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act.02 I primi suoni di campana―始まりの鐘の音―

20XX年?月?日??? ????  頭が割れるように痛み、身体が自身の物ではないかのように重たい。  ――一体……俺は……。  アレッシオはぼんやりとした意識の中考えた。これは、夢なのだろうか。それとも、自分はいつの間にか死んでしまって、この真っ暗な空間が死後の世界というものだろうか。  ――……ろくな死に方じゃなかったんだろうな。  アレッシオの顔に苦笑いが浮かんだ。今まで散々この両手で人の命を奪ってきたのだ、自身の最後が安らかなものであったはずがない。  そう、例えば銃撃戦の最中に頭を吹き飛ばされたとか。爆破に巻き込まれた挙げ句に瓦礫の下敷きにされて、とか。  ――ん? ……爆破?  何故だか、その言葉がアレッシオの中で引っ掛かった。何か、大切な事を忘れているような気がしてアレッシオを落ち着かない気分にさせる。 懸命に痛む頭を働かせ、アレッシオは記憶の引き出しを片っ端から開けにかかった。  ――トマゾ……、そうだトマゾが……。  いつも傍らにいた、相棒のような弟のような、それでいて恋人のように親しかった存在がアレッシオの頭の中に浮かぶ。 彼は一体どうなってしまったのだろうか。  ――まさか、俺と一緒に?  思い出すなと言わんばかりの頭の痛みを無視して、アレッシオは懸命に思い出した。確か、あの日はカポからの命令でレッチェに向かって、それから――。  瞬間、アレッシオの頭の中にホテル《ディ・マーレ》の3階部分が閃光に包まれる光景が甦った。轟音と呼ぶに相応しい爆発音。そこから記憶が途切れてしまっているが、耳にこびりついたあの音からして、まずトマゾの生存は絶望的だとアレッシオの経験が最悪な結果をはじき出してしまっていた。 『アレッシオさん、……ごめんなさいッス……』  アレッシオの耳に悲しげなトマゾの声がこびりついて、離れない。 「トマゾ、……トマゾッ!!」  アレッシオはトマゾの名前を叫びながら、――飛び起きた。 「え?」  一瞬、状況が掴めずアレッシオは目を瞬かせながら辺りを見渡した。  何処までも白い天井に、同じく真っ白な壁。白いシーツや掛けられた布団は真新しく、明らかに自身のアパートでも計画の直前まで泊まっていたホテルでもなさそうだった。 「一体……何がどうなって……」   わけがわからないとばかりに、アレッシオは自身の頭を乱暴な手つきで掻き回した。  そもそも、自分は死んだのではなかったのだろうか。  しかし、アレッシオの身体に触れるシーツや布団の感触はイヤに現実味がある。  キャパオーバー気味の頭を抱え、ベッドの上に突っ伏しそうになるアレッシオの頭上でクスリ、と誰かが笑う気配がした。  バッ、と顔を上げるアレッシオ。目の前にはいつの間に居たのか。栗毛でエメラルドの瞳を持った美丈夫と呼ぶに相応しい男が、からかうような目付きでアレッシオを見詰めていた。 「起きたみたいだね。子猫ちゃん?」 「は? 子猫、ちゃん?」  ポカンと口を開けたまま、鸚鵡返しのように尋ねるアレッシオに目の前の男の涼やかな切れ長の二重の瞳が、それこそ猫のように細められる。  アレッシオは猫に弄ばれ、いたぶられる鼠などの小動物にでもなったような気分がした。  薄目の唇が、蠱惑的な弧をゆっくりと描き開かれる。 「そう。アレッシオ、君の事だよ」 「な、んで、……俺の名前を?」  目の前の男に見覚えなどないアレッシオは警戒心を顕に堅く尖った声でそう尋ねると、彼を睨み付けた。しかし、男はアレッシオの態度にも何処吹く風。 「ふふっ、そうやって毛を逆立てていると益々猫みたいだ」  まったく取り合っていないかのようにクスクスと笑い、からかいを口にするばかりだ。 「っ、アンタ一体誰だよ!!」  痺れを切らしたアレッシオが苛立たしげに疑問をぶつけた。