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act.02
20XX年4月21日午前11時33分
イタリア プーリア州バーリ
アレッシオ自宅前
「………嘘、だろ?」
アレッシオは放心したように立ち尽くしていた。
目の前には長年住み慣れたオンボロアパートが存在していたはず、なのだが。
一体どうしたことなのだろうか。
重機やそれを動かす人々が瓦礫の間を動く姿が見えるばかりで、住み慣れた我が家は元の形を無くしていた。
時折吹き付ける風に砂埃がまじり、アレッシオの体にまとわり付く。しかし、そんな煩わしさなど感じない程にアレッシオは目の前の光景に衝撃を受けていた。
「さぁ、子猫ちゃん。君の生活用品を買いに行こうか」
アレッシオの後ろで成り行きを見守っていたアルが告げた一言にアレッシオの中の何かがプツリ、と切れた。
「ふざけんなッ、このクソ野郎!! 一体、コレはどういうことだよ!!」
怒号が辺りのコンクリートや煉瓦の壁やらにぶつかり、わんわんと響いた。あまりの大きさにアパートを解体中の作業員も何事かとアレッシオ達の方を向く。
「子猫ちゃん、そんな大声をだしたら変に思われるよ?」
アルの一言に〝誰のせいだ〟と文句をぶつけたいアレッシオだったが、周囲の目を気にしてなのか。今度の怒号はそのままグッ、と飲み込んだ。
腹いせに足の一つでも踏んづけてやりたい所だが、まだ目の前の光景のショックが尾を引いているらしく、アレッシオは体が動かなかった。
ただ、ガラガラと崩れていく瓦礫を呆然と見つめている。
ボロいボロいと文句を言っていたアレッシオだったが、何だかんだと気に入っていた。それに、あの場所にはトマゾとの思いでもある。
何だか心にポッカリと大きな穴が空いてしまったようで、冷たい風がそこから体内へと吹き込むようだ。
「……ッ」
「子猫ちゃん?」
心配そうなアルの声が聞こえ、アレッシオは振り向いた。
流石にやり過ぎたと感じているのだろうか。アルはバツの悪そうな表情をその整った顔に浮かべていた。
「仕方がないとはいえ、悪かったね。けれど、安全面を考えると今までと同じようにはいかないんだよ」
「……わかってるよ」
本当はこの光景を目にするまでアレッシオはわかってなどいなかったのかもしれない。現に、これまでと同じよう過ごしていけると思っていたのが何よりの証拠だった。
「さぁ、行こうか。色々と揃えなければならないだろう?」
「あぁ……」
アルに促され、アレッシオは漸く動き出した。
ノロノロと足取りは重く、遅く。何度も後ろ髪を引かれるように振り返るが、あるのは瓦礫ばかり。そこにアパートだった頃の面影は僅かに残るばかりで、アレッシオの胸を締め付けた。
ゆっくりとだが、着実に遠ざかり――やがて、路地の曲がり角に阻まれてアレッシオの昔の住処は見えなくなった。
代わりに現れたアルの車―赤のオープンカータイプのアルファロメオ―の助手席に、アレッシオは重たい体を引きずるようにして乗せた。
アレッシオが車に乗ったのを見届けてからアルが運転席へと乗り込むと、流石と言うべきか。手慣れた手付きでエンジンをかける。
アレッシオの耳に聞こえてきたのはトマゾとよく乗っていたあの赤のオンボロプジョーとは違うエンジン音で、そこでも違いと現実を突き付けられたような気分だった。
「時間が時間だし、先ずは腹ごしらえといこうか」
チラリと高価そうな腕時計を確認したアルのそんな提案と共に、アレッシオを乗せたアルファロメオが滑るように動き出した。
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20XX年4月21日午後5時41分
イタリア プーリア州バーリ
ニコロファミリー本部前
グルリと張り巡らされた高い煉瓦塀と有刺鉄線は見ている者に刑務所を彷彿させるかもしれない。アレッシオも、こればかりは〝何度見ても慣れない〟というのが率直な感想だった。
煉瓦塀とは違う大きな鉄門の前にアルファロメオは滑らかな動きで横付けされた。
「子猫ちゃん、着いたよ」
「ん……あぁ」
