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ラストファイル3:伝家の宝刀
白い息を吐きながら、いつものように山上家のお墓を、丁寧に掃除していく。御影石にキズがつかないよう、細心の注意を払いながらスポンジで擦り、初夢の話や取調室での永遠の別れのことを、山上先輩に報告していた。
「初夢の話は、現代の山上先輩じゃなかったから、大きな事件が起きなかったのは分かるけど、取調室での夢でバッチリご対面しているのに、事件に関するトラブルがないのが不思議すぎる」
ぽつりと、ひとりごちてしまった。
勿論、山上先輩から返事はないけれど、それでも何かを伝えずにはいられない。天国から、聞いてくれているといいな。
夢の中の水野親王と翼の君は、あの後どうなったのだろうか。華麗に琴を奏でる翼の君の傍に、そっと寄り添うようにして、水野親王がいるんだろうなって、何となくだけど想像がつくけれど。
でもきっと平穏な日々が、長く続くとは限らないんだ。現に自分が、そうなのだから……
「警部になったら間違いなく、警察庁に飛ばされるのが、目に見えるんだよな。山上家の呪い、再燃なんだよ山上先輩」
ため息をつきながら、墓石に向かって、つい愚痴ってしまった。
山上達哉の恋人だった俺を、傍に置いて監視したいだけ。余計なことを、言わないように――
「もしかして二つの夢が重なったことで、お告げがくだされたとか?」
晴れ渡った大空を見上げ、取調室の夢を見た10日後のことを、ぼんやりしながら思い出す。
その日の俺はいつも通り、仕事をこなしていた。大きな事件がなかったので、溜まっていた書類整理をしていたとき。
「ミズノン、呼び出しだぞ。取調室3番にだってさ」
「取調室? 何か事件ですか?」
小首を傾げながら、上田先輩に問いかけてみる。
「逢えば分かる。お前、パクられるなよ」
いつもおふざけ半分の上田先輩が、えらく真面目な顔して言うもんだから、変に緊張してしまった。
高鳴る心臓を押さえ、ノックして取調室に入る。
――逢えば分かる――
その言葉の意味が、一瞬で理解できた。入ってすぐに目に飛び込んできたのは、山上先輩にソックリな人物。
思わず、ひゅっと息を飲む。
高鳴っていた心臓が、一瞬で静かになった。その人のまとっている空気が、俺の体を瞬間冷却させる。
パーツ本体は似てるけど、持っているオーラが全然違っていた。まるで、山上先輩をマネキンにしたみたい。
涼しげな一重まぶたで俺を見る、その眼差しも氷のようだ――
「水野、警部補ですね」
感情のこもっていない、淡々としたハスキーボイス。これから何が行われるのか、まったく分からなかった。
「あ、はい。初めまして……」
「初めましてという、感じではないだろう? 私の顔を見て、かなり動揺しているじゃないか。警察庁から来た、山上警視正です。改めて初めまして」
「山上先輩のお兄さん、ですよね?」
山上先輩と付き合い始めたときに、母親違いの兄がいると聞いていた。嫌味な上にねちっこくて、性格が相当歪んでいるヤツだと、すっごくイヤそうに話をしていたっけ。
そんな予備知識があるもんだから、警戒せずにはいられない――
そんな俺を見て、口元だけで笑う山上警視正。目が全然笑っていないのが、更なる恐怖心を煽りまくった。
「ふぅん、これが噂の水野警部補」
値踏みするかのように、頭の先から足先まで、ジロジロ見てくれる。
ふぅんのイントネーションが、山上先輩と同じだけど、全然ときめかないのは、冷たい眼差しをしているからだろう。
「そんな所に突っ立っていないで、掛けてくれないか。君とはじっくり、話がしたかったんだ」
「はぁ、失礼します……」
おどおどしながら向かい側に座ろうとした瞬間、何気なく机に置いた右手を、いきなりぎゅっと掴まれた。
「ひっ!」
「この手で毎月、うちのお墓を掃除しているんだってね。きっと達哉は、喜んでいると思うよ」
その言葉に呆然とし、固まった俺の右手に指を絡めようとしたので、思いっきり振りほどかせてもらう。
――異様に、冷たい手……まるで、蛇に絡みつかれるのかと思った。
右手を後ろに隠し、その気持ち悪さをこっそりと、背広の裾で何度も拭う。
「その様子だと達哉から私について、何か聞いているみたいだな。君には拒む権利なんて、始めからないんだよ」
やっぱり兄弟だ。権力で俺を何とかしようと、目論んでいるのが分かる。
「いいね、その目。そこに惚れたのか、達哉は」
――そうやって抵抗すればする程に、僕を煽るのが分からないのかな――
不意に蘇った山上先輩の言葉に、内心動揺してしまった。山上警視正の言葉と、どことなくリンクするのは、声が似てるから? それとも……
「大丈夫だ。とって食ったりはしないから。それに人の目があるところで不埒な行為をするほど、私もバカじゃない」
言いながら顎で目の前にある、マジックミラーを指す。
「見えないプレッシャーが、そうだな……ふたり分くらいだろうか、感じるね。うちの伝説の刑事に、キズをつけてくれるなってさ」
――誰かが、見守ってくれている――
こういうことをするのは、デカ長と関さんだろうか。お陰で随分と、落ち着くことが出来た。
小さいため息をついて、渋々山上警視正の向かい側に、改めてゆっくりと腰掛けた。
