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第143話
腕の中で声を上げて泣いた彼を優しく撫でながら、ずっと抱きしめていた。
不安や最悪の恐怖が心に巣を作り、ずっと長く居座り続けている。
心を歪な形に変えコントロールできなくなる魔物だ。
真田はそいつを追い出せるのは自分しかいないと思っている。
少しずつ長い時間をかけて潰してやると長期戦に持ち込む勢いの闘志を燃やしていた。
「友さん、もうどこへも行かないよ。小林と出かけるの嫌がってたのに、言うこと聞けばよかった。心配かけてごめんね」
事故当日、出かけようと誘ってきたのは小林だった。異国での再会に心が踊った。懐かしさと感動で、勢いと軽いノリで返事を返してしまった。
清藤がどんなに想いで旧友との再会と約束を聞いていたか。
そんなことは考えてもいなかったし、優先させるべきを考えなかった。
何よりも清藤が優先で、他に優先させるものは何もないのだから。
今考えれば付き合ってから予兆はあった。
思い出せば顔を覗かせる魔物に清藤は苦しんでいた。
いつも凛としていて隙がなく余裕さえ感じさせるのは、清藤の鎧だ。
鎧の下の柔らかい部分は鎧がないと守れないほど脆かった。
清藤が見せた柔らかい部分は自分だけが触れていいもの。なら一緒に戦うのは自分しかいない。
泣き疲れ泥のように眠った清藤を抱きしめて真田は決意を心に刻んだ。
翌日、事故で破損したスマホを新調した。
清藤が一週間出来合いの食事で済ませ、事故でまた一週間、空のままの冷蔵庫に食材を詰め込んだ。
汗だくになった二人は風呂に入り(どうしても一緒に入ると聞かなかった)エアコンの効いた部屋のベッドでゴロゴロと過ごす。
隣では一緒に新調すると聞かなかった清藤は、身体を擦り寄せ新しいスマホと遊んでいる。
そして、一番最初に届いたメールが二宮なのはなんだか面白くない。
たが、タイから引き続き通院できる病院を探してくれたのは二宮だった。それに事故後、清藤のサポートをしてくれた恩人でもある。
清藤が二宮を頼らず、自分だけを頼ってくれたことが、少し心の変化があったのだと嬉しくはあったのだが。
「お疲れ様です。真田です。今大丈夫でしょうか?」
メールの返事をメールで返せる相手ではない。
お礼は口頭でするのが礼儀だとモヤモヤしながら電話をした。
繋がった二宮は低音の張りのある声で話し始める。
「病院の手配、ありがとうございました。月曜日に早速行かせて頂きます」
「真田、体調はどう?無理しないように。それと、友は大丈夫かな?二人共ゆっくり休んでまた頑張ってくれよ」
真田の休日は明日の午前中までだ。抱えている仕事と雑務が山のようにある。
呑気に休んで療養というわけにはいかない。
当分の間は、医務室との往復になりそうだ。
「隣でゴロゴロしてます。疲れが出たみたいなので、今日はのんびりしようと思ってます」
昨日泣いたせいで少し目は腫れてはいたが、気分はスッキリしたようで朝早くから家事をこなしてくれていた。
「 友のことよろしく頼むよ」
言われなくても……と口走りそうになり、お礼の電話であることを思い出す。余計なことを喋ると言わなくてもいいことを言ってしまいそうだと端的に返事を返した。
「はい。承知しております」
素直な返答に豪快な笑い声が返ってくる。
その豪快な笑い声に耳元からスマホを外すと、視線を感じ隣を見れば清藤は至近距離で真田を凝視していた。
「に、二宮部長だけど、代わる?」
小声で伝えれば、ふっと微笑みスマホを奪い取った。ゴロンと寝転んで話し始める。
「誠治さん、病院探してくれてありがとう。治ったらバリバリ働いてもらうので、治るまでは無理させないでくださいね」
まるで奥さんのような口ぶりに吹き出しそうになった。
今日の清藤は奥さんのようなものかもしれないが。
朝から洗濯や掃除、朝食と真田にとっては申し訳ないくらいいたせりつくせりだった。
そして買い出しに出かけても『何が食べたい?』『暑いからさらっと食べれるものがいいよね』とか。
食材で悩む清藤はいちいち可愛いかった。
スマホを選ぶ時もそうだ。同じ機種に替えるのだと我儘を言って聞かなかった。
『お揃いで持ちたくないの?』
と、お揃いなのが当然だとでも言いたげな清藤を説得し、同じ機種の色違いに落ち着いた。
可愛い我儘や可愛く意地を張るのは、奥底の柔らかな部分の清藤を感じられ、ほっとして嬉しい。
距離がぐんと近くなったような、本当の恋人になれたような、清藤との空間は幸せで心が満たされる。
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