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act.03

「知能犯なのか、それともずぼらなのか……悩むところだね」  アルもまた、アレッシオがそうしていたように穴の向こうの煤けた部屋を覗き込みながら思案していた。 「ん?」  と、不意に――、割れたガラス窓から聞える風の唸りや海上を飛ぶウミネコの鳴き声、3人の男達の息遣いと声しかしていなかった部屋に、ザ、ザァー、と機械的な音が混じったのをアレッシオの耳が拾った。  「子猫ちゃん、どうかしたのかい?」 「いや、こっちからノイズみたいな音が聞えたんだが……」 「ノイズ、ですか? 私には何も聞えませんでしたが」  勘違いではないか、とでもいいたげなエンツォの視線にアレッシオが、そんな筈はない、と首を振った。確かに過敏になってしまっているが、自然の音と人工的な音を聞き間違えるはずが無い。  確か、こちらから聞えたはずだ。  アレッシオはベレッタから手を離さぬまま、奥の部屋――海を望める大きなガラス窓のある部屋へと足を踏み入れていく。  すると、部屋の中ほどまで進んだ辺りで、アレッシオは奇妙なものに気が付いた。  ――ヴェネチアン、マスク?  窓枠から斜め右下の床――それも、手前の部屋からは見えない位置にコロンビーナと呼ばれる黒色のヴェネチアンマスクが置かれていたのだ。あまりにも不自然なそれに、アレッシオが気をとられていると再びザッ、ザザッ、とノイズの走る音が聞えた。 『はぁーい!! ニコロファミリーのみっなさぁーん!!!! 遠いところ、お疲れ様でぇーす!!』 「なっ!?」 「へぇ」 「な、何事ですか!?」  唐突に静寂をぶち破り聞えてきたその声に、アレッシオとエンツォは狼狽を見せ、アルが微かに目を見開く。  声が聞えてきた方向は、あのコロンビーナが置かれている方からだった。十中八九、コロンビーナに何か仕掛けられているのだろう。  近付いて確認するかどうか考えていると、再びコロンビーナのほうからノイズが走る。 『あれあれ? シルヴィオさまの声がイイ声すぎて固まっちゃてるのかな? てか、もしかしてイっちゃった? ウンウン、よかった~!! 俺も喜んでもらえて、嬉しいデッス』  声の主はリアルタイムでどこからかアレッシオの様子を見ているのだろう。先ほどの一言から瞬時にそれを理解したアレッシオやアルが、辺りを注意深く見回す。 「頭にくるような喋り方する野郎だな」  わざと相手の神経を逆撫でる話し方をして注意を逸らそうとしているのならば、とんだ策士だ。アレッシオはチッ、と小さく舌打ちをして、このまま部屋に留まる危険性を考慮した上で踵を返そうとした。  が、 『え゛~、こんなイイ男捕まえておいて、言うこと辛辣すぎだしぃ』 「てかーー気付かないとか、ニコロちゃんとこの皆さんチョロすぎでしょ」   背後から聞えてきたノイズ混じりの声が肉声へと切り替わると同時に、開け放たれていた扉の向こう側にぬっと人影が2人分現れたのを見て、アレッシオの足が止まった。 「お前、どこの人間だ?」  人影を目にした時には抜いていたベレッタを謎の闖入者2人組みへと向け、アレッシオは尋ねた。  銃口を向けられているにも関わらず、人影は部屋の中へと入り込み――そうして人懐っこい笑みを浮かべた。 「シルヴィオさまは、カヴァルカンティの人間だよーん。因みに、うしろのデカぶつ君も俺の同僚でぃす」  アレッシオの質問に躊躇いもなく答えたのは奇抜な髪型――染髪でなければ出せないようなドピンクの髪を両サイドで緩く結んだ――青年だった。  髪型以外を除けば街中を普通に歩いている青年となんら変わりはないだろうジーンズにシャツ、茶色のロングカーディガンといったラフな格好をしたシルヴィオの後ろから、ぬっと大男が現れる。そして、その大きな拳でシルヴィオの頭を小突いた。 「アホみたいな紹介すんなや。俺までアホだと思われるだろ」  牙を剥くようにして言った男は、イタリアではあまり見ないような見事なプラチナブロンドで、刈り上げられた側頭部には男の凶暴性を誇示するかのように狼を模した刺青が入っているのが見えた。  この場の誰よりも背が高く、そして頑強な肉体をした男の登場にアレッシオの頭が、こいつはヤバイ、と警報を鳴らし始める。  銃口を向けられているのに堂々と部屋へと入ってくるその精神の図太さもそうだが、何より大男の腰に抜き身のままぶら下げられた刃渡り30センチほどのククリ(グルカ)ナイフの放つ血脂を吸ったような鈍い輝きに、首筋を冷たい手で撫でられるようなざわざわとした不快感が止まらない。 「あれ、アホじゃねぇのら?」 「違ぇよ、この脳みそ海綿体野郎。っか、自分で正体明かしてどうすんだよ」 「だぁってさ、ボスはダメなんて一言もいってねぇジャン」 「だからって言うか? 言わねぇだろ?」 「それはぁ、ザーリャが頭カチンコチンコなだけだって」 「チンコなのはテメェの頭だろうが。あとザーリャじゃねぇラーザリだ」  ポンポンと飛び交う悪態に次ぐ悪態に、アレッシオ達は口すら挟めない。まるで、アレッシオが持つ銃が玩具にでも見えているかのように、男達には緊張感も恐怖もなかった。 