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act.01

20XX年4月5日午後8時 イタリア南端レッチェ  あの後、アレッシオはまだ昂りの兆しを見せていたトマゾをその場に置き去りにし、熱いシャワーを浴び頭から被ってしまった白濁を綺麗に洗い落とした。体を洗っている最中、何度もあの雄臭い匂いを思い出しては下肢に手が伸びそうになったのはアレッシオだけの秘密だ。  精液まみれになってしまった服はトマゾに洗わせ、今はこざっぱりしたシャツに下はパンツ一枚で上機嫌に銃の手入れをしていた。  ズシリと重い銃身が開けた窓から降り注ぐように入り込む月明かりを受け、黒光りする。  ベレッタ92A1。ベレッタ90シリーズの内の一つで、使用弾は9mmパラベラム弾。ダブルカラムマガジン(複列弾倉)により17発と弾数が多いのも魅力的だ。  同じイタリア生まれのこの銃は、ジャムる(薬莢が詰まる)ことも少なく、遠距離や近距離での射撃も出来るとあってアレッシオは重宝していた。  今では無くてはならない相棒のようなものである。  まるで女性に触れるような丁寧な手付きで相棒をばらしていくアレッシオ。メンテが面倒だという同業も多いが、アレッシオはこの作業が嫌いではない。  あっという間にばらしてしまうと銃メンテ専用のスプレーを取り出し部品に吹き掛け始めた。 「ふ〜ん、ふふん」  上機嫌に鼻歌を歌いながら夜風に濡れたままの髪を晒し作業を続ける中、洗面所の方からトマゾの声がした。 「アレッシオさーん、今日の夕食どうします?」 「あ」  トマゾに言われアレッシオは作業の手を止めた。 そう言えば、レッチェに着いてからまだ何も口にしていない。すっかりと忘れていた。  トマゾの一言で気が付いた途端にアレッシオの腹がくぅーっ、と鳴った。先程まで空腹など感じていなかったのに。  自身の体の現金さに苦笑いを小さく浮かべたアレッシオは、手元の銃を見た。 あと30分もあれば十分に綺麗にしてやることが出来るはずだ。その間も腹は鳴るだろうが、今更30分遅いからといって空腹具合はあまり変わらないだろう。 「もうちょっと待ってくれ、お嬢さんのメンテ中だ!」  アレッシオがそう声を張り上げると、洗面所からトマゾが顔を覗かせた。 「よくやるッスよね……俺、メンテは面倒でどうも苦手ッス」  洗濯が丁度終わった所なのだろう。トマゾがそのまま洗面所から出てくると、水が滴る手をプラプラと振り乾かしながらアレッシオの側へと歩み寄ってきた。 「お前なぁ、そんなんだと肝心な時にジャムるぞ」  至極最もな事を口にするアレッシオに対してトマゾが「そうッスね、後でやっときます」とうやむやにするような答えを返し、アレッシオの手元を覗き込んだ。 「お前なぁ、後でっていつだよ」  溜め息をつきながらアレッシオは、綿棒で分解した相棒のフレーム部分やレール部分を丁寧に拭いて汚れを取っていった。 「後では、後でッスよ。つか毎回、見る度に思うンすけど、魔法みたいッスよね。俺、ここまでバラしたら組み立てにめっちゃ時間食っちゃって……、あ゛ーー、考えただけでも頭痛くなってくるッス。それに、だいたい俺は使えりゃ何でもいいんスよ」  物に対して執着を持っていないトマゾがそう言うと、アレッシオは大袈裟に眉を潜める。 「お前な、デザートイーグルが泣くぞ」  デザートイーグル50AE版は、トマゾが主に使用している大口径マグナム自動拳銃だ。50AEという拳銃用弾薬では最高の威力を誇る弾薬を扱える拳銃で、銃身も大きく片手で扱い難い上に反動も大きい癖のある銃といわれいる。  〝使えればいい〟などとトマゾは言うが、下手な撃ち方をすれば最悪肩が外れる可能性もある。それこそ、抗争中にジャムったり肩が外れてしまいでもしたら足手まといどころか。トマゾだけではなく、下手したらアレッシオまでも死ぬかもしれないのだ。  ――そんなのは、ごめんだ。  アレッシオは頭に浮かんだ最悪のビジョンを振り払うように頭を振ると、手早くベレッタを元の形に組み立てた。 「銃より俺の腹の方が泣いてるッスよー!! 早くメシ食いに行きましょう!!」  