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act.02
パスクァーレに諫められても、暫し睨み合うアルと男だったが、やがてアルは面白くないとばかりに鼻を鳴らすとソファにドッカリと座り込んだ。
男の方も、頭に昇っていた血が下がったのかバツの悪そうな表情を微かに浮かべ静かにアルとは反対側、アレッシオから見て左手のソファに腰を下ろした。そうして、ゆっくりと紅茶を啜り、落ち着きを取り戻した彼が顔を上げる。
「……コホン、失礼しました。申し遅れましたが、私はエンツォと言います。主にこのニコロファミリーの財務を任されています」
神経質そうだと、予想していたがやはりその通りだったようだ。噛みそうなほどに長ったらしい挨拶にアレッシオは頬をひきつらせた。
しかし、この部屋に入る前にアルに言われたことを思いだし無理矢理笑みを作ると立ち上がりエンツォの方へと手を差し出した。
「エンツォ……か、よろし――」
「私はアナタとよろしくするつもりは微塵もありません」
ピシャリとエンツォに言い切られ、アレッシオは手を差し出したままという間抜けな格好で固まった。
――……コイツ、一々腹立つな。
内心、怒りで一杯で浮かべた笑みが不格好に歪む。
握り返されなかった手を下ろし、アレッシオが座ろうとした所でエンツォが再び口を開いた。
「で、幾ら払えばよろしいですか?」
「は?」
唐突な問い掛けに、アレッシオはポカンと口を開けて首を傾げる。
問い掛けた本人はというと、馬鹿にするような冷ややかな視線をアレッシオに向けていた。
――……何でいきなり金の話になってんだ?
時間ばかりが過ぎていく中、エンツォが苛立たしげにローテーブルを指先で叩く音ばかりが室内に響く。しかし、いくら急かされてもアレッシオは答えない。質問の意図が分からない以上、アレッシオがエンツォの問いに答えられるはずがなかったのだ。
とうとう痺れを切らしたエンツォが一際強くテーブルを叩くと、アレッシオに敵意を剥き出しにした瞳を向けた。
「幾らでも払って差し上げますから、さっさとここから出ていって下さい。私はアナタを認めていませんし、ボスの器に相応しいとも思いません」
「はぁ!?」
この言葉にはアレッシオも絶句するしかなかった。
アレッシオ自身が承諾したとはいえども、半ば脅されるような形で引き受けたボスの座なのに、何故ここまで言われなければならないのだろうか。
あまりにも理不尽すぎるこの状況にアレッシオの中で沸々と怒りが沸き起こる。
それにだ、アルやロレンツォから助け船がでるのを期待していたのだがロレンツォはエンツォの隣で静かに紅茶に口をつけていて、アルはジッとアレッシオを見つめているだけだった。
アルの隣のパスクァーレに至っては傍観をきめこむ2人よりも更に質が悪く、アレッシオの窮地を笑って楽しんでいる。
「うわぁ〜、エンツォ、容赦ねぇ……」
そう口にしながらケラケラと笑うオレンジ頭の男が今一番アレッシオにとって腹立たしいと思う存在だった。
――パスクァーレのヤツ後でシメる!!
