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act.04
店内に入ると、スーツ姿の綺麗な女性が「いらっしゃいませ」と涼やかな声を響かせた。長い栗毛をハーフアップにしたその女性はアルの姿を目に留めると別の責任者らしき男性スタッフへと目配せをする。
「オーナ、お待ちしておりました」
進み出てきた責任者らしき男性スタッフが、アル達に向かって恭しく頭を下げた。
「やあ、ガスパロ。調子はどうかな?」
「順調ですよ。詳しくは奥で」
「そうだね」
予定調和のやり取りを少しして、ガスパロは先導するように店内を歩き始めた。
1階はレディース物を扱うフロアなのか、春夏向けの半袖のシャツや上品なデザインのワンピースなんかがマネキンに着せられ展示してある。その中をガスパロを含め男5人で横切って、2階に上がるエスカレーターに乗った。
「さっすが、アンタの店だな。店員まで綺麗どころ揃えてんのか」
アレッシオは自身の前にいるアルの背中を小突いた。レディース物のフロアを横切る際に何人か女性スタッフを見かけたが、どの子も綺麗で、顔を基準に採用不採用を決めているのではなかろうかと思ったほどだ。
「まあ、接客業だからある程度は、ね。でもそれだけを見て雇ったわけじゃないさ。それに、スタッフの人選は別の者に任せているんだ」
振り返らないまま、アルはそう言って笑う。
てっきりアル自身が人選しているものとばかり思っていたが、どうやら違っていたようだ。
まあ、よくよく考えればマフィアである以上あまり顔を知られるのもいいことだとは思えないし、忙しいアルが自ら社員の人選をするとは考え難い。
もし、したとしても数人。恐らく、責任者、もしくはそれに連なる役職の者だけアルが直接選んだに違いない。だからこそ、入り口付近にいたあの女性スタッフとガスパロ以外、アルの顔を見てもなんのリアクションも起こさなかった。ただ、色男が来た、くらいのものでちらちらと遠巻きに視線を送ってくるくらいのものだった。
裏切られた時のリスクを考えると、秘密を握る人間は少なければ少ないほどいい。その点では、アルのとっている方法は利にかなっている。
アルの賢いやり方に内心舌を巻きつつ、軽口を続けた。
「へぇ。なら、そいつが面食いなわけだ」
「そうかもしれないね」
相槌を打つアルの声は、楽しそうに弾んでいた。と、そこに「はぁ」とこれ見よがしに重々しい溜め息が入り込んできた。溜め息が聞こえてきたのは、アレッシオの後方からだった。
「まったく、あなた方は……その会話が他の人間に聞えてると思わないのですか?」
「別に? お嬢さん方は買い物の方に夢中でこっちの話なんざ聞えてねぇさ」
「わかりませんよ。女性は耳聡い方も多いですし、兎に角、気をつけて下さいよ」
息の詰まるような小言に、アレッシオは「へいへーい」とやる気のない返事をして肩を竦めた。やはり、エンツォには嫌われているとしか思えない。これ以上小言を聞きたくもないアレッシオは、黙ってエスカレーターが2階に到着するのを待った。
2階は紳士服売り場になっているらしく、カジュアルな服からフォーマルなスーツまで、客が見やすいディスプレイを意識した配置で置かれていた。
通り過ぎる間際にチラリと値札が見えたが、エスカレーター近くに置いてあるものは手が出しやすいリーズナブルな値段だった。
アレッシオ達が進んでいく奥のフロアになると入り口付近の服よりも値段の桁が一桁から二桁多く、足元も高級そうなカーペットが敷かれていた。
ふかふかと踏み心地の良いカーペットに少しばかり足をとられながら進んだ先、光沢のある赤のカーテンで仕切られた試着室のような――しかし、それにしては大きい一室の前まで来るとガスパロが足を止めた。
「さあ、どうぞ」
ガスパロによって空けられたカーテンの先は、鏡が置いてある広いだけの試着室だった。
ただの試着室じゃないか、と言いたくなったアレッシオだが試着室内へと入るように促されてしまってその機会を失う。
「少し揺れますが、ご了承下さい」
全員が試着室に入りきったタイミングでガスパロがそう言った。
――揺れる? 何がだ?
