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act.01

20XX年4月7日午前11時 イタリア最東端プーリア州オトラント ???港前 プジョー内 「はぁ、お嬢さんには酷なことしたぜ……」  がっくりと肩を落としたアレッシオがオンボロプジョーの助手席に身を深く沈め、ベレッタの銃口を布でゴシゴシと拭っていた。  隣のトマゾがそんなアレッシオの様子を見ながら運転席で笑っている。 「傷物になった、って感じッスか?」  トマゾの喩えに、アレッシオは唸るような声をあげダッシュボードに顔を突っ伏した。 「まさにそんな感じだ。あぁ、ちょいと凹む」  後悔しても終わってしまった事だけに意味がないのだが、やはり落ち込む。  映画などで拳銃をつかった自決シーンでは頭に銃口を押し付けるモノが多いが、あれでは楽に死ぬことは出来ない。頭蓋骨で銃弾が止まるか、または頭蓋骨を貫通し脳を傷付けるも死には至らないケースがあるとも聞く。  アレッシオの手は多くの血で汚れてはいるが、いたずらに苦しみを長引かせるような悪趣味は持ち合わせていない。  情報を吐かせるための拷問は除くとして、殺すのであれば出来るだけ苦しませず殺してやるのがせめてもの情けだと思っていた。  だからこそ、心臓か、咥内か、で迷っていたのだが。あの時は、ついついフィリッポの口煩さに耐え兼ねて銃口を口に押し込んでしまった。  そう、あの醜悪な顔の男の咥内に、だ。  思い出して、また凹んだのかアレッシオは突っ伏していたダッシュボードから顔をあげると膝の上に乗せていたベレッタを労るように撫でた。  赤のプジョーの頭上には青空が広がり、白い海鳥が忙しなく鳴いては飛んでいく。先程まで硝煙と血の匂いの中にいたことなど忘れてしまいそうなほど目の前に広がる光景は〝平穏〟そのものだった。  勿論、このプジョーを除いて、だが。 「まぁ、ベレッタちゃんもそこまで怒ってないッスよ。あれは、仕方がなかったことッスから」  カラカラと笑うトマゾに肩を叩かれたアレッシオは与えられる痛みに眉を寄せながら、執拗なまでに磨いたベレッタをホルスターの中に仕舞った。 「まぁ、な」  そう口にしたものの、アレッシオの表情はまだ晴れない。  〝これは重症だ〟とでも言いた気にトマゾが肩を竦め、小さくため息を溢したのだがアレッシオはそれすら気付けないでいた。 「それよりも、アキーレをどうするかッスよ」  落ち込んだままのアレッシオを気遣ってか、トマゾが後部座席を覗き込みながら努めて明るい声で言った。  アレッシオもつられたように後部座席を覗き込むと、猿轡を噛まされた状態で両手両足を縄で縛られたアキーレが呻きながら転がっていた。縛った当初は暴れていたアキーレだったが、今はその元気すらないのか虚ろな瞳をしてただただ後部座席に転がっている。  アレッシオは、視線を前に戻しながら隣のトマゾに訊ねた。 「このまま《ディ・マーレ》まで連れて行くのか?」  トマゾも視線を前に戻し、ハンドルの上に手をダラリと持たれ掛けさせるとゆっくり首を横に振った。 「いいえ。アキーレの性格上ターゲットと会わせるとボロがでそうなので、電話で〝自分の代理を寄越す〟ことを伝えさせるってのがいいかもッス」  アレッシオは、もう一度チラッ、と横目でアキーレを見た。  神経質そうに7対3の割合で分けられ撫で付けられた髪型は、今は無惨に崩れ、血の気をなくした気弱そうな顔にはずり落ちそうな眼鏡が辛うじてぶら下がっている。  トマゾの言う通りかもしれない。しかし、アキーレが橋渡し的存在であるのに居ないとなれば、ターゲットに怪しまれてしまう可能性がある。  アレッシオは眉間に皺を刻みながらトマゾを見た。 「怪しまれないか?」 「まぁ、多少は怪しまれるでしょうが……アキーレをターゲットと会わせるよりはまだマシですね」  まぁ、アキーレのこの状態からすると確かにそうだろう。  ――多少の危険は仕方がない、か。  フッ、と小さな苦笑いを溢し、アレッシオは狭い車内の中で精一杯に腕を広げ伸びをした。自分の性格上、スリルがある方が何だかんだと燃えるのだ。 「で、俺はあのフィリッポ役でターゲットとご対面ってわけか」  腕を下ろしたアレッシオが確認するように口にすると、思い出したようにトマゾが声を上げた。 「あ、そこちょっと変更があるッス」 「は?」  ピクリとアレッシオの肩が動く。  今更一体何を変更するのだろうか。  不思議そうな表情を浮かべ、首を捻るアレッシオにトマゾは笑みを浮かべたままだ。 