  真田さんもボクサー派! ですよね‼︎ 黒だ……。  そしてボクサーの中央も僅かながら拝見した。何が見えたわけでもないが、胸がギュン! と摘まれるような何かに襲われた。  彗は絹の体を見ているとなんだか心細い気持ちになった。子鹿みたいに細く薄い。でも華奢で守りたくなるような体格は彗のタイプだ。ハートを鷲掴みにしてくる。  双方着替えをチラチラ見ていたらバチッと視線がぶつかった。  ヒッ、やばっ。  どちらも同じ思考でバッと視線を逃がす。お互いノンケだと思っているし、まじまじ見ていたからといってゲイがバレるわけでもないが。  うわ、偶然に合う視線って心臓パクつくな。  絹は頬がジリッと熱くなるのを感じた。それは彗もだ。途端に背を向け誤魔化すように着替えのスピードが上がり、そこからの支度はあっという間に終わった。  時間が有り余っている。スタート時間ではなく、絹が初ゴルフだからと社長が決めてあげた待ち合わせの時間までまだ四十五分もあるのだ。 「僕、朝メシ食いますけど真田さんも食べます?」 「朝メシですか」 「コーヒーだけ飲むことも出来ますし、もしくは缶コーヒー買って下のロビーでも飲めますけど」  圧巻の美しいクラブハウス。この広いロビーに一人取り残されるのは何とも心細い。絹はコイツでもいないよりはマシだなと思った。 「じゃあご一緒させてください」  二階で朝食を摂ることにした。スタート前に練習したいだろうけど社長と昌明の到着を待って挨拶だけしたら直ぐに行きましょうねと、彗が流れを作ってくれた。  だよな、練習に行こうとしてたけどその間に社長と昌明が来ちゃってたら挨拶が遅くなるもんな。  絹は彗に言われるままに従っておこうと思った。そうしておけば変な恥もかかなさそうだ。  昌明がくればあいつに何でも聞くのに。まぁ元々時間ピッタリ派だからなぁ。早く来いよな、俺初ゴルフなんだから。  絹は元カレで現セフレの昌明にわからないことは何でも聞けると思って、初ゴルフも安心しているところがあった。  階段を上り彗がサンバイザーをハットスタンドにかけると、絹も真似してキャップをかけた。店員に案内され席に着く。 「僕、卵かけごはん定食にします」  彗がメニューも見ずに言うと、ゆっくり決めてくださいと絹にメニューを広げて差し出した。 「どうしようかなパンもいいな」  クラブハウスって食事メニューが意外とあるんだなと眺める。ヨーグルトや茹で卵、酒のつまみまであるのかと驚く。 「ここの卵、近くの養鶏場で採れたてのだから美味しいんですよ。生卵もトーストについてくる目玉焼きも美味しいです」 「え、じゃあ僕も卵かけごはんにします」  絹がメニューに見入っている間に彗はサッと注文すると自分のロッカー番号を言った。ただの食事メニューを真顔で真剣に見る絹をこっそりと見つめた。やっぱり可愛いなと改めて思う。  支度が終わって一息というまったり感。その静かで穏やかな空気を、突然電子音が壊した。絹の携帯が鳴り響く。 「僕の携帯ですね。あ、昌明さんからです」  やっと着いたか。そう思いながらスマホを取る。 「もしもし、真田です。おはようございます」 『おはよう。……敬語? もう誰かいんのか』 「はい。蟹江さんが来ていらっしゃってます」 『そうか』  彗は昌明の到着で絹とのふたりきりの時間も終了かと名残惜しんだ。自分を好きじゃない絹が意外と会話をしてくれたことが嬉しかった。  さぁ、昌明さんも来たことだし俺はこれから社長のお相手を頑張らねば。  そう思っていたときだった。 「え? 来れなくなった? え⁈ 」  絹の声が一段大きくなった。その声に彗の目がまん丸くなる。  それは昌明が急用で来れなくなったという連絡だった。 「えっ! 昌明さん来れなくなっちゃったんですか⁈」 「はい。トラブルがあったらしく現場に急行してるらしくて……」  どうしよう、俺、昌明いなきゃかなりヤバイ。社長に迷惑かけられないし、蟹江になんか聞けるわけがない。どうすんだよ、マジで…どうすんだよ……⁈  通話を切った絹の顔が一気に白くなった。   第三話・終  

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