怒りで肩を震わせるアレッシオだったが、ロレンツォがティーカップをテーブル上に置く微かな音に顔を上げる。
「エンツォ、これはボス――ニコロ直々の指命なんだ。君の不安も分かるが、ボスの命令は絶対である以上覆すことは出来ない」
反論を許さないとばかりの雰囲気にエンツォは一瞬たじろぐも、やはり納得出来ないのか、高ぶった感情のままに口を開く。
「しかし、ロレンツォ…こんな何も考えていなさそうな人間が上に立つと組織がどうなるかぐらい予想がつく筈です!! 私は、組織のためを思って言っているのですよ」
バンッ、と机を叩く音が荒れた今のエンツォの内心を物語っているようだった。
一方、何も考えてなさそう、などと言われたアレッシオは図星を突かれたことにより怒りも吹き飛んでいた。確かにエンツォの言う通り、アレッシオの頭の中には復讐しかなかった。それは果たしてボスとして正しいのか、正しくないのか。
アレッシオの中で揺らぎが生まれていた。
「あー、まぁ……確かに中途半端な覚悟で上に立ってもらっちゃ困るわ。なんせ、ボスってのは組織の人間何百人もの命がその肩に乗ってんだからな」
そう口にしたのは、先程まで笑っていたパスクァーレだ。精悍な顔付きから笑みが消え、カポとしての厳しさが顔を覗かせる。
「……っ」
アレッシオは、内心で自身の浅慮を嘆いていた。復讐を目的に引き受けたボスの座だが、パスクァーレの言う通りその肩には何百人もの命が乗っかっているのだ。その重みと責任の大きさにアレッシオの肩が細かに震える。
逃避するように閉じた瞼の裏側にはトマゾの悲しそうな顔が焼き付いていた。
――また、あんな思いをしなけりゃならないのかよ……。
数人の部下の死でさえ思い出すだけで自身の迂闊さと情けなさ、怒りで胸が一杯になり、胸が酷く痛むのに。それを何十、いや何百と背負わなければならないという事実にアレッシオは臆していた。
「アレッシオ、今のを聞いて恐くなったかい?」
アレッシオの怯えに目敏く気が付いたアルがティーカップを長い指で持ち上げ、中の琥珀色の液体を揺らしながら問い掛けた。
心の奥底まで見透かされるような瞳に見詰められ、アレッシオは押し黙ったまま下を向く。そんなアレッシオの反応が気に入らなかったらしいエンツォが今が好機だとばかりにロレンツォへと詰め寄る。
「やはり、相応しくなかったのですよ。ロレンツォ、早急に他の代理を見つけましょう」
「うーん、俺としてはニコロの意向を汲んで彼に頑張って欲しいんだけれど……」
ロレンツォは首を縦に振ることはしなかったが、それも時間の問題かもしれなかった。
このままエンツォに押しきられてしまえば、アレッシオはボスの座に付かなくてすむ、との考えが一瞬頭を過ったが現実はそう甘くはないはずだ。恐らく、ボスの座に座らないとアレッシオが口にした時点で目の前の幹部の内の誰かに殺される確率が高い。それだけは何としても避けたい事態だ。
――どうすりゃいいんだよ……。
今この場に人の目がなければ、アレッシオは頭を抱えて机の上に突っ伏していたかもしれない。それほどに悩んでいた。
「ロレンツォ、……彼に任せた挙げ句にファミリーが潰れるより、有能な人物にボスの座についてもらいファミリーを存続させる方がずっといいはずです」
もうエンツォはアレッシオを見ることすらせず、ひたすらにロレンツォを説き伏せにかかっていた。困惑したような表情を浮かべたロレンツォも、若干エンツォの意見に傾きかかっているかもしれないと思うとアレッシオの心に焦りが生まれた。
「うーん、有能な人物ねぇ……誰かいたか?」
