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#4-4
小学校四年生の冬、五度目のバース性検診の結果がついに出て以来、宗介は荒れに荒れた。
家に帰りたがらなくなり、ある日ついに近所のコインランドリーで夜を明かしたと知って、理緒が「うちに連れてきなさい!」と激昂した。
週に六日、うちに来てもいい。ただし一日は絶対に自分の家に帰ること。家族と接したくないなら、無理に会話はしなくてもいい。でも親に必ず顔は見せなさい。
そんな約束を、理緒は宗介に交わさせたらしかった。
母がそこまで言った理由を那緒は知らない。しかし理緒は言葉通り、毎日宗介の分も食事を作り、服を洗った。まだ身体の出来上がっていない子供だったので、那緒と宗介は同じベッドで一緒に寝た。
理緒は宗介の親とも話をしていたらしい。
勿論そんなことも知らなかった那緒は、宗介を心配する気持ちはありながらも、どこか呑気に宗介との生活を楽しんでいた。
宗介は相変わらず短気で暴力的ではあったが、朝は一緒に登校し、また同じ家に帰ってくるのは、何となく那緒をわくわくした気持ちにさせた。
宗介が自分の家に帰るのは大抵木曜日だった。
理由を聞いたら、高確率で父親が不在だから、ということだった。母親とだけ顔を合わせることで、宗介は理緒との約束を守っていた。
だから、木曜日の朝は一緒に登校するが、帰宅するのは那緒だけだ。
野球の練習を終えて帰ると、いつもより広いテーブルで夕食をとり、明日また学校で宗介に会えることを考えながら、いつもより広いベッドで眠った。
そんな生活が半年ほども続いた、夏のある日。
明日は一学期の終業式だ。
今日は木曜日だから宗介は自分の家に帰るだろうが、明後日から夏休み。
今年も友春と三人でプールや海や山に行きたい。去年うちの庭で手持ち花火をしたのは楽しかった。先日テレビで初めて見た流し素麺をしてみたい。
期待に胸を膨らませながら一人で眠り、いつもより少しだけ早く登校した、翌日の金曜日。
宗介は学校に来なかった。
それきり一ヶ月、那緒が宗介に会うことは叶わなかった。
「宗ちゃんはね、お母さんが入院することになって、ちょっとおうちがバタバタしてるの」
母がそう言ったのは夏休み三日目のことだった。
「しばらく遊べないかもしれないけど、我慢して待つのよ」
那緒は寂しく思った。
しばらく、というのが何日ぐらいを指しているのか、十一才の那緒には想像がつかなかった。
一週間、二週間経っても宗介が来る気配はなかったから、那緒はもう二度と永遠に宗介とは会えないのではないかと、半ば本気で思っていた。
「宗介も入院してるらしい。何でか知らないけど」
陽射しの照りつける公園で、並んで棒アイスをがりがり食べながら友春が言う。
「光希 っているじゃん。弟の。あいつが言ってた」
あいつ信用できないけどね、と大人びた顔をする友春の顎に、汗が滴っていたのを憶えている。そのくらい暑い日だった。
いつも一緒に行っていた夏祭りも、プールも友春と二人で行った。
海には何となく行く気になれなくて、代わりに友春に連れられて図書館へ行ったりした。
初めて行った図書館の中はしんと静まり返っていて、冷房が効いて涼しいけれど、そのせいかやけに冷たい感じがした。
背丈の倍もある大きな書棚の間を、友春が慣れた様子ですたすた進み目的の本を探し出すのを、どこか心細い思いで追いかけた。
長い夏休みも折り返し、手付かずの宿題をそろそろ何とかしなければ、と気持ちだけは焦り始めた頃。
玄関のチャイムが鳴った。
那緒は自室で漫画を読んでいて、来客を気にも留めなかったが、虫が知らせたとでもいうのか、何の気なしにふとリビングへ降りた。
「麦茶と緑茶とオレンジジュースとりんごジュースとぶどうジュースとカルピスとカルピスソーダとサイダー、どれにする?」
リビングのドアを開けると母の声がした。
自分に向けた言葉にしてはタイミングがおかしかったから、おや、と思ったのと同時に、那緒は宗介の姿を見とめた。
ソファに浅く腰掛け、黒いTシャツの袖から伸びた骨っぽい腕の先は、膝の上できゅっと小さな拳をつくっている。
見慣れた顔は懐かしくさえ感じた。
宗介はドアの前に立ち尽くす那緒を一瞥したあと、すぐにすっと目を逸らして、「麦茶」とだけ言った。
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