キッと睨み付ける青色の瞳には明らかに怒りの色が浮かんでいて、もし、この場に彼の愛用の銃があったのならばその銃口は目の前の男に躊躇うことなく向けられていたはずだ。  が、それでもアレッシオの目の前の男には通用しないらしい。アレッシオが横たわっていたベッドの縁にやってくるなり、長く節張った指でアレッシオの顎を掬い上げた。 「〝誰〟って、酷いね。君と俺との仲じゃないか、忘れてしまったのかい?」    アレッシオの間近に、エメラルド色の瞳が迫る。その迫力に息を呑み、呑み込まれそうになるアレッシオだったが、寸でのところで踏みとどまると眼光鋭く睨みつけた。 「だから、俺はアンタなんて微塵も知ら――」  “ない”と続けるはずだったアレッシオの声は、新たな闖入者によって遮られてしまった。白衣を来た医者らしき男が、アレッシオのいるベッドを取り囲むように閉められた白色のカーテンの向こう側から顔を覗かせたのだ。 「アル、彼をからかうのはそれくらいにしてくれないかな? また倒れられたら困るんだ」  アルと呼ばれた男は不満げに白衣を着た男を睨んだが、やがて肩を竦めるとアレッシオの顎を掬い上げていた指を離した。 「先生は相変わらずお堅いですね。硬いのは下の方だけでいいと思いますが」  上品な顔をした男であるだけに、アルの口から出てきた言葉にアレッシオはギョッとした。しかし、白衣の男はまったく動じておらず、顔の左半分が隠れる程に長い前髪をため息で微かに揺らすだけだ。   「猥談をしたいのなら、パスクァーレにでも頼んだらどうだい?」  隠れていない顔の右半分、アメジストのような色の瞳が剣呑な光を湛えアルを見つめる。  睨み合う2人の間に、アレッシオは火花が散って見えた。故こんな正体の知れない2人の言い争いを見なければならないのかと、内心頭を抱えたくなるアレッシオだったが2人の雰囲気に呑まれてしまい口を挟むことが出来ない。  やがて、先に視線を逸らしたのはアルだった。 「今はそんな気分じゃないんですよ。それに、彼とはいつでもそういう話をしているせいか面白味が薄れてしまってね」  苦笑いを浮かべながらアルは、栗毛色の髪を長い指で掻き上げた。揺れる艶やかな髪と長い睫毛に縁取られたエメラルド、高い鼻梁は彼を見た人間が憧れを抱くであろうほどで、不覚にもアレッシオは一瞬見とれてしまっていた。  しかし、直ぐ様我に返るとフルフルと頭を震わせ二人を交互に睨み付けた。 「なぁ、……一体アンタ達は何者なんだよ」  それこそが、アレッシオが今この状況の中で一番知りたいことだった。  白衣の男が、考え込む素振りを見せる。 「……それは」  どう説明するべきか考えあぐねているような表情が、彼の半分しか見えない顔に浮かんだ。  揺れる前髪の隙間から、時折肉色の盛上がったようなケロイドが覗く。  焦れったい程の沈黙の中、アレッシオはただ静かに待った。やがて、アルが深い溜め息をその唇から吐き出しアレッシオに笑みを向けた。 「…………そうだね。いい加減、答えてあげなきゃ可哀想か」  フッと息を短く吐き出し、アルは艶やかに微笑んだ。 「俺はアルドロヴァンディー。長いからアルでいい。で、こっちがロレンツォ先生」  アルドロヴァンディーニが隣の長髪白衣の男を指差して紹介すると、彼は穏やかな笑みを浮かべて小さく一礼する。濃紫に近い色の絹糸のような髪が揺れ、そこから消毒薬に似た香りがアレッシオの鼻に届いた。  細めの眉の途中に丸ピアスがはめられている以外は真面目そうな印象を受けるその男の事よりも、アレッシオは別の事で頭が一杯になっていた。  ――アルドロヴァンディーニ、だって?  その名前はアレッシオが過去に何度も聞いてきたものだ。  同名の別人かとも考えたアレッシオだったが直ぐにその考えは打ち消した。こんなややこしい名前、そう何人もいるはずがない。それに、このタイミングでアレッシオ自身と無関係の人間がこの場にいるはずがない。  確認するアレッシオの声が、震えた。 