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第4話

   朝食を摂った彗と絹はロビーで社長を待つことにした。  昌明が来れなくなった。そのことに対して絹が残念そうというより少し不機嫌になったことが彗には引っかかった。いや、そこまで不機嫌というほどでもないのだが何となくピリッとした空気が流れたのだ。  そもそも自分に対しては会話をするのもまだ二度目なので固い姿勢だし、嫌われているのも知っているので友好的なわけもないが。  故に取り繕った口元だけの笑顔をキープしていた絹が、口をぎゅっと結んだ真顔に表情を変えたのが彗には驚きだった。気を許したのではない。気を許せない相手の前でも出てしまったような。昌明とはそれほどまでに親しくなっているのだなと少し灼けた。  また、絹の真顔は綺麗だが氷の妖精みたいな近寄りがたさがあった。その内容に触れたら凍らされそうな強いガードがあった。  彗は妙に緊張してしまいコーヒーを飲んで冷静を取り戻そうとした。そういえば……と絹が口にしているコーヒーを見る。これにも驚いた。まさかのジョージア・マックスコーヒーだった。日本の缶コーヒー至上いちばんの甘さを誇るあのマックスコーヒーだ。彗の心の手帳に〝真田さんは甘党〟と記された。  甘いもの大丈夫なのか。今朝のタルトの妄想もあながち実現しないとも限らない……とは思えないな、この冷戦みたいな空気じゃ。  綺麗な顔、氷の表情。ひとつの顔にふたりの人物が見えているみたいで彗はドキドキヒヤヒヤした。 「昌明さん来れなくて残念ですね」 「そうですね」  短い返しの後の沈黙がより空気を重くさせ彗を緊張させた。  その頃、より緊張している人物がいた。目の前の絹だ。初めてのゴルフで頼りにしていた相手が来なくなりド緊張状態になっていた。ときおり口がへの字になり眉間にシワが寄る。それは来れなくなった昌明への苛立ちだった。  仕事で来れなくなったのは仕方のないことだけど。昌明は悪くない。が、でもなんか腹立つ〜! お前がデビュー戦は俺といっしょになって言ったくせに。まったく。  表情がカチカチになっているが無理もない。ゴルフが超のつく上手さのふたりに挟まれての初戦だ。彗はシングルだが社長もゴルフ歴二十五年のベテラン。足を引っ張るわけにはいかない。  いや、大丈夫だ。俺のボールは真っ直ぐ……より少し右だったけど綺麗に上がって飛んでいた。練習通りやれば大丈夫だ。できるだろう俺。大丈夫。ようは前に飛ばせばいいんだろ。なんとかなるって。なんなら上手くいくって。いける。俺ならいけるに決まってる。  絹は持ち前のマインドで己を鼓舞した。自分に自信がある。自信が持てるほどの何かをいつもちゃんとしている。そういう気持ちの強さがある。今回も一週間毎日二百五十球打ち込んで来た。それが自分を立て直す強さになった。急にメンタルが切り替わる。スイッチが入った。  かたや横でまだソワソワしている彗が口元の上がり始めた絹を見た。  また真田さん表情が変わった? 今度はちょっと笑ってる⁈ しかもなんか不敵な笑みなんですけど……なんで⁈  何を考えているのか知るはずもない彗は頭をクエスチョンマークだらけにしてコーヒーを飲み干した。  待ち合わせ時間の十分前、社長到着。 「おはよう。ごめんなぁ、昌明が来れなくなって」 「おはようございます。急なお仕事とのことで残念です」  絹がさっきとは打って変わって悲しそうな表情で言う。わぁお、と彗が苦笑いする。だが、そういえばこんな可愛いけど真田さんもやり手セールスマンなんだったと思い出す。  俺だってプライベートの自分を知っているひとが仕事中の自分を見たら、こうやって目に映っているのだろう。  そう思うとひとのことは言えないなと、自分に苦笑いが溢れた。営業マンはいつだって仮面を被っている。 「蟹江、今日の調子はどうだ」 「おはようございます。おかげさまで良好です」 「そうか。俺のことは気にせず好きにやれよ。ベスト出していいからな」 「そんな簡単に出ませんよ」  社長が楽しそうに笑っていて彗と絹のふたりはどこかホッとした。  社長が着替えてくるといい、まだある時間でふたりは練習に行った。  いよいよスタートだ。 「今日はふたりともよろしくな」 「よろしくお願いします」  ふたりがシャキッと背筋を伸ばして挨拶すると、 「キャディさんもよろしくね〜」  そう言って社長は若くて可愛いキャディさんの胸の谷間にチップを挟んだ。 「社長そこはまずいんじゃ」  彗が思わず笑ってしまいツッコむ。というかなんでそんなに前が開いているんだとキャディに対しても胸の中でツッコむ。