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#3-4

宗介の低い声にも、伏せた目にも、何の感情も浮かんでいなかった。 憤りとか悔しさとか、そういったマイナスの方向にばかり針が振り切れやすい宗介だ。 だからこそ、その無感情が意味するところはあまりに大きくて、那緒は息が止まりそうになる。 なんで、と、叫びだしてしまいたいのを拳を握って耐えた。 飲み込んだ言葉は消えてはくれず、音になる代わりに頭の中でループする。 なんで宗介ばっかり、こんなに苦しまなきゃいけないんだ。 「じゃあ」 短い静寂を破ったのは友春だった。 那緒のベッドに俯せに横たわったまま、頬杖をついてこちらを見下ろしている。 マスクをしていない素顔の友春は、穏やかな笑みを薄っすらと浮かべていた。 「宗介みたいに頭良くなるかもね」 途端に宗介の目付きが変わり、ナイフのような鋭い視線で友春を刺した。 自身のバース性に言及された怒りは、しかし、すぐに嚥下されたようで。 宗介は何も言わないまま、友春から顔を背けた。 長い溜め息がひとつ。 透明な液体で満たされたような、じんわりと重く息苦しい室内に、円佳の寝息だけが規則正しく浮き上がっては消えていく。 「あ……、お絵描き!」 暫しの間があいて、那緒がようやく声を上げた。 「円佳、お絵描き好きだし、そういう才能あるかもなっ。芸術家って結構オメガの人が多いらしいし」 那緒は努めて明るくそう言うと、学習机の引き出しを漁り、スケッチブックを数冊取り出した。 「ほら、これとか凄くね? 夏に水族館行ったじゃん。そのあと描いたやつ。イルカとかめっちゃ上手!」 「え、ていうか何冊あるの、スケッチブック」 「いっぱいあるよ。お絵描き始めると止まんないから、円佳」 カラフルな絵が並ぶページを、那緒の手が次々捲っていく。 イルカとペンギン。パンダの親子。赤い実の成る木。空を飛ぶ車。ドレスを着たお姫様。手を繋いで笑っている、大きな人と小さな女の子。 そうくん、と拙い字で書き込まれた絵が、他にもたくさんある。必ずピンクのワンピースを着た女の子とセットだ。 「可愛い」と、珍しく何の衒いもなく友春が笑った。 「これはシスコンにもなっちゃうよね。仕方ないね」 「うるせえな……」 照れ隠しなのか何なのか、しかし否定はすることなく、宗介は舌打ちをした。 「あ。書類偽装しちゃダメだよ?」 「わかってるっつの。しねえよ」 「あとさ、抑制剤の飲み方とか、大きくなったら宗介が教えてあげなきゃダメなんだからね? もうちょっと自分のこともちゃんとしとかないと、教えるとき困ると思うよ」 「うるせえ、ついでで説教してんじゃねえ死ね」 宗介と友春の会話を少しハラハラしつつ聞きながら、那緒はスケッチブックの中の宗介に視線を注ぐ。 顰め面をしているものもあるが、円佳と一緒ににっこり笑っている絵だってある。 円佳と二人でいるときは、こんな風に笑うこともあるのだろうか。 嫌味や挑発ではない、宗介の心からの笑顔というものを、那緒はもう長いこと目にしていない気がした。

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