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第96話

仕事のできる人間は与えられた時間内に最大限の仕事をこなすと豪語し、定時退社を推奨している清藤は全員の退社を確認するとライトを落としドアを閉めた。  そそくさと帰り支度を始めた真田を捕まえ、先にマンションに帰るようにと伝えた。明らかに午後からそう、二宮に呼び出されてから様子がおかしかった。 引越し準備にと自宅に帰られては困る。二宮に何かを言われたということは明確なのだから何を言われたのか聞き出さないといけない。一人で悩み解決するなんてことは許さない。  どんな事だって知りたいし、悩むならいくらでも付き合ってやる。勝手に自分の知らないところで悩み苦しむなんてことは許さない。  まあ、そんな束縛は真田が気づかないうちに仕掛けているのだが、例え気付いていたとしても、真田が自分のそばにいる限りは続いていくことはわかっているはずだ。 何を想い、何に悩まされ、何に喜びを感じているのか全て知りたい。  外に出れば晩秋のひんやりした風が首元をくすぐり、弄ばれないようにトレンチコートの襟を立て首元をガードすると清藤は真田の待つ自宅へと急いだ。 一方真田はと言えば、自宅に帰り荷造りをしながら二宮の持ってきた縁談をどう断ろうか考えようと思っていた矢先、清藤に捕まった。  合鍵で主のいない部屋へと入り、コンビニで買った酒とつまみ、清藤の分の弁当をテーブルに投げるように置いた。 換気がてらにベランダに繋がる扉を開け、清藤が用意してくれたファンシーなサンダルを履き外へと出てみる。 …… 見合いってなんだ。 元上司、高居部長の娘とは面識はある。営業部は夏になると部長自慢の別荘に行き、自然いっぱいの行楽を楽しむのが好例行事だった。 何度か娘を連れて来ていたが、挨拶程度にしか話した記憶はない。 夏には必ずといって長続きしない彼女がいた。もちろん続かないと見込んでつき合っていたのだから一度も部長の別荘には連れていったことはない。当時の彼女には連れて行けとせがまれたが、来年には別れているだろうと公の場には連れて行かなかった。 「なんだよ、見合いって」 言葉にすれば腹立たしさが増す。 清藤との関係を知っていながら、二宮の魂胆に怒りが湧き上がってくる。それに高居部長も何故直接言ってこないのか。 断ることが目に見えているとふんだのか。  清藤にどう話せば良いのか。午後からそればかりを考えていたのだが、清藤を怒らすのではないか、悲しませるのではないか、そして二宮との関係にヒビが入るのではないかと悩んでいた。  そしてたどり着いた答えは取り繕わずそのまま言われたまま伝えることにした。  決して考えることに疲れたわけではない。ただ取り繕うと嘘も弁解も交え、二宮の感情まで代弁しそうで嫌だったのだ。  清藤の反応は怖いが、二宮から伝えられたままを話そうと言う結果になった。  いつもならメールで終業後の予定を決める清藤がわざわざデスクまで来て「マンションで待ってて」と小声で伝えに来た。  慌てた真田は周りを見渡し首振り人形のように何度も頷いていた。自分だけにしか見せない甘い笑みを見せ、踵を返しいつものように早足で自席に戻る後姿をぼんやり見つめていた。  その一瞬の甘えるような可愛らしい表情に真田は弱い。音さえならないがキュンキュンと胸が鳴るのだ。  蓮根が嫌いで、かわいい物が好きで、カラフルな色を好む彼の素の表情にハートに矢が刺さる漫画のように愛おしさが溢れてくるのがわかる。  これが好きで愛おしくて愛していると何度も自分の感情確認をしているようにも思えた。  これ以上ないと思う程、その上がまだある果てしない感情は満タンにはならなくて、好きになり誰にも渡したくない触らせたくないとさらに独占欲が湧き上がってくる。  それが清藤であることが堪らなく幸せで、こんな隙間なく清藤でいっぱいな真田に、見合い相手を思いやる気持ちはない。  好かれる事さえ面倒で厄介だと思うくらい、邪魔をされたくない感情が湧き上がり二宮も高居のその娘にさえ苛立ってしまう。  清藤を傷つけ自分をイラださせることにムカついていた。

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