パスクァーレの声がアレッシオの頭の中に無情に響く。
「少し癖はありますが、ヒシギはどうでしょう? 彼ならロレンツォの次に古株ですし、求心力もあるかと思います」
事務的な口調のエンツォの言葉をぼんやりと耳に拾いながら、この場にやはり自分はいらないのだという事実にアレッシオは打ちのめされかけていた。座り心地のいいソファに座っている筈なのに、重たい身体はこのままズブズブと際限なく沈み込んでいきそうな気さえする。
このまま、尻尾を丸めて逃げ帰った方がいいのではないか。そんなふうにアレッシオが考え始めた時だった。
ティーカップを乱暴にテーブル上に置くような音が、アレッシオの沈んだ意識を引き上げる。
「俺は反対だ」
アルの凛とした声音にアレッシオが顔を上げた。それと同時にアレッシオの方を向いたアルと目が合い、悪戯っぽく微笑まれると先程まであれだけ嫌っていた筈なのに。心の中に、光が一筋差し込んだような気がした。
アルはエンツォに険のある瞳を向けるとその薄い唇を滑らかに開く。
「ヒシギは大雑把過ぎる部分がある。それに、そもそもボスはアレッシオを指名したんだ。俺は彼以外は認めないよ」
アルの言葉にアレッシオは胸が痺れた。心強い味方を得たようで、気分も幾らか浮上するが、それと同時に疑問も感じていた。
アルとはたった数日前にあったばかりで、顔を合わせた回数も数えるほどしかない。それなのに、ここまでアレッシオ自身を買ってくれているのはなぜだろう。
しかし、今はそれに助けられているのも事実。アレッシオは喉まで出掛かった疑問を呑み込む。
アルの反対にピクリと眉を跳ね上げさせたのはやはりエンツォだった。充血したようにもみえるピンクの瞳が剣呑な光を湛えアルを見詰めている。
「……ですから、その彼が無理なようですから代わりを探しているのです。それとも、そこの彼をその気にさせるような案が貴方にあるのですか? はっきりと言わせて頂きますが、ただ貴方は私の邪魔をしたいだけではないのですか?」
「俺はただ事実を述べただけだよ。エンツォ、お前の案は穴がありすぎる」
最初から分かってはいたが、アルとエンツォはとことんウマが合わないらしい。アルの言葉が火に油を注ぐ結果となり、早くも怒りが沸点に達したエンツォがグロック17をアルに向けた。
「ッ!! 言わせておけば……その頭、今すぐ吹き飛ばして差し上げますよ」
スライドを引く音が大きく聞こえ、エンツォの指がトリガーにかけられる。しかし、アルもエンツォの行動を読んでいたらしく既にその手にはコルト・ガバメント(M1911)が黒光りする銃口をエンツォへ向けていた。
「ふん、やれるものならやるといいよ。ただし、お前の頭にも風穴が空くことを覚悟するんだな」
古めかしいフォルムがしっくりとアルの手の中に収まり、エンツォの頭の一点を狙っていた。
いつでも発砲してもおかしくない状況に、アレッシオの胆が冷えゾワゾワと冷たいものが背筋を這い上がってくる。
ピリピリと肌を刺すような緊張感が満ちる空間に「あー、まずったなぁ」と、パスクァーレの場違いな能天気な声が響き、アレッシオはギョッとしながらもそちらを向いた。
「こりゃ、一時避難した方がいいか? ロレンツォ、アンタはどうする?」
などと言いながらパスクァーレは既にソファから立ち上がり避難の準備を始めようとしている。
「そうだな、このティーカップだけでも避難させておこうか」
パスクァーレに尋ねられたロレンツォも、自身の分のティーカップとソーサーを片手にソファから立ち上がろうとしていた。
――は? 誰も止めないのかよ!?
