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act.04

20XX年5月4日 午前11時30分 イタリア南部 プーリア州バーリ チプリアーノ通り   海鮮料理がメインの飲食店や、ブティックなどが立ち並ぶ大通り。中央分離帯に植えられた樹木に区切られた4車線は絶えることなく車が行き来し、駐車場とも呼べないような道路脇にはずらりと車が停められていた。 「なぁ、これからカジノに向かうんだろ? こんなトコにあるのかよ?」  リムジン仕様の黒塗りのベンツの後部座席から路駐されている車の列を横目に見ながら、アレッシオは隣に座るアルに声を掛けた。  アレッシオに話しかけられたことが嬉しいらしく、アルが口元を緩める。 「子猫ちゃんも知っての通り、イタリア(我が愛する母国)は敬虔なカソリックが多いからおおっぴらにはカジノは無理だよ。だからね、外観はそれとわからないようにしてあるのさ」  丁寧に説明してくれたアルだが、どさくさに紛れてアレッシオの太腿を撫で回そうとしていた。勿論、アレッシオがそれを見逃すはずもなく、容赦なく叩き落としてやった。まったく、油断も隙もあったものではない。  ギロリ、と牽制も込めて睨んでやったのだが、アルはニコニコとアレッシオに笑みを向けるばかりだ。  これは相手にするだけ無駄かもしれない、とアレッシオが諦めて視線をスモークの張られた車窓へと移していると、アレッシオの真向かいに座っていた青年が口を開いた。 「アルさんの所有するカジノ“グロリア”は、表向きは高級ブティックとしてやってるんですよー。ただ、特別なお客様には会員証を発行してカジノや不定期開催のオークションへご案内してるんです」  間延びした声でそう補足した彼は、ニコニコと笑みを浮かべ――食べかすのたくさんついたその口で大きなカルツォーネに噛りつく。  アレッシオが見ている間だけでも既に掌よりも大きなカルツォーネが4つは青年の腹に収まってしまっているが、更に恐ろしいのはアレッシオの目の前に置かれた車内テーブルの上に、同サイズのカルツォーネが少なくとも10個以上は入った袋が2つ置かれていることだ。  車内にはカルツォーネの中身だろうチーズやベーコンの濃い香りが充満していて、正直言って食べてもいないのにアレッシオは胸焼けがしていた。 「えーと、ヴィンツェンツォ、って言ったか? 細っこいのに……よく、食えるな」  アレッシオは、胸を擦り今にも上がってきそうな胃液を堪えながら呆れ混じりに言った。  そうしている間にも、5つ目のカルツォーネを完食し6つ目の包みを剥ぎにかかっていたヴィンツェンツォが、何を勘違いしたのかアレッシオの言葉に、えへへ、と笑みを溢し脂のたっぷり付着した指で自身の頬を照れくさそうに掻く。 「僕お仕事前ってお腹空いちゃうんですよねー。あ、アレッシオさんも食べますか?」  思い出したように、ヴィンツェンツォがアレッシオにカルツォーネを勧める。が、今はその善意もアレッシオにとっては嫌がらせに近い。 「いや、遠慮しとくわ……」  アレッシオは、ずい、と顔の前に突き出されたカルツォーネから顔を背けた。無理だと分かっているが、今はカルツォーネそのものすら見たくない気分だ。 「そうですか? ピゾリーノのベーコンと4種のチーズのカルツォーネは僕のイチオシなのに、残念です」  肩を竦めたヴィンツェンツォが、口いっぱいにカルツォーネを頬張る。ふっくら焼かれた生地の中に閉じ込められていたベーコンの脂身が香ばしく香ってくる中、アレッシオは口元を押さえながらヴィンツェンツォの隣に座り新聞を広げるエンツォに視線をやった。  