そう思ったアレッシオの疑問は直ぐに解消されることになる。何故なら、ガスパロが鏡の脇の壁に隠していたスイッチを押すと、ガクンとアレッシオ達の足元が揺れゆっくりと下に降り始めたからだ。
「お、おぉ!!」
「ふふ、気に入ってもらえたみたいだね」
歓声を上げるアレッシオの様子に、アルが目を細めて笑う。いい歳した大人がはしゃぐなどみっともないとは思うが、男ならば子供の頃一度は憧れたヒーロー又はヴィランのアジトなんかにある昇降機に今乗っているのだと思うと興奮もする。
「映画やアニメみたいだな」
「そうだろう? 子猫ちゃんが分かってくれて、俺も嬉しいよ。やっぱり、遊び心がないとね」
こんなところで同意を得られるとは思っていなかっただけにアレッシオのテンションも上がる。忙しくなく辺りをキョロキョロと見回していると、「あは、アレッシオさん楽しそうですね」とヴィンツェンツォに笑われてしまった。
10も離れていそうなヴィンツェンツォに笑われたことで多少恥ずかしさも戻ってきて落ち着きを取り戻した所で、再びアレッシオ達の足元がガクンと揺れ、止まった。
目の前には無機質な金属製の壁に囲まれた通路が、蛍光灯の青白い光に照らされぼんやりと浮かび上がっている。
「さ、着きましたよ。足元にお気をつけ下さい」
ガスパロに言われた通り、足元に目を凝らしながら降りる。踵が硬質な床を叩き、カツリと音が鳴った。
「カポ、ジョコンドに言って資料を用意してありますので私は上に戻っていますね。迎えの際はご連絡下さい」
「ああ。 ブリジッタにもよろしく伝えておいてくれ」
「分かりました。彼女、カポの熱狂的信者なので喜びますよ」
「信者って、それじゃあ俺が教祖みたいじゃないか。俺はマフィアであって宗教家ではないよ」
「わかってます。冗談です」
ブリジッタとは店内に入ってから直ぐに見かけたあのハーフアップの女性のことだろうか、と考えながらアルとガスパロのやり取りに耳を傾けていたアレッシオの手をヴィンツェンツォが引いた。
「さ!! 行きましょう!!」
返事を聞かずにヴィンツェンツォがぐいぐいと手を引き、されるがままアレッシオは通路の奥の扉の前へと引っ張ってこられてしまった。直ぐにその後ろからアルとエンツォがやって来る。
アルが扉の側に備え付けられたカードリーダーにスーツの内ポケットから取り出したカードを通す。と、ピー、と機械音がして鍵が解除されるような小さな音が扉の方から聞えた。
「子猫ちゃん、開けてみてごらん」
アルに促され、アレッシオは扉のノブに手を掛ける。少し力を込めノブを下に下げると、扉は重々しい金属製の見た目とは裏腹に簡単に開いた。
途端、アレッシオの目に飛び込んできたのは暗闇に慣れていた目には痛むほどの照明の光と、足元に敷き詰められた毛足の長い高級そうな絨毯の赤色だった。
「ようこそ、カジノ“グロリア”へ」
耳元でアルの声がした。マフィアなのに、と笑われるかもしれないがこういったカジノは始めて訪れるアレッシオは緊張から喉を鳴らし、足を一歩踏み入れる。
ふかふかの絨毯が足音を消す。今踏んでいる絨毯だけでも一体幾らするのだろうか、と疑問に思いつつ辺りを見渡すとあることに気が付いた。
「カードゲームとルーレットだけなのか?」
カジノとくればラスベガスのようにスロットマシンが何台も並ぶ様子を想像していたのだが、アレッシオが立つフロアにあるのはルーレットの台が数台とカードゲーム用の机が幾つか置いてあるだけ。他に目に入るものといったら、大きなモニターが数個とパソコン、それにバーカウンターだけだった。
部屋の奥の方にスロットだけの別室でもあるのかとアレッシオは目を凝らす。が、だだっ広いフロアは見通しがよく奥に部屋などないのがすぐに確認できてしまった。
「スロット台は場所をとる上に搬入が大変でね。摘発のことも考えると、テーブルゲームとルーレット以外はネットカジノの方が便利なんだよ」
「へぇ」
「特にここグロリアでは、不定期でオークションも開催するからあまり場所をとるような物は相応しくなくてね」
不可解とでも言いたげに眉間に皺を寄せるアレッシオに、アルがそう解説してくれた。
「勿論、合法だし許可書もある。まぁ、かなりグレーではあるけどね」
そう付け足して、ふふ、と笑うアルにアレッシオはうすら寒いものを感じる。味方である内は心強いが、敵に回すと厄介そうだと思ってしまった。
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