こうしている間にも二人が発砲し始めるかもしれないのに、傍観を決め込むつめりでいる残りの二人にアレッシオは呆れと怒りを感じる。だいたい、話題に上っている本人を差し置いて内輪揉めを始めるのもおかしいし、頭に来たからとすぐに銃を持ち出すのもおかしい。
兎に角、挙げるとキリがないほどにおかしいことだらけで、更に散々悪態を吐かれ鬱憤が溜まっていたこともあり、アレッシオの堪忍袋は限界を超え――ついに、プチリと切れた。
「っ、〜〜ッ!! いい加減にしろ、このくそったれ共!!!!」
気が付くと、アレッシオ自身も驚くような怒号が口から飛び出ていた。
「ッ!?」
「……子猫ちゃん?」
流石にこれには銃を向けあっていた二人も驚いたらしい。見開かれたピンクとエメラルド色の瞳がアレッシオを凝視していた。
ジィィン、と鼓膜の痺れるような余韻を感じながら、アレッシオは治まらない怒りを吐き出すように口を開いた。
「さっきから聞いてりゃ、〝出来ない〟やら〝相応しくない〟やら言いたいことを言いたい放題言いやがって!! 挙げ句、内輪揉めだぁ?」
一気に話したせいで軽く酸欠のようになっていたが、アレッシオは構わずに続けた。
「やりゃいいんだろ? やってやるよ!! 何百人いるかわかんねぇが、全員の命背負えってなら背負ってやる!!」
バンッと力任せに両手の平で叩いたテーブルの上で、ティーカップが跳ね耳障りな音を立てた。
その後に続くのは静寂。シンッ、と静まり返った室内で動きを止めた4人の男達が驚いたような瞳をアレッシオに向けている。
やがてーー
「ぷっ、くくっ……!! くくッ、ハハハッ!!!!」
と、パスクァーレが堪えきれないといったふうに笑い出した。腹を抱え、転げ回るのではないかと思うほど笑う彼に、アレッシオは不愉快さを覚えたのは言うまでもない。
アレッシオは眉間に何時もより2割増しの皺を寄せパスクァーレを睨むと、視線に気付いたパスクァーレは笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いアレッシオへと拍手を送った。
「ヒュウッ!! 言うじゃねぇの、ボス!!」
どこか茶化すようなその言葉に、アレッシオは「うるせぇ、馬鹿パスク」と言い捨て、そっぽを向く。
アルはというと満足そうな表情で「ふふっ、流石俺の見込んだ子猫ちゃんだ」と、どこか誇らしそうですらあった。
「これは、エンツォ……君の負けだね?」
ロレンツォの一言にエンツォの顔が端から見ていても分かるほど歪む。そうして、暫く押し黙った後、それは大きな溜め息を溢すと、不愉快だと謂わんばかりの表情でエンツォは口を開いた。
「っ、…………分かりましたよ。……全くもって不本意ですが、力は貸して差し上げます。ただし、私はまだアナタをボスだと認めたわけではありませんので、そのことはお忘れなく」
念を押すように付け加えられた一言の方が本音のような気がしたが、アレッシオは黙っていることにした。
「分かってるよ」と、ただ頷き、ソファにもたれ掛かる。
余計な事を言って、また絡まれでもしたら敵わない。
落ち着きたくて深呼吸すると徐々に頭の中も冷えていき、アレッシオは自身のとった行動の大胆さと度胸に驚いていた。もし、4人が話して分からないような相手であれば今頃アレッシオの体は無傷でなかった筈だ。
危ない橋を知らず知らずのうちに渡っていたのだと思うとアレッシオは顔に苦笑いが浮かぶのを止められなかった。
「で、なんでこんな事態になってんのか……聞かせてもらえるんだろ?」
凭れるように座っていたソファへ浅く座り直し真面目な表情に戻すと、アレッシオはずっと気になっていた事を口にした。途端、今まで笑っていたパスクァーレまでもが真面目な表情になり、重たい空気が室内を満たす。
そして、アルが皆をぐるりと見渡し、やや間を置くと「……これから話す事は他言してはいけないよ、子猫ちゃん」と、口火を切った。
「話した場合、貴方の首が文字通り飛ぶと思っていて下さい」
こんな時ばかり結託するのはいかがなものかと思うが、殺意の籠ったピンク色の瞳に見詰められアレッシオの背筋を恐怖が駆け抜けた。
