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act.04

 アルの笑みからアレッシオがそっと視線を外していると、フロアの奥のほうからスーツ姿の30前後位だろう歳の頃の男性が、分厚い資料片手にこちらへ向かってくるのが見えた。  彼が、ガスパロが言っていた“ジョコンド”なのだろう。ジョコンドは、真っ直ぐにアレッシオ達のもとへとやって来て、栗毛のウェーブがかかった頭を深々と下げた。 「オーナー、ガスパロから言われた資料は用意出来ています」 「ありがとう、ジョコンド。元気そうでなによりだ」  差し出された資料を受け取ったアルが、ジョコンドの肩を親しげに叩く。それだけで、彼等の上下関係が適切で良好である事がアレッシオにも窺がえた。  「オーナーもたまには顔を出して下さい。リーザ嬢やボナヴェントゥーラ様がお会いしたいと仰っていましたよ」 「ああ、アッボンダンツァ家のお嬢さんと州議会のお偉方か。そのうち顔を出すようにするさ」  口ではそう言うもののアルの表情は気が乗らないといったふうだ。肩を竦めるその姿は、今にも溜息を吐きそうな気だるさが漂っていた。  まあ、アルには同情する。アレッシオがアルの立場であったら、のらくらとかわし結局顔を出さず仕舞い、なんてことになりそうだ。 「州議会の役員なんて来るのかよ」  アレッシオが嫌悪感剥き出しのまま聞いた。今まで底辺の方で生活してきているせいか、どうにも上流階級とか権力のある人間に対して苦手意識がこびりついてしまっている。 「まぁ、ね。だからここはある程度のことには目を瞑ってもらえるんだよ。気に食わない人間は多いけど、使える物は使わないと」  結構あくどい事を言っている筈なのに、アルは悪戯っぽい笑みを浮かべアレッシオに向けてパチンとウインクをした。  やはり、敵に回すと恐ろしい男だ。  アルが手に持つ資料の表面に目を通す。そうして、全部読み終わらないうちに「はい、ヴィンちゃん」と、資料をヴィンツェンツォに渡してしまった。  一体何が書いてあるのだろうか、とアレッシオはヴィンツェンツォの手元を覗き込む。が、びっしりと細かい文字と数字が並んだそれを目にした途端諦めた。  読む気を無くしたのだ。 「ちょっと待ってて下さいね」  アレッシオが一行そこらで読むのを諦めた資料の束を、ヴィンツェンツォは尻込みすることもなく、流し読みするような速さでパラパラと捲っていく。ただでさえ文字や数字がびっしりと書かれているのに、1枚に1分とかからない速さで紙を捲っているヴィンツェンツォの姿を見ていると、本当に読めているかどうか疑問も湧く。 「それで内容がわかるのかよ?」  思わず疑うような問い掛けが口から出てしまったアレッシオに、アルが静かに、とでも言いたげなジェスチャーをしながら笑った。 「それがね、ヴィンちゃんには可能なんだよ。しかも、それだけじゃなくて――」 「速読に速算、瞬間記憶が出来ます」  アルが区切ったその先を続けたのは、エンツォの淡々とした声だった。淡々とした響きの中にも、部下の才能を誇るようなものが混じる。嫌味ばかりのエンツォも、人を褒めることがあるのだな、と不思議な心地で速読を続けるヴィンツェンツォを見守った。  彼の手が最後の1枚を捲り、顔が上がる。 「はい、終わりました!! そうですねー、過去の数値と比べてみて怪しいのは4件かなと思います」 「え? 比べた、って……それ、過去の資料は入っていないはずですが……」  狼狽した声をジョコンドが上げた。ヴィンツェンツォから資料を受け取りパラパラと捲り確認する様子を見ている限り、やはり過去の資料は入れていないようだった。  資料に過去の分が無いのなら、一体ヴィンツェンツォはどこからその情報を手に入れたのだろうか。  アレッシオが不思議に思っていると、答えを知っている様子のアルがアレッシオの耳元まで唇を寄せてきた。 「ヴィンちゃんの頭の中には、過去の資料分のデータも入っているんだよ。前に会計を手伝って貰った時に見せたことがあってね」  温かい息とともに耳朶を擽る低い声。ぞわぞわと背筋を走る悪寒ともつかない感覚に眉根を寄せ、アレッシオはアルを押しやって距離をとった。そうして、アレッシオはアルを睨みつけた。  答えを教えるにしろ、何もこんなに近寄る必要はないはずだ。  