「アルドロヴァンディーニ……って……カポの……」 「あぁ、君の上司にあたるね」  サラリと答えるアルを見詰めながら、アレッシオは酷い目眩を感じていた。腹の奥底からじわりじわりと熱が這い上がり、喉の辺りでグルグルと渦巻いているような感覚。  ――コイツが……。  目力だけで人を殺せるのならば、アレッシオはアルを何度も殺しているだろう。 それほど、鋭く怒りで燃え盛った瞳をアレッシオはアルに向けていた。  そんな瞳を向けられても尚、アルは薄く微笑んだままだ。しかし、その瞳は明らかに冷たく凍てついている。 「君は、俺の事が憎いだろうね。でもね、命令を下したのは俺だが敵の罠を見抜けなかったのは君達の落ち度だよ。そこで俺を逆恨みされても困るんだ」 「っ、……」  アレッシオの喉まで出かかっていた罵倒が、そこで止まった。アルの言うことは正論で、アレッシオは何も言い返す事が出来ない。ただ、悔しさと自身の情けなさに唇をキツく噛み締める。  罠だと気付くための要素は、幾つも転がっていたというのに。それに目を瞑り計画を進めたのは紛れもなくアレッシオ自身なのだ。  後から後から、キリがない程に沸き上がる後悔に耐えるように唇を噛み締めると、そこの皮膚が切れたのか鉄錆の味がアレッシオの咥内に広がった。 「……そんなに、噛み締めたらダメだ」  皮膚が破れ血が滲んでも尚噛み締め続けるアレッシオの唇を冷たく滑らかな指がスルリと撫でる。鼻先を掠めていく香りはロレンツォから香った消毒薬の匂いそのものだ。  もう一度、ロレンツォの指がアレッシオの唇の上を動く。しなやかな指先から怒りや強張りを解きほぐすような優しさを感じ、アレッシオは噛み締めるのを止めた。  顔を上げると穏やかなロレンツォの顔が間近にある。近い分、髪の間から覗くケロイドが痛々しく映るが彼もまた整った顔立ちをしていた。最後に血の滲むアレッシオの唇を一撫でし離れると、ロレンツォはアルを睨み尖った声で諫めた。 「アル、彼をあまり苛めないでやってくれ」  諌められたアルは面白くない、とばかりに顔を顰める。 「……毛を逆立てる子猫ちゃんが可愛くて、つい、ね?」  悪びれた様子のないその口調にアレッシオは頭が更に痛くなった。  ――何が可愛いだ!! 絶対遊んでやがる!!  内心悪態を吐きながら、アルを睨むとウインクされてしまいアレッシオは眉間に皺を寄せたままそっぽを向いた。 「まったく……ごめんよ。アルは、その、ああいうヤツなんだよ」 「いや、アンタも大変だな……」  この短時間の間に言葉を数度交わしただけだが、どうもアルの性格を好きになれないアレッシオは同情をロレンツォに向けた。  ロレンツォは苦笑いを浮かべているが、きっと今までアルに振り回され沢山の苦労をしてきたであろうことが容易に想像できる。  ――俺だったら絶対に嫌だな……。  気の短いアレッシオであったならば、アルの性格に早々にキレているはずだ。 「……さて、本題に移ろうか。アレッシオ、……君に聞いてほしい事があるんだ。そして、その上で俺達は君に頼み事をしたい」  コホンと咳払いを一つすると、ロレンツォはそう切り出した。途端にロレンツォを纏う雰囲気が変わり、張りつめた空気がアレッシオを取り巻く。アレッシオに向けられる視線までもが肌を刺すように鋭く、知らずの内に手がシーツを握り締める。 「……なんだよ」  少しばかり緊張で上擦った声がアレッシオの口から溢れた。 「先ずは、君が置かれている状況から話そうか。君は4月7日――あの日から約10日間眠っていたんだ」  ロレンツォの話にアレッシオは目を丸くした。体が気だるく思い通りに動かないとは感じていたが、まさかそんなに長い時間眠り続けていたとは思わなかったのだ。 「……じゃあ、今日は4月17日か?」  アレッシオの問いにロレンツォは髪を揺らしながら静かに頷く。 「あぁ、そうなるね。君が何処まで憶えてるかは知らないけれど、君は3階から海に飛び込んだ衝撃でずっと意識を失っていたんだ。