ゴクリ、と唾液を嚥下する音がやけに大きく聞こえる。
「あぁ」
額を伝う汗を拭うことすらせずアレッシオは、ただ頷いた。
そんなアレッシオの様子とは正反対にゆったりとソファに座り込むロレンツォが長い脚を見せ付けるように組み替える。優雅、とも言える動きで指先にティーカップを引っ掛けると口に運び、喉を鳴らした。
焦らされている。
アレッシオがそう感じる程に間を置くと、ロレンツォは漸く口を開いた。
「アレッシオ、君が《ディ・マーレ》の爆発事件に巻き込まれた次の日に……ニコロが……何者かに襲撃された」
「はぁ!? ちょっと待てよ、ボスは無事なのかよ?」
驚くべき情報にアレッシオは目を剥き、ソファから飛ぶようにして立ち上がった。その上半身はローテーブルの上に乗り出すような形で、ロレンツォに詰め寄らんばかりの勢いだ。
ロレンツォはそんなアレッシオを宥めるように声に優しさを宿し、話を続けた。
「あぁ、幸い命に別状はない。しかし、敵を捕まえるまでは油断が出来ないから今は俺以外誰も知らない別邸で養生しているんだ」
ドッ、と安心感がアレッシオを襲い、アレッシオは膝から崩れ落ちるようにソファへと座り込む。ボスと直接面識はないものの、やはり同じ組織の仲間が死ぬのは気分がよくない。
胸を撫で下ろすアレッシオだったが、そこで不意にある疑問が頭の中に浮かんだ。
「なぁ、ボスが健在なら俺がボスになる必要ってあるのかよ?」
「本来ならあるはずがありません」
実に不機嫌そうなエンツォがアレッシオに敵意丸出しの視線を向けながら答えた。
今日が初対面であるのにこうまで嫌われているとアレッシオはいっそ清々しい気さえする。どちらかというと、アルの方が鬱陶しい上にやたらと構ってくるからアレッシオは苦手だった。
アレッシオの中でエンツォに対しての好感が少しばかり浮上した所で、ロレンツォが言葉を継いだ。
「まぁエンツォの言う通り、本来ならないんだが……なんでも〝俺もそろそろ楽してぇからな、今回の件は丁度よかったぜ〟だそうだ」
恐らくボスの真似なのであろうロレンツォの口調と低い声に、アレッシオの表情筋がピクピクと震えながら苦笑いを作る。
実物を見たことがないから形容のしようがないのだが、恐らく似ているか。又は掠りもしないほどに似ていないか。どちらかなのだろう。
「うわぁ、ボスらしいぜ……」と口にするパスクァーレが渇いた笑いを溢している点からすると、ロレンツォの真似は似ていない方なのか。
アレッシオはそんなどうでもいいような事を考えていたが、胸中は別の事が占めていた。先程から沸き起こる〝何故?〟という疑問が心を波立たせている。それは最早胸中にしまっておけるものではなく、アレッシオの口から溢れだした。
「……何で俺なんだよ? ボス直々の〝指命〟なのは分かってるが、俺はボスと直接面識はなかったはずだぞ?」
この問いに対して何らかの答えが貰えたならば多少は気分もスッキリすると思っていたアレッシオだったが、答えは返ってくることはなくロレンツォの顔が曇るばかり。
「さぁ、俺はその事に関しては何も聞かされてない。ただ、〝アレッシオ、とかいうヤツをボスにしてみろ〟と言われだけだ」
お手上げだよ、と言わんばかりに肩を竦められてはこれ以上追及する気も失せるというもの。
アレッシオは落胆の色を隠せず、ソファに沈み込んだ。
――肝心な部分がわからねぇ……。
解消されない疑問を抱えることほど気持ちが悪いことはない。
普段使わない頭をフル回転させていたのだ。アレッシオはキャパオーバーで頭痛のする頭を押さえ瞼を下ろす。
「アレッシオ、気になるなら全てが終わってからボスに聞くといいよ」
労るような色を帯びたアルの言葉に、〝悩んでいても仕方ない〟と堂々廻りの思考に区切りをつけたアレッシオは素直に頷くことにした。
「……わかったよ」
アレッシオの素直な一声にアルが笑みを浮かべていたが、アレッシオは気恥ずかしさやら疲労感やらで見て見ぬ振りをした。
「で、当面の目標はボスを襲ったヤツを取っ捕まえるってことでいいんだよな?」
