16 / 157

第16話

自宅最寄駅を降りれば、駐輪場の脇で昔ながらの屋台を引くラーメン屋の親父と目が合う。 「お帰り〜」 髭ズラでいつも白い手拭い頭に巻いているオヤジが声を掛けてくれる。仕事が遅い日はここで夕飯を済ませることがあり顔馴染みになっていた。昔ながらの中華麺でさっぱりした味は深夜の夕飯には有り難かった。 しかし今夜は酔っ払いをぶら下げている。緊張で何を食ったかも分からない胃袋と口は親父のラーメンを欲しがってはいたが、このまま食べる訳にもいかず「また来るわ」と声を掛けて傍を通り過ぎた。 民家が立ち並ぶ路地は緩やかな坂になっている。交差点を左に曲がればコンビニの灯りが目に入る。いつもは何かを買っていくコンビニも素通りし、突き当たりの洋館を右手に折れる。さほど広くもない川傍を真っ直ぐに歩くと大通りに出た。信号が青に変わり横断歩道を横切れば青い屋根が見えてくる。少し奥ばった細い路地を抜け、駐車場を横切りエントランスに入って行く。 この人は何を食ったらこんなに軽いのか。ぶら下げている清藤の身体は軽い。項垂れている目元は男にしては長めの睫毛が涙袋と仲良く合わさっている。こんな状況で眠れるのは安心しているからなのか、相当酔っ払っているからなのか、閉じた瞼は開けることを忘れているようだ。 エレベーターに乗り五階を押す。扉の上に光る数字を見つめ聞き慣れた音を待った。 カードキーを差し込みドアを開け自分だけ靴を脱ぎ、ようやくの到着に一息つき清藤の足を掬い上げ体を壁に押し当て、清藤の靴を乱暴に脱がせ横抱きのまま部屋に繋がるドアを足で押し開けた。 リビングの隣にある四上半の部屋は寝室になっている。とは言っても、リビングと寝室のこの部屋しかないのだが。真田は大学生の頃からここに住んでいる。日当たりが良くベランダが思いの外広く真田はこの部屋が気に入っていた。 ベッドに清藤を下ろし、靴を脱がせ、上着とネクタイを外してやった。布団の快適さに身を鎮めようと寝返りを打つ清藤の身体に跨って、両手を耳横に縫い付けた。 「あんた、まさか寝ようとか思ってませんよね?」 多分だが清藤は起きている。身体が軽かったのは歩こうとしている意識が働いていた。のしかかる重みは多少なりはあったが、人間が力を抜いてしまうとかなりの重さだ。祖父を介護をしていた祖母の手伝っていたから多少のことはわかっている。 「…なんだバレてたのか…」 寝室の灯りはつけていない。リビングからもれる灯りが清藤の表情を見せてくれる。 「軽かったですからね。それで、告った相手をその日に連れ込んでますがいんですか?」 そんなことは自分の持論には反するとでも言うように清藤に何か言って欲しかった。このままでは軽い男だと思われてしまうのではないかと、何か同意とみなせる言葉が欲しかった。 見上げる瞳は真っ直ぐ真田を見つめた。頬が赤いのは酒のせいだけではない。腕を解きたくて身を捩ろうとするが、上から抑え込む真田の力には敵わず、ふぅっと息を吐いた。 「お前といると初めて尽くしで…戸惑う」 視線を外して横を向きまた瞳を閉じ頬を赤らめた。 「姫抱きなんて初めてされたよ…したこともないけどさ…」 清藤が頬を染めているのが照れているからだと気付き、その頬に唇を落とし耳元で囁いた。 「あんたがちゃんと歩かないからですよ。俺だって、抱き上げた事なんてないですし」 「なんだよ…お前も初めてかよ…」 縫い付けられたその手首を見つめ視線だけを真田に向け琥珀色の瞳を潤ませた。どの角度から見ても綺麗だといったのは生半可嘘ではない。この人は独特の雰囲気と仕草が綺麗だと改めて思う。 「ここに連れて来いって言ったのは…友海さんです。俺はちゃんと段階を踏もうとしたのに…」 「お前って…可愛いな」 「どこが可愛いんです?今日はあんたに煽られっぱなしで、もう…」 「こんな風にさ、愛されてんだなって感じるとさ…どうにでもしてって気になるよな」 縫い付けた手を解放してやると清藤の掌が真田の頬を優しく撫で、その潤んだ瞳は真田の唇を求めるように近づいた。 合わさった唇はぷっくりと柔らかく酒の匂いとで酔いそうになる。それでももっと味わいたいと思う真田はその先の蜜を味わいたくて誘うように作られた隙間に舌を差し入れた。求められる喜びは真田の理性を砕いていく。まだ合意は得ていないと思いながらも誘われ気持ちは溢れていく。清藤の腕が愛おしそうに再び真田の後頭部を掻き抱いた。

ともだちにシェアしよう!