「達哉が生きてる間に、一度君とは話がしたかったよ。よくあんな問題児と付き合っていられるなと、不思議に思ったしね」
「……そうですか」
「君は知らないだろう? 達哉は高校時代、男漁りしまくって問題になり、表向き親の都合ってことで転校扱いになったけど、自主退学させられてね。挙句の果てに大学時代は、ヤクザの息子と駆け落ちまでした、ツワモノなんだよ」
想像以上の破天荒な山上先輩の過去を聞いて、思わず笑ってしまった。
「なぜそんな風に、笑っていられるんだい?」
意外だという目で、俺を見る。
はじめて彼が、感情をあらわにした瞬間だった。
「笑ってしまって、すみません。何か、山上先輩らしいって思ってしまって」
「君はこの話を聞いて、失望しないのか?」
「そんなことで、失望する理由はありません。山上先輩から複雑な家庭環境の話を、いろいろと聞いていたので、何となくですがその行動のワケ、分かるんですよ」
「男漁りに、ヤクザの息子と駆け落ちだぞ。自分の欲望を、満たすだけの行動じゃないか」
その言葉に俺は、ふるふると首を横に振る。
「表面だけ見たら、そうかもしれません。でもそのワケはきっと――必死になって捜していたんです。自分だけを、心から愛してくれる人を。愛にとても、飢えていた人でしたから」
「死者を美化したい気持ちは分かるが、身内になってみろ。いつも問題を起こす達哉に、父や私が難儀していたんだ」
「彼なりにそうやって困らせて、血の繋がりのある家族と、交流したんじゃないんですかね。好意に関して感情を表現することが、極端に不器用でしたし……」
そう言うと、山上警視正は苦笑いしながら、両腕を組んだ。
「なるほど、ね。家族以上に理解している君を守るために、その身を挺した。ということなのか。達哉に守られた君が、残された資料を使い捜査して、大した苦労もせずに、賞を戴いたワケなんだ」
確かに、山上先輩がひとりで頑張っていた仕事に比べたら、俺は大した苦労をしていなかったと思う。
「否定はしません。ちゃっかり、賞を貰いましたから」
その中でも俺は苦しんだ。愛していた山上先輩を盾にしてしまったことについて、何度悔やんだか――
そんな俺を身内である山上警視正に責められるのは、いた仕方のないことだと考え、膝に置いた両拳に、ぎゅっと力を入れる。
「正直者だな、水野警部補は。ますます欲しくなった。警察庁に来ないか?」
「申し訳ないですが、ここで仕事がしたいので、そちらへは行けません」
「まったく、正直者で頑固。刑事採用試験のときといい今回の話といい、即決で断ったのは君くらいだよ。さてここでの仕事を、どんな手で奪ってやろうか――」
「奪わないでくださいっ! 俺はどうしても、ここで仕事がしたいんです!」
お願いなんかしたくなかったけど、パイプ椅子から立ち上がり、山上警視正に向かって、しっかりと頭を下げた。
「そんなに必死なのは、達哉がここで仕事をしていたから? それとも――公園前派出所にいるノンキャリアの警官を、首を長くして待っているからだったりする?」
下げた頭を上げずに、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。今、顔を上げたらきっと、すべてを悟られてしまいそうだ。
「君がこちらに来られるよう、どこかに飛ばしちゃおうか。人当たりが良さそうだし、離島辺りで上手くやっていけるんじゃ――」
「彼にっ! 矢野 翼に、手を出すのだけは止めてください! 俺の事情に彼を巻き込むのだけは、本当に勘弁してくださいっ」
「へぇ、水野警部補の大事な彼は、矢野 翼っていうのか。公園前派出所にはノンキャリアの新人、二名いたんだけどね。どっちだろうと悩んでいたから、助かってしまった」
がーっ! 何やってるんだよ……俺の身辺を入念に調べ上げ、絶対に分かっていることについて、自らの発言で確証させてしまったじゃないか。
「大事な彼の事を考えるのなら、どうすればいいか分かるよな。悪い話じゃないんだ。警部になって、ウチに来なさい」
俺の肩を二度叩くと嫌味な笑い方をしながら、取調室を出て行った山上警視正。その後を茫然自失しながら部署に戻ると、上田先輩が俺の頭を、優しく撫でてくれた。
「ミズノンがここに来る前、まだ山上が生きてた頃。あの人よくやって来て、俺らの尋問していってたんだ。腹の立つことしか言わないし、何度手が出掛かったか。偉いな、よくガマンした」
「上田先輩……」
その言葉に、鼻の奥がツンとしてしまった。
「しかし最後は見事に、やられちまったな水野。関監察官がお呼びだぞ、監察室に行って来い」
「デカ長? やっぱり見ていたんだ」
「何を、腑抜けたツラしてやがる。このまま、ヤツの言うことを聞くわけじゃないだろ。気を引き締めて、関さんの所へ行け。山上が残した時限爆弾の話、聞き漏らすんじゃねぇぞ」
言いながら俺の背中へ、気合を入れるように強く叩く。
「時限爆弾って?」
「あ~、ミズノン知らないもんな。別名、伝家の宝刀。実は俺も、一枚噛んでるんだ。ついにミズノンにも、話が回るのか。働けよー、お前」
きょとんとする俺に、デカ長と上田先輩が嬉しそうに笑い合う。
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