本当はトマゾの仇をとりたいところだがボスである以上、組織の事を考えなければならないだろうと踏んでアレッシオはそう口にした。先程、ロレンツォの口から条件としても〝ボスの襲撃犯を探す〟と出されているのだから、それを反意にするとなればこの場で撃たれてもおかしくない。
――生きてりゃ、チャンスはあるんだ。
アレッシオは自身の気持ちを納得させるような言い訳を作り上げ、言い聞かせた。しかし、アルにはそんなアレッシオの嘘もお見通しだったらしい。
「そうだね。それと、ガッティーナの復讐相手も探すこともだよ」
サラリ、とそう口にして蕩けそうなほどの笑みを浮かべるアルに、アレッシオはうすら寒いものを感じた。
それと同時に自身の未熟さを痛感する。今、アレッシオが目の前にしている人物達はアレッシオよりも知略に富んでいるに違いない。それをこれから従え、まとめ上げていかなければならないのだ。
頼もしいようでいて、しかし常に不安がつきまとう。
――……でも、やるしかねぇんだよな。
その道しかアレッシオに残されていないのであれば、アレッシオは何処までも突き進んで行く気だった。
再び静寂が室内に訪れた。
アレッシオはこの部屋の雰囲気にも多少は慣れたのか、ソファに深く腰掛け天井のシャンデリアの明かりをボンヤリと見つめていた。アルやロレンツォは静かに紅茶を口に運び、エンツォは神経質そうに指先で卓上をトンッ、と打ち鳴らす。
もうこれ以上話すこともない。そろそろ自宅に戻ってもいいだろうかとアレッシオが思い始めた時だ。
「……………なぁ、今更なんだがボスって普段何しとけばいいんだ?」
〝ボスになってやる!〟と啖呵を切ったものの万年構成員の身であるアレッシオには、ボスの通常業務など全くわからない上に想像もつかなかった。
呆れられるだろうか、と恐る恐る告げたアレッシオにロレンツォが生徒を可愛がる教師のように慈愛に満ちた笑みを向ける。
「あぁ、その件は気にしなくていい。今すぐに君にボスがやっていたことを全てやれとは言わない。これから少しずつ俺達カポがサポートしながら慣れていってもらうことになる」
安心すると同時に、ロレンツォの優しさがアレッシオの神経を少しばかり逆撫でた。アレッシオが知らないのも無理はないのだが、自身が無知であると突き付けられているようで気分はよくない。
「まぁ、大体は重要な案件の判断や、大まかな金の管理、来客の対応や視察程度かな。細かな金の流れはそこの堅物が管理するから」
ムッとするアレッシオを笑うように忍び笑いを溢すアルが続けると、〝堅物〟とエンツォを指差した。その瞬間アレッシオは、ピシリ、と空気にヒビが入ったように感じた。
エンツォの顔に凶悪な笑みが浮かび、こめかみにうっすらと青筋がたっているようにさえ見える。
「堅物……貴方はよほど私に頭を撃ち抜かれたいんですかね?」
ユラリ、と動くエンツォにいち早く反応したのはアルだった。
「いいや? 子猫ちゃんとのデートが待ってるから、遠慮しておくよ。さ、行こうか」
そう言われた瞬間には、アレッシオの腕はアルに掴まれていた。そのままグイグイと引っ張られ、いとも簡単にソファから腰が浮き上がる。
「は? あ、ちょっと待てって!!」
アレッシオは抗議の声を上げるのだが、アルは全く聞くつもりがないのかアレッシオの腕を引くばかり。アルに腕を引っ張られている以上アレッシオは付いていくしかなかった。
重厚な木の扉を通り抜けたアレッシオの後ろでパスクァーレの声がする。
「じゃあな、アレッシオ! また後でなー!」
アレッシオの「またな」との返事は扉の閉まる音に掻き消されてしまった。
なし崩しのようにアルに手を引かれ歩く通路の中、アレッシオはパスクァーレの言葉が妙に頭に引っ掛かっていた。
――また後で? ……まるで、直ぐにここに戻ってくるみたいに言いやがって。
そう心の中で悪態吐くアレッシオだったのだが、この後その理由を知ることになるなど思ってもいなかったのだ。
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