すると、 「いーんだよ。最近俺のお気に入りのなつみちゃん。指名してんだよ。女子プロ目指してんだよなぁ」  彗は「ええっ」と声に出して笑った。わぁ、たまにいるけどキャディ指名しちゃうパターンでしたか。しかし女子プロ目指しているなら相当上手いはずだ。キャディの筋もいいだろう。社長が気に入りそうなのもわかる。 「初めまして、なつみです。来年初めてプロテスト受けるんです」 「そうなんですか。それでは相当上手いんですね」 「いえいえ、ベスト六十四です。プロになるにはこれがコンスタントに出ないとなんですけどね〜」 「おー、蟹江とタイだな」 「えっ。蟹江さん、めちゃくちゃゴルフお上手なんですね!」  ろ、六十四⁈  絹が愕然とする。  凄すぎる、上手いとか言ってる場合じゃない。コイツこんなとこで何してんだ。  少し残していた緊張が逆にどこかにいき、肩の力が抜けた。 「しかもそのベストをどこで出したんだっけ?」 「社長やめてくださいよ」  謙遜して一歩下がる彗にキャディがどこですかと問い詰める。 「セントアンドリュースのオールドコースです……」 「しかもフルバックからな! あのボサボサの芝で。ガハハッ。ホテル越えも出来るんだとよ」 「凄いです! イケメンな上にゴルフも上手いなんて」  やはり彼女にも彗はイケメンに映っていた。そりゃそうだよなと絹も腑に落ちる。 「ダメだよなつみちゃん。なつみちゃんは俺のお気に入りなんだから」 「はいはい、わかってますよ」と語尾にハートマーク付きで二つ折りの谷間で温められた諭吉二人をしまう。  ジップをキュッと上げ仕事モードに入る。 「スタートから前詰まってましたがそろそろ行けそうですね。行きましょう」  カートに乗り込む。運転席にキャディのなつみちゃん、隣に社長、後ろに彗と絹が座った。 「あ、そんなわけで俺はなつみちゃんと楽しく頑張るから、お前ら好きにやってろな」 「社長、なつみさんに会いたくて来てるんじゃないですか」 「そうだよ〜昌明来ないの想定外だったけど、蟹江お前、絹のこと見てやれな」 「えっ」  思わず彗が声を出す。 「スリーサムになったし時間に余裕あるから大丈夫だろ。前の組もヘタクソなのか遅いから、絹、落ち着いてゆっくりやれよ」 「はい、わかりました」  そう言うと口元を隠した絹がコソッと彗に言う。 「大丈夫です僕のことは気にしなくて。勝手に適当にやりますんで……」 「いえ、あ、その、なんかわからないことありましたら何でも聞いてくださいね」 「ありがとうございます」  本当にふたりを放ったらかしの自由奔放社長ゴルフが始まった。 「はい、1ホール目はパー5。いきなりのドラゴンコースとなっておりますが、まぁ肩の力抜いていきましょう」  なつみちゃんの眩しい笑顔がとても良い。素敵な娘さんだ、優しいキャディさんで良かったと絹は思った。  社長と彗が何やら銀の鉄のおみくじみたいなものを引いた。ほほう、最初はそうやってどっちが先に打つか決めるのかと学んだ。  そこからの流れはあっという間だった。社長が軽々スパーンと球を飛ばす。 「ナイスショーット! 社長お見事です」 「ナイスショットです社長‼︎」  なつみちゃんも若手二人も、思わず拍手する。しかし絹は還暦も過ぎた社長が物凄いパワーショットを繰り出したので軽くビビッていた。そこからは若さしか感じない。急に社長がゴツい筋肉の塊に見えてきた。  続いて彗の番だ。 「こいつは素振りもしないからな」  社長がそう言うと、さっさとルーティーンに入り彗がテイクバックした。  社長のスイングを見た直後だが、比べてとてもゆっくり振り上げ、そしてゆっくり軽く振り下ろしてきた感じがした。が、球に当たる瞬間、急にヘッドが見えなくなった気がした。 「ナイッショッー!」  社長の声にえっとなる。球が見えなかった。進行方向を見ると彗の球は高速で空を斬り裂いていた。それは低めの弾道からぐんぐん上に伸びていく。飛んでいる。滞空時間が社長より遥かに長い。 「ナイスショットです! あ〜これは三百余裕で超えてますね」  なつみちゃんも笑顔で唸る。  カートに乗り込む。社長と彗は上手いので距離がいちばん長い青のフルバックから打ち始めた。なので、それより前にある白いティーグラウンドに移動する。絹は男性が通常一般的に始めるレギュラーティーから打つのだ。  カートに乗るほんの短い時間だが、その間にも絹の思考は少しずつ停止していった。この男二人の本当にタダモノじゃないゴルフを見せつけられ緊張が高まってしまった。さっさと、一瞬で素晴らしいプレーを見せられた。自分が今からするのはなんだ? ゴルフになるのか? 