いまいち事の重要性を分かっていないトマゾは後程みっちりとメンテがいかに大切か教え込むことにして、アレッシオはセーフティモードにした銃を迷った挙げ句机に置いて立ち上がった。  心許ない感じは拭えないが、少しそこらに食事に行くだけだ。  カポ達よりはアレッシオは顔を知られていないし、危険も然程ないだろうと踏んでのことだった。  トマゾはというと、既に扉の方へと移動しアレッシオが来るのを今か今かと待っている。 「まったく……」  トマゾと共に居ると、いい意味でも、悪い意味でも退屈しない。それこそ、振り回しているように見えるが毎回振り回されているのはアレッシオだった。きっと今回も、いつもと同じように振り回されるのだろう。  トマゾの元へと向かうアレッシオの顔に苦笑いが浮かんでいた。 ********************* 20XX年4月5日午後9時 イタリア南端レッチェ  《オステリア ノッテ》と書かれた看板が下がる店の中に、アレッシオはトマゾと共に居た。室内は賑やかな雰囲気で満たされ、どの卓上を飛び交う会話も明るく聞こえる。 アレッシオとトマゾの卓上もまた、楽しげな会話が交わされていた。 「で、この間引っ掛けてた女の子とはどうなったんだよ」  白ワイン片手にテーブルに頬杖をついたアレッシオがトマゾに視線を送った。どうやら既にホロ酔いしているらしく、無精髭が疎らに残る顔に赤みが差している。  トマゾもホロ酔いしているらしくヘラヘラと笑みを浮かべた顔が赤く染まっていた。 「いやー、それがッスねぇ。あの後、パスクァーレさんに横から持っていかれちゃって散々だったんですよ」  〝散々〟などと口にする割には締まりのない表情を浮かべ、トマゾは赤ワインを煽った。普段つり上がった瞳も今は流れ出してしまいそうにトロンと蕩け、イカスミのタリオリーニをフォークでつつく手もどこかフラフラと揺れているように見える。 「あぁ、パスクァーレならやりそうだ。アイツ、手が早ぇからなぁ」  間延びした声で返事を返しながら、アレッシオもフォークでタリオリーニをつつく。2人の話題になっている〝パスクァーレ〟とは、ニコロファミリーでも情報収集や情報操作を主に行っているカポレジーム(幹部)のことだ。  本来ならばコンシリエーレ(仲介人)であるドナテラを通してカポ達からの命令が下るので、ソルジャーはカポの顔を知らない事が多い。アレッシオも当然、直属のカポであるアルドロヴァンディーニの顔を知らなかった。しかし、パスクァーレは情報を扱うとあって変わっていて、自分の足で動くことを好む男だった。それに、ソルジャー達に対しても大変気さくで、誰かしらと共にいる姿をよく見掛ける。  良く言えば、優しく頼りがいのある男。悪く言えば、カポとしての威厳を感じられない男。  そんな彼だから、アレッシオもトマゾも気軽にその名を口に出すことが出来た。 「もー、手が早い所じゃないッスよー。出会って即口説くんッスよ。しかも俺の目の前で」  やってられない、とばかりにトマゾが大きく溜め息を吐き生ハムのサラダを突き刺した。瑞々しい緑の葉と薄ピンクのコントラストが、ゆっくりとトマゾの口の中に消えていくのを見詰めながらアレッシオは口を開いた。 「俺もやられたことあるから気にすんなって」 「えー、アレッシオさんもッスか?」  信じられないとばかりに大袈裟に声を上げるトマゾに、アレッシオの眉間に皺が刻まれる。 「何だよ、その言い方。俺が嘘ついてるとでも思ってたのか?」  不貞腐れたように唇を尖らせたアレッシオは、乱暴にピッツァ・マルゲリータを一切れ掴むと豪快にかじった。フレッシュバジルの爽やかな香りとモッツァレラチーズの旨味が口の中に広がる。 「あ、いや、……てっきりアレッシオさんは男だけだと思ってたんで。驚いたといいますか……」  とんでもない誤解に口の中の物を吹き出しそうになったアレッシオだったが、寸でのところでワインで流し込んだ。ワインは勿体無かったが、ピッツァ丸々一枚8ユーロもするのだ。欠片だって無駄にするのは惜しい。ましてや噴き出すなどもっての外。論外だ。  口の中のモノを全て飲み込み終えたアレッシオは、それこそ突き刺さんばかりの勢いで右手に持つフォークをトマゾへと向けた。 「あのなぁ、俺はどっちともいけるっつーの」  そう宣言するとアレッシオは椅子へとふんぞり返った。