睨み付けられた当の本人はというと、悪びれた様子もなく笑っていた。つくづく、腹の立つ男だ。  アレッシオはアルを極力視界に入れないようにしながら、ヴィンツェンツォを見た。 「凄い人間もいるもんなんだな……」  アレッシオの口から思わずこぼれ落ちた素直な感想を聞いていたヴィンツェンツォの頬が緩む。えへへ、と頭の後ろを掻きながら照れる様子は無邪気で、すごい能力を発揮した人物とはどうも重なりにくい。正直、この目で先程の速読とデータ比較をものの数分で済ませてしまった現場を見ていなければ信じられなかったかもしれない。 「ヴィン、その4件は?」  いまだに感心しきりのアレッシオの側で、エンツォの声が飛んだ。 「アヴァンティ、アルバ、ドナート、ファブローニです。アヴァンティ、ドナートはプラス。アルバ、ファブローニはマイナスです」  ヴィンツェンツォがまるで手元に資料でもあるかのようにすらすらと答える。  人の名前か、はたまたファミリーの名前か。どちらにせよ聞いたことのない名ばかりだ。  それにーー 「プラス? マイナス?」  考えていたことがポロリと口に出てしまっていた。チラリと見た資料には数字が載っていたからそれに関係することだとは思うのだが、そこまで考えたところで思考を止めた。専門外のことに頭を悩ませるのは面倒だ。  きっと分かる奴が今に説明してくれるだろう。そう思いアレッシオは、視界から外していたアルへと視線を送る。  いつからアレッシオを見ていたのだろうか、視線があった途端アルが目を細め、口を薄く開いた。 「過去三ヶ月間の上納金と今月の上納金の差だよ。不自然な推移が見られたところだけをヴィンちゃんがピックアップしたんだ。子猫ちゃんは、俺の直属だったから俺から給金を渡していただろう? 他の――末端に近ければ近いほど、小さなグループを形成していてね。そのグループは個々にシノギを任せているんだ。そのシノギから発生した金の数パーセントを上納金という形で渡してもらっている。その時の儲けによっては上納金の額は変動するけど、決して無理のない程度の額さ」  自分のところのファミリーの資金源の1つが、まさかそんな仕組みになっていたとは知りもしなかった。てっきり皆が皆自分と同じようにファミリーに携わっていると思っていたのだが、どうやらそれはアレッシオの思い違いだったようだ。 「一応、ファミリーの人間ってことになんのか?」  アレッシオの問い掛けに、アルが困った表情で肩を竦める。 「うーん、そこは微妙なんだよ。彼等は血の掟を交わしているわけでもないからね。そうだな……わかり易く言うと彼らは“マフィアが融資している会社を経営している”って感じかな」 「あー何となく分かった様な、わかんねぇような……」  アレッシオが頬を指先で掻いた。だいぶんアルが噛み砕いて説明してくれたが、完璧に理解出来たかと尋ねられると素直に頷けないものがある。  アルの説明が分かり難いとかいったことではなく、恐らく自分にはあまり必要な知識でないと思ってしまっているから完全に理解する気が無いのだ。 「まあ、分からなくても困らないから別にいいよ。因みに、アソシエーテまでは血の掟は交わしているし、ファミリーとして計算しているからね。子猫ちゃんも、血の掟、やっただろう?」  アルの問い掛けに、アレッシオは短く「ああ」と返した。  シチリアマフィア系であるファミリーは、コーザ・ノストラとも呼ばれ、正確にはマフィアと区別される。コーザ・ノストラにはファミリー入る際入会儀式があり、それが“血の掟”と呼ばれていた。  通常、血の掟をする際は構成員3人と入会者が集まり必要がある。入会の意思を構成員が確認した後、入会者の銃を持つ方の手(大抵は利き手)の人差し指をピンで刺し、そこから溢れた血を聖母マリアの絵の上に垂らす。最後に血のついた紙を両手の中で燃やして“血の掟”は完了となるわけだが、アレッシオの時は少々事情が違った。  一番近しい人間がたまたま元ニコロファミリーの人間で、生きるためにはこの道を選ぶしかなかった。  正式な血の掟を経てファミリーの一員になったわけではないので、多少の負い目を感じていた。声にもそれが出ていなかっただろうか、と僅かに不安になったがアルは気が付かなかったのか追及してこなかった。

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