「いやー、アレッシオさんとフィリッポの体型が随分と違うんで悩んでたんですが、やっぱりアキーレの代理〝アメデオ・カルヴィーノ〟としてターゲットに接触する方がいい気がするッス」  ふむ、と顎の無精髭を撫でながらアレッシオは自分の体を爪先から眺めていく。  フィリッポは脂の浮き輪をくっ付けたような腹と丸太のような足をしていたが、自分はどうだろう。  視線の先にあるのは、鍛えられメリハリのついた筋肉質な足、薄くも厚くもない胴体も年齢のワリには引き締まっている方だ。  何度も見るが、1つも似通った部分を見つけることが出来ない。  しかし、自分がフィリッポの役ではないとしたら誰がするのだろうか。  疑問に思ったアレッシオが難しい表情のまま口を開いた。 「じゃあ、フィリッポ役は誰がすんだよ」  目の前のトマゾもフィリッポとは似ても似つかない。それ以前に、トマゾはホテル内では別行動なのだ。出来るはずがなかった。  助手席のシートに背を預け考え込むアレッシオの隣、トマゾがニヤニヤと笑っていた。 「何だよ、その顔」  にやけたような顔が視界の端に映ったアレッシオはムッとした表情でトマゾを睨む。こっちは案を考えている最中だというのに、と文句の一つでもぶつけたい所だ。  しかし、アレッシオが口を開こうとする前にトマゾがアレッシオの癖のある髪に手を伸ばしながら口を開いた。 「それは問題ないッス。既にアレッシオさんのアソシエーテの中から体型が似ている者を呼んであるッス」  指先が髪に絡み、運転席側に軽く引っ張られる感覚。  アレッシオが視線を向けると驚くほど近くにトマゾの顔があった。長い睫毛が頬に触れそうなほどの距離にアレッシオの背をゾクリとした痺れが走り抜ける。  先程まで命のやり取りをしていたせいかもしれないし、だだ、溜まっていただけかもしれない。なんにせよ、アレッシオは興奮していた。  今すぐにでも目の前の男を押し倒したい衝動に駆られるが、大事な勝負の前にすることではない。  無理矢理引き剥がすようにアレッシオはトマゾの胸を運転席側へと押し返し距離を取ると、クッ、と唇をつり上げ笑った。 「用意周到だな」  そう口にして、プジョーの車窓から見える青い海に視線を逃がした。  キラキラと海面に太陽の光が反射して、白い帆を張ったヨットがユラユラと揺れている。  ――のどかなこって……。  気が抜けてしまいそうな程にアレッシオの目の前に広がる風景は穏やかだ。  ふぁ、と欠伸が1つアレッシオの口から溢れ落ちる。その隣で運転席に深く座り込んだトマゾが話を続けるべく口を開いた。 「あ、既に〝アメデオ・カルヴィーノ〟で経歴とかも作って社員名簿に乗せてあるんスよ」 「へぇ、これまたどんな肩書きでだ」  用意周到なほどの念の入れようにアレッシオの顔に苦笑いが浮かぶ。  偽装戸籍を作り上げるのも楽ではないだろうに。その上経歴まででっち上げ、更にそれを社員名簿に乗せるとなれば何れ程の労力を必要としただろうか。  アレッシオは考えただけで頭が痛くなりそうだった。  そんなアレッシオの内心を知らないトマゾは、アレッシオに無邪気なまでの笑顔を向けて答えた。 「〝第2秘書〟だったと思いますよ。勿論フィオレンティーノの構成員って設定ッス」 「設定ってわかっちゃいるが、俺がフィオレンティーノか……こう、ムズムズするな」  アレッシオは助手席の上でモゾモゾと体を動かす。敵対組織役と聞き慣れない肩書きのせいで全身にゾワゾワと鳥肌がたち、擽ったかった。  そんなアレッシオの様子を見て、トマゾはカラカラと笑う。 「まぁ、今日だけッスから我慢して下さいよ」 「はいはい、分かってるって」  溜め息を吐き出しながらぞんざいな返事をするとアレッシオは口をへの字に曲げ、むっつりと黙ってしまった。  別に怒っている訳ではないのに、アレッシオは眉間に皺が寄るのをとめられない。何故だか首の後ろが焼けつくように熱く感じ、胸中には嫌な予感が広がっていた。  ――……気のせい、だよな?  アレッシオは胸中の不安を叩き出すように目を閉じた。今日の作戦は今のところ上手くいっている。きっと、この後も計画通りに進み明日の今頃はトマゾと2人祝いの酒を傍らに情事に耽っているはずだ。 「アレッシオさん? 眠るんスか?」  トマゾの声が薄い膜1枚隔てたようにボンヤリとアレッシオの耳に届く。目を閉じるだけだったはずが、気付けば微睡みに誘われるように体が眠気を訴えていた。 「ん、ちょっとな。時間になったら起こしてくれ」  そう口にしてアレッシオは深く助手席に身を沈めた。何もかも上手くいく。そう自分に言い聞かせて、アレッシオは微睡みの中に意識を落とした。

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