確かに、男とするのも好きだ。硬く、凹凸の少ない身体はお嬢さん方とは違う触り心地で気持ちいい。それに、同性であるため快楽のポイントを言わずとも押さえてくれるのもお嬢さん方には出来ない強みだ。  しかし、そればっかりではアレッシオでも飽きてしまう。 たまには、柔らかく弾力のある肌に触れ、男にはない2つの丸い膨らみで癒して欲しいのだ。 「いいよなぁ、ふかふかのオッパイ」  アレッシオの瞳が吸い寄せられるように隣の席の褪せたブロンドの女性の豊満な胸元に向けられる。男もいけるが、やはりアレッシオとしても女性の大きな胸や尻はロマンだ。  そう思いながら見惚れていると、ムッとした表情のトマゾがアレッシオの視界を遮った。 「俺だってアレッシオさんを癒せるッスよ!!」 「は?」  アレッシオは、トマゾの対抗心剥き出しの唐突な発言にポカンと口を開けた。いきなり何を言い出すのだろうか、コイツ、と言わんばかりに呆れた視線をトマゾに送る。 「そりぁ、胸はないですが。下ならけっこう大き――むぐっ!?」  言葉の途中で急に目を白黒させるトマゾ。  それもその筈、アレッシオがこの場に不適切な発言をする前に物理的にトマゾを黙らせたのだ――フォークで突き刺したピッツァを突っ込んで。 「公共の場だからちっと酔っ払いは口を塞いどこうな?」  笑みを浮かべているアレッシオは、そのままグイグイとピッツァをトマゾの口の中に押し込んでいく。 「ん、むぐ……ひ、ひほいッス〜!!(ひ、ひどいッス!!)」  きっと咥内で必死に咀嚼しているのだろうトマゾがモゴモゴと何やら言っているのだが、アレッシオは素知らぬ顔。トマゾが頼んだ赤ワインを勝手にぶん取り、チビチビと味わいながら飲み進めていた。  テーブル上の食事が大方片付き、ドルチェのティラミスを互いに頼み口にし始めた頃。 アレッシオは、声のトーンを少し落としトマゾに話し掛けた。 「で、明日はどうする?俺としては一日中シエスタしときてぇところだが、そうもいかん訳だろ?」 「まぁ、そうですね。下調べするのとしないのでは成功率も違ってくるッスし」  顔を上げたトマゾはココアパウダーだらけの口をモゴモゴと動かしながら肯定した。  なんとも緊張感がない絵面だ、とアレッシオは思う。しかし、2人の厳つい男が人気のない場所で真面目な顔を突き合わせ密会するよりもこの方が怪しまれにくいとアレッシオは経験上知っていた。  それに、人が集まる所には思わぬ情報も転がっている。  アレッシオ達の後ろの席。カップルであろう若い男女の楽しげな談笑をアレッシオ達の耳が拾った。 「ねぇ、聞いた? 最近出来た海辺のホテル、どの階でも絶景が見えるって評判なのよ」  〝最近出来た海辺のホテル〟と聞いて、アレッシオはピンときた。明後日、ターゲット達が商談に使うであろうホテルだ。 「海辺……ねぇ。もしもの時はそっから逃げるか、確か3階だっただろ?」 「はい。3階の左端。海辺側で窓を開けりゃ下は岩や砂浜はなく海が広がってるッス」  既にある程度は下調べ済みだったのか、トマゾは表情一つ動かすことなく口にした。若干詰めが甘い点と調子に乗りやすい点を除けば、トマゾは実に有能な相棒だった。  当の本人は「俺、考えるの苦手で馬鹿ッスから」とヘラヘラ笑っているのだが、危機的な状況下での咄嗟の判断はアレッシオも目を見張るものがある。  事実、それでアレッシオは何度も助けられていた。それに、腕っぷしも弱くない。いや、寧ろ狙撃の腕以外ならばアレッシオより強い筈だ。  扱い難い大口径のデザートイーグルを、長く筋肉の隆起した腕で悠々と構える様は男の自分でもクるものがある。  不意に狙撃時のトマゾの姿を思い出して、下半身が疼いた。  ――あぶねぇ……。  ここは衆目のある公共の場であるのにスイッチが入ってしまいそうになり、慌てて頭を振った。熱いエスプレッソを啜り、気持ちを落ち着けるとアレッシオは口を開いた。 「ま、泳げりゃ何とかなるな」  これまでも2人でどうにかなったのだ。今回の命令も危険はあるが、今までの命令と難易度はたいして変わらないだろう。  そう考えていたからこそ、アレッシオは楽観的に構えていた。

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