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act.01  Un anello del destino―運命の輪―

20XX年4月5日午前9時45分 イタリア南端レッチェ。サンタ・クローチェ教会前  翌日、アレッシオはイタリア鉄道に揺られ、イタリア南端レッチェに辿り着いていた。  後ろ手には待ち合わせ場所であるサンタ・クローチェ教会が聳え、レッチェバロックをこれでもかとアピールしている。  朝早くにもかかわらず辺りには観光客の姿がチラホラ見え、カメラやら携帯やらで熱心に教会を撮影していた。  それを横目に、アレッシオは大きな欠伸を1つ溢した。彼にとっては背後の美しい彫刻の施された教会も、単なる待ち合わせ場所でしかないらしい。  そうして、教会前で待ち始めてから10分程経った頃だった。教会に目もくれず、アレッシオの元へと小走りで駆けてくる人影があった。  20代そこらであろう顔付きにパーカーにジーンズというラフな格好の男は、彼の目の前に来るなり息も整わぬままに頭を下げた。 「アレッシオさん、遅くなってすみません!」  青年に日本でいう土下座でもしそうな勢いで謝られ、観光客から奇異の視線がアレッシオに突き刺さる。  アレッシオは、居心地の悪さに身体を揺らし、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。 「……いや、いい。そんなに待ってないから」  溜息と共に吐き出して、青年に頭を上げさせる。  観光客達は背の高い青年とアレッシオを暫く見つめた後、興味をなくしたように再びお目当てである教会の景観へと視線を戻していった。 「俺だからいいが、お前、他の奴にはんなことすんなよ。アドリア海に沈められるぞ」 「分かってるッス!!いやぁ、俺の上司がアレッシオさんでよかった」 「調子いいやつだな」  強く言うことも出来ず、ついつい許してしまう。が、この世界―マフィア―は、本来ならば下の人間が上の人間を待たせる事などあってはならない。それこそ、そんなことをした日には次の日には文字通りアドリア海に沈められ魚の餌にされてしまってもおかしくはない。  今でこそ部下を持つ身―ソルジャー(構成員)―になったが、かつてはアレッシオも使いっ走りとして様々な苦労をしてきた。  アレッシオの属するニコロファミリーは、プーリア州バーリに根を張るマフィアだ。ボスであるニコロを筆頭とした300人〜400人から成り、フロント企業の工業、建設に始まり金融、輸送、裏では密輸を主な生業としている。  ボスであるニコロの下には幾人かのカポレジーム(幹部)が存在しており、アレッシオはその中でも密輸を統括するカポ、アルドロヴァンディーニの命令をこなすソルジャーだ。  ソルジャーの元には命令を速やかに実行するためにアソシエーテ(準構成員)が付けられる。それが、アレッシオの目の前で必死に謝る男なわけだが―― 「……で、トマゾ。今回のカポからの用件は?」  アレッシオの言葉に弾かれたようにトマゾと呼ばれた青年は顔を上げ、何やら鞄を漁りだした。 「それがですね〜、ドナテラさんから聞いた話ですと……何でもカポの許可無しで武器の売買をしてるブローカーが……っと、ありました!!」  そう言って彼が取り出したのは、くしゃくしゃになった封筒。中身も言わずもがな。くしゃくしゃなのが推し量れる。  アレッシオはもはや紙くず同然になったようなそれを引ったくるようにして手に取ると、書かれた文字を目で追っていった。 「……成る程ね。要はブローカー脅して代金払わせてカポの管轄に入れるか、従わなかったら好きにしていいって事だな」  暫くの沈黙の後、アレッシオは紙から顔を上げた。側では、トマゾが犬のように飼い主の命令を待っていた。 「トマゾ、今日はもう戻るぞ。ドナテラの情報だと明後日ブローカーが動くみたいだ」  封筒をジャケットの中に押し込み、アレッシオは歩き出す。 「はいっ!!」  何がそんなに嬉しいのか分からないが、彼は満面の笑みを浮かべアレッシオの後ろに続き歩き出した。 「あ、ちゃんとホテルは調べてあります!! ……安い所ッスけど」 「……っぷ、ははっ」  彼が小さな声で付け足した情報に、アレッシオは軽く吹いた。 「仕方ないさ、俺等は下っ端だからな」  肩を竦めて笑う彼にトマゾが眉を潜めた。  実力や功績、この業界に身を置いている年数からするとアレッシオはカポになってもなんらおかしくはない。しかし、彼の生来のこの性格故に、構成員のまま五年が経とうとしていた。そのせいで、付いた2つ名が「寝たままの獅子」だった。  アレッシオ自身は、この現状になんら不満はないのだが、アレッシオのアソシエーテであるトマゾは違うようだ。 「……アレッシオさんは、カポになろうと思わないんですか?」  不満をそのまま乗せたトマゾの声に、アレッシオはハッ、と鼻で笑う。 「思わない。面倒だろ?好きな時にシエスタ出来ないし」 「うー、微妙な答えッスね……」  納得のいかないといった表情のトマゾの頭を、彼はペシリと叩いた。 「ぐだぐだ言わない。ほら、俺は早くシエスタしたいんだから急げ」  トマゾを急かしながらアレッシオは、大口を開け欠伸をした。 「わ、わかりましたよ〜」  渋々ながらも頷いた彼は、アレッシオを残し道端へ停めていた車の方へ走っていく。  レッチェバロックの美しい街並みに不釣り合いな、オンボロのプジョー。赤のボディが何時もよりもくすんで見えるのは、アレッシオの気のせいだろうか。    それとも――。  今にも壊れそうなエンジン音を響かせながらプジョーがアレッシオの目の前で止まり、彼は指定席となりつつある助手席にと乗り込んだ。  カポの命令は明後日。決して快適とは言えない車の中。アレッシオは、漠然と感じた不穏な予感を振り払うように、いつもと違う場所でのシエスタをどう楽しもうか算段していた。

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