眠気の残る声で答えたアレッシオは、大きな欠伸をした。霞む視界をはっきりさせようと頻りに腕で目を擦るが、その動きさえも疲労のせいで緩慢だった。
「大丈夫かい?」
「誰かさんのお蔭でクタクタだ」
〝誰かさん〟と態とらしく強調してアルを睨んだアレッシオだったが、当の本人はただただ穏やかに笑うばかり。
アレッシオが住んでいたアパートを訪れた後、アレッシオ達はまずは空腹を癒すために食事にいくことにしたのだが――そこでも違いを思い知らされた。
アレッシオが連れて行かれたのはイタリアでも名店と名高いリストランテだった。 当然、そんな場所に縁がないアレッシオである。
食事作法も昔に教わったことがあるかもしれないが、今の今まで気にしたことなどなかった。
その時ばかりは作法を気にしてこなかった自身に後悔していたアレッシオだったが、後悔で状況が良くなることもなく――、結局カチコチに固まりながら高級そうな食事を口に運んだが当然食べている気などせず、疲ればかりが増した。
次に連れて行かれたのは日用品の揃うような店だったのだが、やはりここも高級嗜好の店なのか。アレッシオが普段使っていた品ものよりも桁が2桁程違う値段を見た時には倒れそうになったほどだ。
そして、更に問題だったのがアルがやたらとアレッシオに物を買い与えようとすることだった。
何か見つける度に「アレはどうだい?」、「これなんか、ガッティーナに似合うんじゃないかな?」と持ってくる品々はどれもアレッシオがひっくり返りそうになる程の値段で。その度に理由をつけては断るの繰り返しで、気力やら体力を多大にすり減らした。
それを何店も続けていれば、当然疲れるというもの。最後の店を回った後、疲労もピークに達していたアレッシオはアルの隣で不覚にも眠ってしまっていたのだ。そして今に至る、というわけだ。
鉄門が軋んだような音を立てて開き、前方に大きな屋敷が現れた。それと同時に見張りをしていたのであろう男達数人が恭しく頭を下げてきて、アレッシオは少しばかり戸惑いを感じた。
「お、おい、この荷物どうすんだよ?」
戸惑いを誤魔化すようにアルへ話を振ったアレッシオ。
アルはというと、すでに運転席から出てアレッシオの座る助手席のドアを開けて待っていた。
「後で手が空いている奴に運ばせるから大丈夫だよ」
チラリとアレッシオが後ろを見ると買い物袋が文字通り山のように積み上げられている。懸命に断ったアレッシオだったが、アルファロメオの後部座席に鎮座しているこれらはそれでもアルが押し切って購入したものが殆どだ。
――いらねぇって言ってんのに、入浴剤なんか買いやがって。
普段風呂などシャワーで済ませているアレッシオは入浴剤など無駄なものは必要ないと突っぱねたのだが、一瞬目を離した隙にアルは強引に購入してしまっていた。
勿論、アレッシオは使う予定など微塵もないので誰かに譲るつもりでいる。
「子猫ちゃん、どうかしたのかい?」
いつまでも車から降りようとしないアレッシオを心配したのか、アルがアレッシオの顔を覗き込んだ。
目の前の顔は悔しいほどに整っていて、滑らかな肌と栗毛色の髪にエメラルドのような瞳がよく映える。
性格には多少難があるが、紳士的であるし女性が放っておくはずがないと思うのだが、何故こうも自分に構うのだろうかとアレッシオは疑問に思っていた。
「……なぁ、なんでこんなに俺によくしてくれるんだ?」
「それはね、俺が子猫ちゃんに一目惚れしたからだよ」
何か重大な答えが返ってくるかもしれないと予想していたアレッシオだったがどうやら考え過ぎだったようだ。軽い口調での告白に「はいはい」とぞんざいな返事をすると、アレッシオはアルを置いて先に歩き出した。
鉄門をくぐり、数十メートルほど歩くとカポ達と顔合わせをした部屋の扉のような重厚な木の扉がアレッシオの目の前に立ち塞がる。アルはすでにアレッシオに追い付いて、隣に並んでいた。
「お帰り、アレッシオ。今日からここが君の家だよ」
〝お前達が帰る場所を奪ったくせに〟と悪態吐きたくなったのは一瞬。アレッシオは覚悟を決めると扉に手をかけて開いた。
キイッ、と軽い音を立てて開かれる扉を抜け、アレッシオが一歩踏み出した時だ。
パァンッ!!