ヴィンツェンツォを連れて来た当の本人は、簡単に「私の部下のヴィンツェンツォと言います」と短い紹介をしたきり、持ち込んだらしい経済紙や新聞に目を落とし、だんまりを決め込んでいる。  上司が上司なら部下も部下だな、なんて感想を抱きながらアレッシオはヴィンツェンツォを盗み見た。  青色の大きな瞳に、色白の肌。睫も長く、長い黒髪を高い位置で1つに結い上げた姿は中性的にも見える。カルツォーネに大口で喰らいつく姿を見る前であれば、女性だと言われてもあまり違和感を感じなかったかもしれない。まあ、この食べっぷりを見てしまった後であるからもう女性的だとは到底見えないのだが。  アレッシオは新聞ばかりに集中しているエンツォの脚を、爪先で軽く蹴った。途端、それまでだんまりを決め込んでいたエンツォの瞳が、何をするんだ、と云わんばかりにアレッシオを睨み付けた。  アレッシオは自身にエンツォの意識が向いたのをいいことに、なぁ、と声を潜め話しかけた。 「……こいつ、大食いの方が向いてるんじゃねぇのか?」  アレッシオの問いかけに、エンツォが、何だそんなことか、とでも言いたそうな視線を送る。そうして、無視して再び新聞へと視線を戻そうとして――、何の気が向いたのかは分からないがエンツォが新聞を畳んだ。 「確かに、ヴィンは驚くほどの大食漢ですが……ただの大食漢だけなら私の下につけたりしません。まぁ、そのうちわかると思うので、見ていればいいですよ」  と、エンツォが言ったのはいいが、アレッシオ自身がそれを信じられるかどうかは別問題だ。エンツォは“大食漢”と片付けたヴィンツェンツォの食欲だが、ほぼほぼ1袋分を空にしかけているのに全く勢いが衰えていない。  そんな様子を見てしまうと“大食漢”で片付けていいものかと悩むのだが、話題に上っている張本人はというと 「あはは、ん……むぐ。ん、ありがとうございます、カポ!! 僕、いっぱい頑張りますね」  と、上機嫌に握り拳まで握ってみせる始末。  食べかすまみれでベーコンとチーズの油分でテカテカと光る口元には、流石にエンツォも引いたのか、若干身を遠ざけつつハンカチを渡してやっていた。 「そろそろ着きますから、とりあえずはそこまでにしておきなさい」 「はーい、残りは戻ってきてから食べよっと」  いそいそと残りのカルツォーネを紙袋に、食べた包み紙をゴミ袋に分けて入れ始めるヴィンツェンツォの放った言葉に、アレッシオは開いた口が塞がらない。 「まだ食うのか……」 「ふふ、凄いよねヴィンちゃんの食欲。俺も最初に見た時はものすごく驚いたよ」  アレッシオは首を捻り、ヴィンツェンツォの腹部を見る。食べたばかりというのもあって少し膨れているが、それにしたって食べた内容量と膨張率があっていない気がするし、第一大食いするにしてはヴィンツェンツォの身体はスレンダーな部類に入るだろう。だからこそ、あの量のカルツォーネがどこに入っているのかが気になるのだが、いくらヴィンツェンツォを見ていてもこればかりは分かる気がしない。 「凄いなんてもんじゃないだろ。アイツの腹、どうなってんだ……」 「さぁ? 異次元にでも繋がってるんじゃないかな」  アレッシオの疑問に、アルが肩を竦め冗談交じりに答えた。彼も過去にアレッシオと同じ疑問を抱いたのかもしれないが、とうとう理由は分からなかったのだろう。  答えが出ない疑問に頭を悩ませることほど不毛なことはない。アレッシオは、そんなものか、と無理矢理自身を納得させると、また車窓の景色へと視線を移した。  先ほどまである程度出ていたはずのスピードはいつの間にか緩やかになり、通りを歩く人々がゆったりと後ろに流れていく。エンツォも言っていた通り、もう直ぐで目的地に着くのだろう。

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