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act.04
20XX年5月4日 午前11時39分
イタリア南部
プーリア州バーリ
チプリアーノ通り ブティック兼カジノ“グロリア”
やがてアレッシオ達を乗せたベンツは、3階建ての大きな建物の前で滑らかに停車した。建物前に控えていたドアマンが、恭しい手つきで車のドアを開け頭を下げる。
無意識の内に自身でドアを開けようとしていた手をアレッシオは引っ込め、「ああ、どうも」なんてぎこちない挨拶をドアマンに向けると、アスファルトの地面に降り立った。
目の前の建物は、元は貴族の邸宅かなにかだったのだろうか。歴史を感じさせるバロック様式で飾り立てられた外観をしていて、白色だったはずの外壁や柱は、長い時間雨風にさらされることで何ともいえないような味のある色合いに変わっていた。
建造物とかいったものに特別な興味はないが、こういった建物からは時代を生き抜いてきた重みを感じる。
アレッシオは軽く身だしなみを整え、“グロリア”と店の名前が掲げられた建物を見上げてから自身の着ている服へと目を落とした。パリッと糊のきいたブラックのスーツと水色のシャツ。光沢のあるダークブラウンのモンクストラップは、すべてアルが見立てて購入したものだ。
勿論、アレッシオが今身に着けている服や装飾品はそれなりに値が張るものだし、似合っていない訳ではないと思うが、釣り合いがとれているかと問われると素直に頷けないものがある。目の前の建物も正直に言って、自分には場違いなような気がしてどうにも中に入るのを躊躇ってしまっていた。
「さぁ、早く行きますよ」
建物と自身の格好を見比べ中々店内に入ろうとしないアレッシオの肩を、エンツォが小突いた。そうして、アレッシオの躊躇いを他所にエンツォはスタスタと1人建物へと進んで行ってしまう。
アレッシオが、ああ、とも、うん、とも答える前に、アルの嫌味がエンツォの背に飛んだ。
「お前だけ行ったって意味ないだろうに。第一、俺がいないと内部情報は見せられないの分かってるのかな」
「だから急いで下さいと言っているんですが」
振り返ったエンツォは、案の定不機嫌な様子でアルをきつく睨みすえている。
「とてもそう言っているようには聞えなかったけれど」
冷たく切り返したアルのその一言を切っ掛けに、アルとエンツォの間で火花が散って見えた気がした。
――また始まったか……。
アレッシオは額に手をあて、溜息を溢す。あのエンツォの嫌味も問題だが、アルもアルで一々エンツォに突っかかるのが問題だ。エンツォの嫌味は腹は立つし面倒だが、スルーしておけばそれ以上炎上することも火の粉が飛ぶこともないというのに。
――さて、どうすっかな……。
既に見慣れている光景とはいえ、ここは衆目がある。2人とも、流石に銃を持ち出すことはないと思いたいが、普段が普段であるだけに安心は出来ない。
しかしそれ以上に、いい大人が店先で言い争う姿などみっともない上に注目を集めてしまって仕方が無い。
まわりのことなどお構いなしにやいやい言い争うアルとエンツォ。それに加えて、物珍しいものを見るかのような通行人の視線のせいで、だんだんとアレッシオの中で苛立ちが募ってくる。
「だいたい貴方は私によく突っ掛かってきますが、その労力を他にまわす事は出来ないんですか?」
「お前こそ、一々嫌味を言うクセをなんとかした方がいいと思うけどね」
「余計なお世話ですよ」
「それは、こっちの台詞だ」
益々ヒートアップする言い争いに、周囲には野次馬が集まり始めていた。
「いやね、喧嘩かしら」
「道端で迷惑だよな」
「何があったのかしら?」
ヒソヒソと囁きあう声。好奇、或いは嫌悪といった居心地の良くない視線にさらされ――たいして長くもないアレッシオの堪忍の緒が、プツリと切れた。
「あ゛ぁぁぁあ、もういいからさっさと入るぞ!! アルもエンツォも挑発すんのはやめろ、んでもって挑発されたとしてもいちいち相手するな!!」
怒りに任せ言い切ったアレッシオ。その剣幕に圧されたのか、アルとエンツォは
「わ、分かりました」
「分かったよ」
と、それぞれ頷いていた。
まわりの野次馬達もアレッシオの怒声に気圧され暫く黙っていたが、やがて興味を無くしたのか散ってく。そんな中、パチパチと呑気に拍手をする音が聞こえた。勿論、そんなことをする人間は、ヴィンツェンツォ1人しかいない。
「あはは、アレッシオさん流石です!! カポとアルさんが黙っちゃいました!!」
呑気に笑う姿を目にした途端、アレッシオはどっと疲れが押し寄せるのを感じた。最初から仲裁を期待していた訳ではないが、こうも丸投げなのは如何なものかと思うのだが。
――しっかしなぁ、こう、いまいち怒る気になれねぇつーか……。
にこにこと笑うヴィンツェンツォを見ていると、どうにも毒気を抜かれてしまう。なんというか、許してやろう、という気になるのだ。これが、気難しいエンツォに可愛がられる理由の1つなのだろうな、などと考えながら、賛辞に「へいへい、どーも」と生返事を返す。そうして、不意にあることに気がついた。
「つか、お前鼻の頭に食べかす付いてんぞ」
ヴィンツェンツォの鼻の頭に付いていたカルツォーネの生地の欠片を、アレッシオはひょいっと指先で摘む。
「わわッ!?」
唐突に鼻の頭に触れられたヴィンツェンツォが、驚いた声を上げながら後ろに飛び退いた。が、アレッシオの指先にある欠片を見て、照れ臭そうに頬を掻いて「えへへ、ありがとうございます」と笑った。