「さぁ絹いってみようか」  社長が楽しそうに笑っている。 「はい、では失礼します」  そう言ってポケットいっぱいのゴルフボール、そしてティーとドライバーを握りしめいざ向かった。  ティーを刺してボールを乗せる。 「こうでいいですか?」 「いいよ。ちょっと手前で素振りしてみ」  ブンッと一振り。良い音がした。 「いいじゃん、打ってみ」  ひとつ大きく深呼吸していざ。  いち、にの、さん。  ブンッと素振り通りのいい音がした。しかし球に当たった音と感触が、ない。  人はそれを空振りと呼んだ。  え、空、振り? ……嘘だろ? 「ガッハッハッハッハッハッ! いいぞ絹〜‼︎」  社長が特大の笑い声を乾いた秋空に響かせた。  待って、マジで。恥っっっずかしい。  絹は立てたドライバーにもたれて項垂れる。  嘘だろ空振り⁈ 信じられない……掠りもしなかったとか……ッッ。  顔が赤くなって上を向けない。 「すいません……」 「可愛いところもあるじゃねぇか! いつもキリッとした顔しか見せてくれないのによォ」 「しゃ、社長可哀想ですよ煽ったら」 「そら気にせずもう一回打ってみ!」  眉間に皺を寄せながらも真っ赤になった絹がいた。彗は初心者あるあるなので気にもしていなかったが、そんなことより顔を赤くしている絹が不謹慎ながら可愛いと思った。  絹本人はそれどころではない。ゴルフのマナーでファストプレーを心掛けなくてはならないことくらい知っている。さっさと構えてとっとと振った。  しかし無情にも、またしても空振り。 「え」 「アッハ! 絹どうしたァ‼︎」  焦りと緊張に加え、上手いふたりに挟まれてで上手くいくわもない。赤かった顔が、今度は一気に青くなる。  社長が楽しくなってしまい、つい煽る。だがそんな中、彗がスッと前に出て行った。見ていられなくなってしまったのだ。 「真田さん」  声をかけられるが目が合わせられない。口元を手の甲で隠して芝を見ながら返事をする。 「はい」 「構えてください」  絹は彗を嫌だとか言ってる場合ではなくなってしまい、言われるがままに構えた。素振りもなくボール横にと指示された。 「このときはしっかり腕を伸ばして構えています。でも振り上げて下ろして来るときに、キュッと縮むように肘が曲がってしまったようです」 「肘」 「はい。さらにその瞬間、体が起き上がっていました。緊張感などで腕が引っ込んで球までの距離が足りなくなったんです」  すごくすごく丁寧に、ゆっくりと微笑みながら説明される。 「なのでしっかり肘を伸ばし切って振ってみてください。あと顔は、振り切っても下を見ているつもりで極端に下を見続けてください」 「は……はい」 「このまま打っちゃいましょう、どうぞ」  ええいままよ。しかし言われたことは念頭に、いざ。  振り上げる。下ろしてくる。  あっ……  その瞬間、確かに腕が縮んだ気がした。  ダメだ、伸ばせ。  瞬時に自分に言い聞かせ肘をぐっと伸ばした。  下を見る? こうか? ッ! 痛ッ。  絹の顎に自分の右肩がゴッと刺さった。  その瞬間。パーンッと、これまでにない爽快な音と最高の手応えを感じた。 「えっ」  ……気持ちいい。何今の。  絹の胸に棘が抜けたようなスカッとしたものが吹き抜けた。 「ナーイッスショーーッッ‼︎ すげぇぞ!」  社長が空を眺めている。眩しい空にど真っ直ぐに飛んでいく球を誰もが見届けた。キャディのなつみちゃんも驚きの表情から一気に笑顔になる。 「真田さん素晴らしいです! ナイスショットです。フェアウェイど真ん中行きました。二百五十は飛んでますよ」 「良かっ、たぁ、お待たせしました……すみません」  社長が絹の背中をバンバン叩いて讃える。前に移動するためカートに乗る。乗った瞬間絹はハッとした。 「あ、どうもありがとうございます蟹江さん……」  あまりの気持ち良さと嬉しさ、緊張の解放ですっかり彗に礼を言うのを忘れていた。紛れもなく彼のおかげなのに。 「いえ、飛んで良かったですね」  はにかんだ笑顔で彗が返す。  飛んで良かったなんてもんじゃない。これまでひとり打ちっ放しに行き練習で感じた手応えの、遥かに上をいくスーパーショットだったのだ。あんな球は初めてだ。  前に雑誌に書いてあった〝球を掴みにいく〟ってこれだ。それを教えてくれた……。  絹は彗にものを教えてもらったのに、腹が立つどころか彼がキラキラして見えた。彼について行けばゴルフが上手くなるに違いない。卵から孵りたての雛が親鳥に出会ったような感覚だった。   第四話・終  

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