「あっは、ごめんねぃ、俺ってばイタリア人だからロシアの人の名前わかんなーい」 「ハァ? ふざけんな。わざと略称呼んでやがってどの口で“わかんない”なんてほざきやがる。後でテメェのそのチンコよりも粗末な頭、お喋りな口ごとフッ飛ばしてやるから覚悟しとけや」 「いやーん、こわーい、ヤられちゃうー」 「ふざけんのも大概にしろや。後でじゃなくて、いまフッ飛ばすか?」  ラーザリと呼ばれた男も同僚の悪ふざけにいい加減苛立っているのか、声に険が籠っていた。 「仕方が無いなぁ、もう。こわーい同僚にいびられるのでぇ、きちんとお仕事しますよぅ」  肩を竦めたシルヴィオが、場に不似合いな笑みを浮かべる。 「ってことでーーごめんちょ?」  先ほどまで悪ふざけをしていた彼とは思えないほど、ゾッとする淡々とした声にアレッシオの身体はベレッタのトリガープルに指を掛けていた。  タァン、っとベレッタが軽い音を発する。  が、狙いが甘かった上に、アレッシオの発砲を読んでいたかのようにラーザリが豪腕でぶん投げた家具がしっかりとシルヴィオを守り、彼は無傷だった。それどころか、気が付いたときにはシルヴィオはアレッシオ達に肉薄していた。  アレッシオの眼前に迫るシルヴィオの手には、小振りのダマスカスシースナイフが握られていて―― 「ッ、クソッタレ!!」  罵声を浴びせながらアレッシオはベレッタの銃身でそれを受け止めた。  ギッ、とダマスカス鉱の刃と銃身が噛み合う音が悲鳴のように響く。アレッシオはギリギリとシルヴィオを押し返しながら、一瞬の隙をついて蹴りを放った。 「お、っとっと!!」  身軽にそれを後ろに飛び退いてかわしたシルヴィオに、ラーザリが歯を剥きだしにして言う。 「シルヴィオ、そのもじゃった頭のオッサン殺すなよ」 「へーい、へい。こっちの色男さんズはいいんデショ?」 「わりぃが、そっちも俺のモンだ」  舌なめずりをするような、そんなラーザリの声が聞えた。彼の手が軽く動き――、その瞬間 「くっ、このッ!!」 「ッ!?」  アレッシオはエンツォの首根っこを引っ掴んで引き倒していた。直後、ビュッ、と 風を切る音がしてエンツォ達の頭上を鈍色の――ラーザリが腰から下げているククリナイフとは別のコンバットナイフ――が通り過ぎていく。  一秒でもアレッシオが気が付くのが遅かったら、エンツォの身体にはラーザリが投げたナイフが深々と突き刺さっていたことだろう。 「ッ、ちくしょう!!」  凶悪な2人相手にお綺麗な面を貼り付けたままではいられないことを早々に悟ったエンツォが、唾を吐き捨てグロックを構える。そのまま流れるような手付きでトリガーを躊躇なく押し込み、発砲する。  しかし、エンツォの撃ち抜いたそこには既にラーザリの姿は無かった。 「クハハッ、いいモン持ってんじゃねぇの。けど、んな鉛玉より俺のが早ぇぜ」  弾が身体を掠ることすら気にせず、ラーザリは最小限の動きで弾をかわしエンツォへと大木のような腕を伸ばす。 「ッ!!」 「俺もいるってこと、忘れてもらっちゃ困るよ」  ラーザリの腕をかわしたエンツォを援護したのは、アルだった。コルトガバメントM1911の銃身から45口径の弾丸が圧倒的な殺傷力を持って発射される。  仕留めた、と思ったアルだったがその顔に苦い色が浮かんだ。 「クッ、ハハハァ!!」  ラーザリの狂ったような笑い声が聞えた。見ると、彼は驚異的な速度で抜いたククリナイフの刃を盾に弾を受け止めていたのだ。同じ人間とは思えないようなその身体能力に、アレッシオやアルの口から、化け物か、と呟きがこぼれる。  普通、撃たれると分かっていて動ける人間はいない。恐怖心から体が萎縮しその場で硬直するか、動けたとしても行動に躊躇が出て、その間に撃たれて、ジ・エンドというのが殆どだろう。  しかし、ラーザリやシルヴィオは、躊躇いすら見せずに真っ直ぐにアレッシオ達の懐に飛び込んできたのだ。対銃撃戦を相当数こなしていたとしても、普通の人間の感覚が生きているうちはこうはなれないだろう。  だからこそ、アレッシオやアルは、ラーザリとシルヴィオを“化け物”と言ったのだ。  追撃しようとしたラーザリだったが、アルのコルトガバメントの一射はククリの刃を駄目にしていた。チッ、と舌打ちしたラーザリが後ろに飛び退き、シルヴィオの隣に並んだ。 「ねぇね、ザーリャさん。早いって、あんまし誉め言葉じゃないと思ーう。早漏てことデショ?」 「遅漏でテメェのナニが擦り切れるまで腰振ってるよりかぁ、イイじゃねぇか」 「アッハハッ、ザーリャってばお下品~」 「テメェには負けるがな。つか、ラーザリだって何べん言えば理解すんだこのアショール(アホ)!!」 「ごっめーん、ロシア語わかんなーい」  又も始まったコントのようなやり取り。ククリを失ったラーザリ達を囲むのはアレッシオ達が持つ3つの銃口だ。形勢は今や逆転したはずであるのに、やいやいと言い争いを続ける2人組みに危機感はない。  ――ブラフか、それとも……。  アレッシオは読めないでいた。状況的にはこちらが追い詰めているはずなのに、追い詰められているような感覚が消えない。  

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