まぁ、ここから不思議なのだけど……偶然、君が落下する姿を見ていた船がいて直ぐに発見され病院に運び込まれたそうだよ。運でも良かったのか全身打ち身程度、大きな怪我もない」 「ガッティーナは、運が良いんだね」  真っ白な壁に背を預けたアルが茶化すようにそう言ったが、アレッシオは睨む気になれなかった。アルの言った通り、アレッシオは昔から銃の腕と悪運だけは強かった。今回も、自身のそれに助けられたということなのだろう。  ――自分だけ助かってもな……。  アレッシオの心は晴れなかった。トマゾをあの場に置いて、運よく自身だけが助かってしまったという後悔だけが胸の中を占めている。  俯いたままのアレッシオをアルのからかいによって拗ねているだけだと思ったのか。ロレンツォは「アル、茶化さないでくれ」と一言注意をすると、態と抑揚を感じさせない堅い話し方で喋り出す。 「さて、ここからが本題だよ……君は命令を失敗させたことになる。これが何を意味するか、わかるかい?」  〝裏切り者には死を。命令を遂行出来なかった者には、それ相応の制裁を――〟アレッシオはニコロファミリーに入る前に繰り返し口にさせられた掟(オメルタ)を思い出していた。血の掟とはよくいったものだと思っていたが、まさしくその通り。破った者に待っているのは、血による粛清というわけだ。 「……まどろっこしい話なんてしねぇで、殺せばいいだろ」  アレッシオは投げやりに答えた。助かった命だが、アレッシオは自身の命よりもトマゾを助けたかったのだ。その彼がいないのであれば、もうどうでもいい。生きようが、死のうが構わなかった。  早く殺せといわんばかりのアレッシオの態度にロレンツォとアルの顔に苦笑いが浮かんだ。 「まぁ、本来はそうなんだけどね……事態が事態だけにそういうわけにもいかないんだよ、ガッティーナ」  てっきりこの場ですぐに殺されると思っていたアレッシオは手を下してこない2人に首を傾げた。  事態、とは一体どういうことだろうか。答えを求めるように視線が2人に向かう。  アレッシオの瞳を真っ直ぐに見返したロレンツォの唇がゆっくりと開かれた。 「アレッシオ、君は君のアソシエーテの仇をとりたいとは思わないか?」 「……トマゾの?」 「そう、彼や他のアソシエーテ達のだ」  静かな凪いだ湖面のような瞳を見詰め返しながら、アレッシオの腹は決まっていた。 「とりたいに、決まってるだろう……ッ!!」  憎き仇に叩き付けるような怒りに満ちたアレッシオの叫びが、病室の空気を揺らした。先程までアレッシオの胸の内は諦めが占めていたが、今は怒りで荒れ狂っている。  眠っていた10日間の間に伸びきった無精髭、少し痩けた頬。決して健康的とは言い難い顔の中で瞳だけは怒りの炎でギラギラと輝いていた。 「なら、話は早いね。君の手の中にはチャンスが転がり込んできてる。だが、この話を聞いたら君はもう後戻りすることは出来ない。それでも、君は……復讐を選ぶか?」  ロレンツォの最後通告のような確認に、アレッシオは一二もなく頷いた。〝復讐〟二文字を聞いた瞬間からアレッシオにはそれしか見えなくなっていたのだ。 「アイツの仇をとれるんだったら、何だってしてやる。どうせ、断ったら殺すつもりなんだろ? 俺もそこまで馬鹿じゃねぇよ」 「そうかい。なら、俺達の頼み事を話そうか。アレッシオ、君に――」  ロレンツォが言葉を区切り、病室に静寂が訪れる。いや、実際は静寂ではなかったかもしれない。病室の窓の向こう側からは鳥の鳴き声がしていたかもしれないし、病室に置かれた機材が小さな音を立てていたかもしれない。  しかし、アレッシオには聞こえていなかった。耳が痛くなり、居たたまれなくなる程の静寂の後、ロレンツォは悪魔のような笑みを浮かべて唇をゆっくり。ゆっくりと、開いた。 「君に、ボスになってもらいたいんだ」

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