突如発砲音が聞こえ、反射的に目を瞑った。思わず人生の終わりをも覚悟したアレッシオだったが――
「……ん?」
いつまで経っても痛みは訪れない。それどころか、何だか頭に何かが触れる感覚がある。
パチリと目を開けるとまるで悪戯が成功した子供のように無邪気に笑うパスクァーレがいた。
「お前、……何してんだよ?」
「何って、歓迎だよ。カ・ン・ゲ・イ」
そう言ってパスクァーレは手に持っていたクラッカーの残骸らしき物を振った。 火薬の匂いは確かにそこからしていた。それに、アレッシオ達の周りには色とりどりの紙吹雪の成れの果てが床に散っている。
「一瞬襲撃かと思ったじゃねぇか」
「ハハッ、ドッキリ成功だな」
アレッシオがぶちぶちと文句をぶつけるも、パスクァーレは悪びれた様子もなく笑うだけ。謝罪らしい謝罪は聞けないだろうとアレッシオは早々に諦めていた。
「ハァ……で、お前も知ってたんだな? だからあの時〝また後で〟なんて言いやがったのか」
重たいため息がアレッシオの唇から溢れ出た。髪に絡んでいるであろう紙吹雪を乱暴に払いながら、パスクァーレを睨む。
「まぁな。でも、アレは俺の独断でやったわけじゃねぇから。カポ達の半数以上が賛成したからやったことだぜ?」
あっさりと認めた彼にやはり悪びれた様子は見受けられず、アレッシオは痛む頭を押さえた。先程会っていた人物達の中で、知らなかったのは自分だけだったのだと思うと情けないし、怒りも沸く。
「発案者は?」
険のある目でアレッシオはギロリとパスクァーレを睨むと、その瞬間、笑みを浮かべていたパスクァーレが僅かながらにたじろいで視線を逃がすように逸らした。
勿論、それを見逃すようなアレッシオではない。
態とらしい程の笑みを浮かべ、ジリジリとパスクァーレとの距離を詰めていくと、パスクァーレもアレッシオの不気味な笑みに観念したのか。「あー、俺?」と苦笑い混じりに白状した。
「……後で1回殴る」
握った拳を見せつけ、アレッシオは笑う。今まで色々と我慢していたが、正直限界だったのだ。
「いやーん、アレッシオちゃん許してくれって!!」
野太い男の猫撫で声など気持ち悪いものでしかない。アレッシオの全身に鳥肌が立ち、ゾゾゾッ、と悪寒が背筋を這い上がる。
「気持ち悪い声出すなっ!!」
聞くに耐えない声にアレッシオは思わず握った拳を振り上げていたのだが、体格差で負けたか。アレッシオの拳はパスクァーレに届くことなく容易に押さえこまれてしまった。
ガッシリと手首を掴まれてしまい、今度はアレッシオがパスクァーレから逃れようともがく番だった。
「畜生!! クソ、離せッ!!」
「えー、どうしよっかなぁー」
悪役張りのいやらしい笑みを浮かべたパスクァーレの顔に、アレッシオは唾でも飛ばしてやりたい気分だった。
手が使えないなら足でも踏んづけてやろうかと思っていたのだが、不意に手首の拘束が解かれ、アレッシオの企みは実行されることなく終わった。
気が付くとアレッシオの隣にいた筈のアルがパスクァーレとアレッシオの間に割って入るように立っていたのだ。
「子猫ちゃん、パスクとじゃれてないで俺にも構ってほしいな?」
そう口にしたアルはどことなく不機嫌そうで、パスクァーレから引き剥がす時に握られたアレッシオの手にギュッ、と力が込められる。
アレッシオはカッと体温が上がるのを感じた。不覚にも、アルを少しばかり可愛いと思ってしまったのだ。
「ッ、じゃれてなんかねぇッ!!」
大声でそう言いながら、アレッシオはアルの手を振りほどいた。
「えー、アレッシオ冷てぇ!!」
不満だらけのパスクァーレの声などアレッシオの耳に殆ど入っていなかった。
拗ねたようなアルの声がトマゾの声と重なってアレッシオの耳を、思考を占領している。それと同時に、トマゾを裏切っているような気分で息苦しさを感じていた。
――クソッタレ!!
それもこれもアルがトマゾに似ているのがいけないのだ。
庇うように向けられたアルの背中越しにパスクァーレを睨みながら、アレッシオは内心で悪態吐いていた。
「ほら、振られた男はサッサと帰るといいよ。 子猫ちゃん、部屋に案内するから行こうか」
そう言って振り向いたアルは穏やかな笑みを浮かべていた。
こうして見ると、トマゾと似ている部分など一つもないのに。
アレッシオは余計な思考を追い出すように頭を振ると「あぁ」と言葉少なに告げ、アルに続き歩き始めた。
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