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#4-3

自室で目覚めた那緒は、いつもより高い天井に浮かんで消える、幼い宗介の顔をぼんやりと追った。 まだ頭が半分寝ているような状態で、うつらうつらしながら時計を確認する。 もうすぐアラームをセットした七時だ。 部屋に揺蕩っている、自分以外の寝息。それを乱してしまわないよう那緒は鳴る前にアラームを解除し、床に敷いた布団から静かに起き上がった。 ベッドには宗介と円佳が並んで寝ている。シーツやカバーにほとんど乱れもなく、二人とも寝入ったときと同じ体勢なのではないかと思うほど寝相が良い。 那緒は布団の上に正座したまま、穏やかな寝息を立てる二人の姿を暫し眺めた。 顔は似ていないが、髪の質が全く一緒だ。真っ黒で細いつやつやのストレート。睫毛が長いのも一緒。 宗介は切れ長の奥二重だが、円佳はぱっちり二重。 肌は二人とも白くて、円佳はそこに健康的な血色が透けている。宗介はどちらかというと青白い。 夢で見た幼い宗介と、目の前で眠る彼を那緒は重ね合わせた。 誰をも寄せつけまいとする表情は子供の頃から彼の一面ではあったが、今ではそればかりが宗介の顔のようになっている。 あんな風に笑ったのを最後に見たのはいつだったか。 笑うだけではなく、悲しい顔も苦しい顔も、隠さず見せてくれたらいいのに。 そんなことを考えるともなく考えながら、那緒は枕に散った宗介の髪に触れることすら出来ないでいた。 リビングへ降りていくと、香ばしい甘い匂いが漂っていた。 早起きな母がキッチンで鼻歌を歌いながら、ものすごい勢いでボウルに入った何かを混ぜているらしい。 那緒は知っている。母がこんな風に張り切って料理をしているとき、出来上がるのは胸焼けを誘発するタイプのものだと。 「あっ那緒、おはよう! ねえねえ見て!」 那緒とよく似た顔の母、理緒は上機嫌でケーキクーラーの上に並んだカップケーキを掲げた。 「円佳ちゃんに! 今からクリームでウサギさんとかクマさんとかにするのー!」 二色の生地はバニラとチョコレートだろうか。それぞれ一色のものとマーブルになったものがある。そしてボウルでかき混ぜていたのは生クリームらしい。那緒は思わず壁の時計を二度見した。 理緒はお菓子作りが好きで、甘いものをあまり好まない息子の代わりに、円佳に可愛らしくデコレーションしたお菓子を作ってあげることを至高の喜びとしている。 「宗ちゃんの分もあるんだけど、確か生クリーム嫌いだったよね? チョコは大丈夫だっけ?」 「あ、うん。チョコは食べてたよ」 「じゃあ宗ちゃんの分のトッピングはチョコとナッツにしよっと! ちょっといいお紅茶も淹れちゃおうかな!」 理緒の楽しみは円佳と宗介が引き受けてくれる。うきうきと楽しそうな母の姿に失笑しつつ、那緒はダイニングテーブルの上に三個並んだおにぎりの一個を食べた。 残りの二個はドリンクボトルと一緒にスポーツバッグの中へ。 早々に軽い朝食を終えると、顔を洗い歯を磨く。 「那緒、それ後ろ前じゃない?」 「え? うわ、ほんとだ」 インナーを頭から被り直し、脱ぎ捨てたパジャマを洗濯籠へ。 「今度はジャージが裏表じゃない?」 「嘘? うわ、ほんとだ」 フルジップのジャージを脱いで袖をひっくり返し、厚いジャケットを着込んで、那緒は玄関へと向かった。 「今日は雪か雨が降るみたいだから、傘持って行ってね」 「わかった。あ、宗ちゃんたち来週も来たいかもって」 「オッケー! 起きたら言っとくね」 「うん、よろしく。行ってきます」 「傘!」 休日の陸上部の活動は九時からで、部室やトラックに入れるのは八時半からと決まっている。 那緒はいつも七時半前に家を出て、通学路からは外れた川沿いでストレッチとジョギングをする。トロい自分は人より長時間のウォームアップが必要だと思い、陸上を始めた頃から続けている習慣である。 川沿いの道は、小学生の頃にもよく走らされたコースだった。 小学六年生まで野球部だったが、打つも捕るも投げるも見事に駄目だった。 万年ベンチだったが、稀に起用されることがあったのは代走。真っ直ぐ走ることだけは速かった。 中学校からは陸上へ転向し、短距離でそこそこの記録を出した。県大会での入賞経験もある。 何の取り柄もない自分が唯一、人より少しだけ優れているもの。それが陸上だった。 足だけ速くてあとはポンコツのアルファかあ。 口にすることはなかったが、那緒は常々、心の中だけでそう自虐していた。 冷たい風が吹き抜ける土手で、いつもの場所にスポーツバッグを置き、マットを取り出す。レジャーで使うような、面積にして座布団二枚分程度の、ごく簡単なものだ。 朝露に濡れた芝の上にそれだけ敷き、那緒はストレッチを開始した。 それが終わると次はジョギングを始める。息が上がらない程度の、かなりゆっくりとしたペースで身体を温める。 吸い込む空気がいちいち冷たくて、最初は肺を凍らすようだったそれが、次第に心地良いものに変わっていくのが好きだった。 柔らかい土を踏みしめながら、那緒はふと昔のことを思い出した。 久々に見た今朝の夢のせいだろう。 那緒の心に強く残っている思い出のひとつ。 後にも先にも一度だけ、宗介が那緒に涙を見せた日のことだった。

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