10 / 111

#3 神経衰弱

ベッドに背を預け、脚を伸ばして床に座る友春が、脱ぎ捨てたコートの内ポケットを探る。赤い箱を平然と取り出すのを那緒は看過しなかった。 「トモ、俺の部屋で吸うなって何回言ったらわかるんだよ」 グラスに緑茶を注ぐ部屋の主よりも遥かに寛いでいる友春は、唇に細い紙筒を一本咥え、手にした百円ライターをカチカチ鳴らす。 「いいじゃん別に。ナオママ夜までいないんだろ」 「臭いでバレんだろ! お前のせいで最近のファブリーズ消費量やべえんだよ!」 那緒の真っ当な抗議など何処吹く風で、友春は煙草の先にあっさりと火をつけた。 ポスターの類やカレンダーや時計すらなく、真っ新なオフホワイトだけが広がっている壁、雑誌や漫画で埋まった小さな本棚、筆記用具やノートが乱雑に散らばった学習机。 これといった趣味の物も見当たらない、そんな那緒の自室に、白い煙が細く揺蕩う。甘いような独特の匂いがたちまち広がった。 その直後、玄関のチャイムが鳴り響く。間を置かずに扉を開ける音。 那緒が反射的に立ち上がる。 おじゃましまあす、と可愛らしい声が階下から届いた。 「うわ、宗介もう来たの? タイミング悪」 宗介に限らず友春もだが、那緒の家に出入りするのに玄関前で待つということをしない。チャイムだけ鳴らして勝手に入ってくる。勿論、予め約束をしていて、那緒が鍵を開けておくのが前提ではある。 「ナオさあ、下で宗介たち足止めしてきてくんない?」 「は? 足止め? 何でだよ」 「火点けたばっかで勿体無い。せめて半分は吸わせて。二分でいいから」 「お前なあ……」 ぶつくさ言いながらも、那緒は友春の傍にスプレーボトルを置き「ちゃんとファブリーズまでしろよ!」と吐き捨て、部屋を出ていった。 残された友春はゆっくり煙を吸い込む。寄りかかっていたベッドによじ登ると、窓を細く開け、外に向けて隙間から紫煙を吐き出した。 安物の携帯灰皿に灰を落とす。 二、三度それを繰り返したところで、階段をドスドスと上がってくる足跡が耳を叩いた。 ――本当にあのポンコツ、使えない。 溜め息と共に最後の煙を吐き、火種を灰皿に押し付けるのとほぼ同時に、部屋の戸を勢いよく開けて宗介が入ってきた。 「友春……それ消せ」 地を這うような声に、普通であれば畏縮するところだろうが、残念ながら声変わり前からの付き合いである友春には、そこまでの威力を発しない。 肩を竦め、蓋を閉じた携帯灰皿を軽く掲げ「もう消したってば」と戯けてみせた。 「さっさと仕舞え。殺すぞ」 「はいはい、ごめんって。お兄ちゃん必死すぎ」 ぎろりと三白眼が物騒な光を増すが、友春は気にも留めなかった。 窓をさらに開けて換気をしつつ、結局半分も吸えなかったな、と思いながらカーテンとベッドに消臭スプレーを振りかける。 できれば二人とも足止めしておいて欲しかったが、上がってきたのが宗介だけだったのは、まあ結果として悪くはなかったのだろう。 吸いたいものは吸いたい。しかし喘息持ちの子供に苦しい思いをさせるのは、さすがに友春といえど気が引ける。 室内の気温は下がったが、煙や匂いの感じられない程度に換気が出来た頃、那緒と円佳(まどか)が賑やかに階段を昇ってきた。 「トモくんこんにちは!」 部屋に飛び込んで来るなり、幼い子供特有の、加減を知らない大きな声を張り上げる。友春は猫を被った笑みを浮かべて、さらさらの黒い髪を撫でた。 「こんにちは、円佳ちゃん。元気だね」 「うん、元気だよ! トモくんは?」 「俺はあんまり元気じゃないかな」 何度同じやりとりをしても、円佳はいつもここで不思議そうな顔をした。

ともだちにシェアしよう!