間抜けているとも思うが、こういった仕草が可愛いのかもしれない。これで彼が女の子であれば、付き合いたいという男が絶えなかっただろう。そんな空想をアレッシオがしているところで、アルがすっと顔を近付けてくるのが見えた。
「ずるいな、子猫ちゃん。俺にはしてくれないのかい?」
いっそ憎たらしいほど高い鼻梁を猫がすり寄るようにアレッシオの頬に寄せ、低く甘い声で囁いてくる。無駄に振り撒かれる色気に若干当てられつつも、アレッシオはアルの鼻を指先で軽く弾いた。
「お前の高い鼻にゃ、なんも付いてねぇじゃねぇか」
ふん、と鼻を鳴らしてアルを睨むと、アルは弾かれた鼻を擦りながら――
「いやだな、口実だよ。口実。だって、こうでもしないと子猫ちゃんから触ってくれないだろう?」
と、ウインクをアレッシオに向けて飛ばしてきた。
「……お前なぁ」
ハァ、と盛大な溜め息が溢れた。なんというか、懲りない奴だ。アレッシオはアルの神経の図太さに呆れつつ、感心もしていた。
自分ではこうはいかない。つれない相手にそれでも話しかけるほどメンタルは強くないし、そもそもそんな相手に割く時間が勿体無いと感じてしまう。だから、アルも自分などの相手をせずに将来添い遂げられるような可愛い伴侶を探せばよいのだ。
しかし、アルはアレッシオのようには思っていないらしい。「今は駄目そうだけど、そのうち子猫ちゃんの方から触れてみたくさせるさ」と前向き過ぎる言葉が聞えてきて、アレッシオは頭が痛む思いだった。
「どうでもいいですから早くして下さいよ」
急かすエンツォの苛立ち声が聞こえてきて、アレッシオはまだ店内にも入っていないことに気が付いた。
店の前で先程のやり取りをしていたかと思うと、恥ずかしさが今頃になって込み上げてくる。
クソ、だの。アルのせいだ、だの。他にも思い付く限りの罵倒を頭の中で浮かべながら数歩先でこちらを振り返り待つエンツォの元へと歩いていくと、ヴィンツェンツォが絶賛進行形で苛立っているエンツォを宥めている最中だった。
「まぁまぁ、カポ。こういう時こそ寛大に、ですよ!!
それでもって、すかさず相手に優しくして狙うは好感度アップ、です!!」
「っ、べ、別に、私は好感度などどうでもいいんですよ。ヴィン、あまり変なことを言わないで下さい」
ヴィンツェンツォの宥め方は何というか、若干違う気がしたのだが、先程まで苛立っていたエンツォが今度は慌てているところを見るとどうやら効いてはいるようだ。
「そうですかー? てっきり、アレッシオさんに気があるかと思ったのになぁー」
自身の推測が違ったのが不思議なのか、ヴィンツェンツォが頻りに首を傾げる。
アレッシオとしては、逆にどうしてその推測が出てきたのか不思議でならない。エンツォに嫌われるような要素はいくらでもあるが、その真逆が思い付かないからだ。
それはあり得ないんじゃないか、と否定の言葉がアレッシオの喉からでかかったところで、アレッシオの後ろからアルがやってきた。
「それは、聞き捨てならないね。どうして、ヴィンちゃんはそう思ったんだい?」
新しい玩具を見つけた子供のように、或いは獲物を見つけた猫のように、エメラルド色の瞳を輝かせながら話に入り込んでくるアルに、アレッシオは一波乱ありそうな感じがして額を手で覆う。
もう、巻き込まれるのはごめんだ。そう思うのだが、また先程のような言い争いになったら止める人間が必要だ。仲裁役がアレッシオである必要はないと思うが、ヴィンツェンツォがそれをするか、と考えた時いまいち信用出来なかった。
そういった思考に陥っている時点で、もう巻き込まれることを覚悟するしかないのかもしれない。それでも若干引いた場所にいたい気持ちがあって、アレッシオは3人から僅かに距離をあける。
アレッシオの内心など全く知らないヴィンツェンツォが、能天気な笑みを浮かべていた。
「あ、それはですねー。カポが出掛ける前に、鏡の前でスーツやタイを気にしていらっしゃったので。いつもは、一式同ブランドで揃えて着られるんですが、今日に限って出掛ける前にタイの色をいくつか試したりとーーんむッ!?」
べらべらとアルに喋っていたヴィンツェンツォの口が、横合いから伸びてきたエンツォの手で塞がれてしまった。
「だ、誰が喋っていいと言ったんです。全くもって今のは全部ヴィンの作り話ですから!!」
ヴィンツェンツォの口をしっかりと塞いだまま、焦った様子で言い訳を口にするエンツォがそれまで傍観を決め込んでいたアレッシオの方をぐるんと向いた。
「お、おう……」
耳まで赤く染まったエンツォの剣幕に押された形で頷くと、エンツォは「それなら、いいんです」と言って、ヴィンツェンツォの口を塞いでいた手を退け、1人さっさと店内へと入っていってしまった。
「あ、待って下さいよ~」
流石に悪いことをしたと思ったのだろうヴィンツェンツォが、エンツォの後を追う。
「へぇ、これは……」
「何だったんだ、アレ」
「子猫ちゃん、エンツォには気をつけるんだよ」
「気を付けるも何も、嫌われてるからなぁ……」
「そうだといいんだけどね」
何もかも知ったような口ぶりのアルが、意味深な言葉を口にして店内へと入っていく。エンツォの態度もアルの言葉も半分以上も理解できていないアレッシオは、首を捻りながら先に店内に入ってしまった3人の後を追った。
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