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act.01

20XX年4月7日午後5時37分 イタリア南端レッチェ ホテル《ディ・マーレ》近く公園駐車場のプジョーRCZ内 「で、これからアンタに電話をかけて貰いたいんだが。勿論、拒否権は無いからな?」  こう切り出したアレッシオは後部座席、隣に座るアキーレの肩に親しげに腕を回しながらニヤリと笑った。  アレッシオが一眠りした後――、無事にレッチェで他のアソシエーテと合流したアレッシオとトマゾはスモークが貼られ黒のボディが眩しいRCZに乗り換えていた。  勿論、アキーレも一緒に、だ。  アキーレに触れる腕から彼の震えがアレッシオに伝わる。 「…………ッ」  相変わらず手足は縛られたままだが、猿轡は外されていて出そうと思えば声を出せる筈なのに、アキーレはずっと俯いたまま押し黙っている。  さて、どうするべきか、と思案するアレッシオの隣でアキーレがビクリと肩を揺らした。  アキーレの右側にはアレッシオ、左側には挟むような形でトマゾが座っているから、十中八九トマゾが何かしたのだろう。 「アキーレさん、協力してもらえないなら……」  アレッシオの予想を裏付けるように、トマゾのゾッとするほど低い声の脅しが聞こえた。  チラリと視線をずらすとアキーレの腹部に銃口が押し付けられている。 銀色の輝きを放つ大振りな拳銃はトマゾの愛用するデザートイーグルだった。 「ね? 協力してくれるッスよね?」  アキーレ越しに見えるトマゾの顔は女性ならば一発で落ちるほど甘い蕩けるような笑みを浮かべているのに、纏う空気は身を切り裂かれてしまいそうな程に鋭い。 ゴリッ、と音が聞こえてきそうな程に腹部に押し当てられた銃口からも脅しが嘘ではないと伝えていた。  アキーレの震えが酷くなり、カタカタと歯の鳴る音がアレッシオの耳に聞こえた。アキーレの今の身上には少しばかり同情する、が、それだけだ。助けてやる義理もないし、メリットもない。 「なぁ、アンタが協力するなら命だけは助けてやってもいいんだぞ?」  そう口にしたアレッシオだが、勿論嘘だった。アキーレを見逃してしまえば、余計な禍根を残すだけだ。  今は協力させるためだけにこう言っているだけであって、後程アソシエーテに消させるつもりでいた。  アキーレの腹部に押し当てられた銃をトマゾの手ごとやんわりと遠ざけると、アレッシオはアキーレの耳朶に吹き込むようにねっとりと甘く囁く。 「なぁ、今この場で消されるのと協力して助けて貰うの……どっちがいいんだ?」  アキーレが再びビクリと肩を震わせ、やがてソロリと視線を持ち上げた。  蒼白い程に青ざめた頬。普段は神経質そうな眼鏡の奥の瞳も今は涙を溢れそうな程に湛え、アレッシオに縋り付くような視線を向けてくる。  薄いアキーレの唇が震えた。 「……協力、する。だから、……殺さないで……下さい…」  消え入りそうな程のか細い声がアレッシオとトマゾの耳に届いた。  アレッシオの口角がクッ、と持ち上がる。 「よし、なら交渉成立だな」 「あ、電話を用意させるッスね」  直ぐ様にトマゾが運転席と助手席に控えていたアソシエーテ達に一言二言告げると、赤色のフレームの携帯が用意された。  アキーレを縛り上げた時に没収したアキーレの携帯だった。それをトマゾが手に取り、スルスルと操作していく。 「っと、確か今日の商談相手は……アキ、ヤマさんでしたっけ?」 「え、えぇ……」  携帯の画面を見たままのトマゾの問い掛けに、アキーレが青い顔で頷く。 「アキ……ヤマ? ……ジャッポーネの発音は難しいな……」  あらかじめ貰っていた情報で相手が日本人であることを知っていたアレッシオだったが、こうして聞いてみると難しい発音に舌が縺れそうになる。トマゾもどうやら同じ様に思ったらしく、アレッシオの反対側でウンウンと頷いていた。 「俺、イタリア人でよかったってしみじみ思うッス……っと、ありました!!」  どうやら準備が整ったようで、嬉々としたトマゾの声がアレッシオの鼓膜を震わせた。  アキヤマの番号にかけた携帯が手足を縛られたままのアキーレの耳元にトマゾの手によって押し付けられる。 「アキヤマが出たら、今日は自分が来れない事と代理の人間を寄越す事だけを伝えるッスよ? それ以外の事を話そうとしたら……その瞬間にアンタを撃ち殺します」  トマゾのその一言にアキーレがブルリと体を震わせた。  大きくもないトマゾの声がビリビリと空気を震わせ、放たれる殺気のせいで空調がきいているはずの車内なのに、アレッシオは肌寒さを感じたほどだ。それを直接向けられているアキーレはたまったものではないだろうと容易に察せられる。  自然と苦笑いが浮かぶアレッシオの隣で電話が繋がったのか、アキーレが静かに、震えそうになる声を懸命に絞り出し話し始めた。 「……あ、アキヤマさんでしょうか?その、今日は私が所用で……来られなく、なりまして……」  アキーレの口から出てきたのはアレッシオ達が聞き慣れているイタリア語だった。恐らく、アキヤマはイタリア語を話せるのだろう。  アキーレが日本語で話し始めたらどうしようか、と思っていただけに少し拍子抜けしたアレッシオだったが、聞き取れる分余計な事を喋る心配もない。  辿々しい話し方ではあるが、順調にいっているようだ。 この分なら楽にいきそうだ、などと考えながらアレッシオはアキーレの肩に回していた腕を頭の後ろで組みシートに背を預ける。 「は、はい……はい。その、代わりの者を……向かわせました、ので……えぇ、では……」  やがて、アキーレのその言葉を最後に通話が終わった。時間にして3分程だっただろうか。静かになった隣のアキーレにアレッシオは視線を向ける。 「お疲れさん、全部終わった頃に解放してやるから大人しく眠っていてくれ」 「え?」  アレッシオの言葉にアキーレの瞳が驚きに見開かれる。それと同時にトマゾがユラリと動いた。  素早くアキーレの口許に白い布を持ったトマゾの手が押し当てられ、アキーレはたいした抵抗を見せる間もなく深い眠りの中へと叩き込まれていった。  アキーレの体から力が抜け、クタリ、と後部座席に凭れたのを見届けたアレッシオは大きく伸びをした。 「さてと、そろそろ行くか……」  運転席近くの時計は、もう午後5時50分を指している。  約束の時間まで、あと10分。  短いようで長く、長いようで短い。  アレッシオはスーツの内側に隠した相棒に確かめるように触れると、RCZの扉を開けた。 「さ、勝負といこうじゃねぇの!!」

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