18 / 111

#4-5

那緒の部屋に二人で上がってから、那緒はいくつか宗介に尋ねた。 宗介はいつもの顰めっ面で、しかし明らかにどこかが違っていて。ちょっと痩せたのかもしれない、と那緒は思った。目の下が青っぽくなっている。 「宗ちゃん、入院してたって本当?」 「……誰に聞いたんだよ。嘘だ」 「え、嘘なの」 「俺は入院なんかしてない」 なんだやっぱり嘘だったのか。那緒は初めほっとして、でもやがて逆に不安になった。 「じゃあ、どこにいたの?」 一ヶ月もの間、どこで何をしていたんだろう。なんだかすごく疲れたみたいな顔にも見える。 宗介は、覗き込んでくる那緒の丸い瞳を避けるように、ほんの何秒間か目を伏せた。 「檻」 「え?」 ぼそっと呟かれた言葉はあまりに短く、那緒は自分がうまく聞き取れなかったのかと思った。 しかし何度聞き返しても、宗介はそれ以降、何も答えてくれなくなった。 その日の夜、宗介が泊まっていくと聞いて、那緒は複雑ながらも嬉しかった。 会えなかった期間のことについてはそれきり教えてくれなかった宗介だが、那緒が買ったばかりの漫画の新刊を差し出すと素直に受け取って読み始めたし、おやつの桃だって普通に食べた。 何があったのか知りたくないわけはないし、心配でもある。しかし宗介が自分のそばに帰ってきてくれたことに那緒は安心していた。 友春に電話をしたら、ラムネの瓶を三本持ってやって来た。 用事があるとかですぐに帰っていったけれど、三人で膝をつき合わせて飲む今年初めてのラムネは美味しかった。 夕食に母は宗介の好きな海老フライを作った。 那緒が好きなテレビ番組を観ている間に、宗介が風呂に入る。 一ヶ月間袖を通されていなかった宗介のパジャマは、箪笥の一番下の抽斗で出番を待ち続けていた。 那緒が風呂から出て、髪も乾かさずに自室へ上がると、部屋の電気が点いていないことに気づく。 宗介が中にいるはずだが、もう寝てしまったのだろうか。様子を伺いながらそっとドアを引く。 ベッド横のカーテンが全開になっている。 夕方、確かに閉めたはずなのに。 窓も開いていて夜風が緩やかに吹き込んでいた。 黒い絵の具を水槽に溶かしたような空。満月に近く太った月がやけに明るく輝いている。 宗介はベッドの上に座っていた。 開いた窓から、細い上半身を外へ乗り出していた。 その瞬間、自分がとった行動の詳細を、那緒はよく覚えていない。 覚えているのは「宗ちゃんが消えてしまう」という強い焦燥に、身体が支配された感覚だけだった。 気がつくと那緒は、窓辺から宗介を引き剥がしてベッドの上に仰向けに押し倒し、その腹の上に馬乗りになっていた。 宗介は、見たことがないくらい大きく丸く目を見開いていた。瞳に月が映り込んでいる。唇も小さく開かれたまま固まっていた。 その顔がじわりと滲む。那緒の両目に湧き上がった涙が、あっという間に溢れて夕立のようにこぼれた。 「宗ちゃん、やだよお、死なないでえ」 ぼたぼたと流れ落ち、宗介のグレーのパジャマの胸元がみるみる黒く染まっていく。 手の甲で拭っても拭っても抑えきれないほどの勢いで、那緒は久しぶりに泣いた。幼稚園児に戻ったみたいに声をあげて泣いた。 自分を呼びながら大泣きする幼馴染を見上げて、宗介は呆気にとられた顔のまましばらく動かずにいたが、やがてゆっくり右手を持ち上げると、指先で那緒の濡れた頬を撫でた。 「バカじゃねえの……外、見てただけだっつうの」 泣くなよ、と言う声が掠れていて、那緒は一層しゃくり上げる。 「でも、死んじゃうかと思った」 月が浮かぶだけの寂しい夜空に、宗介がすうっと吸い込まれて、そのまま消えてしまうような気がした。 自分の手の届かないどこか知らない場所へ、簡単に行ってしまう気がした。 宗介がいなくなると思ったら、ぞっとした。 会えなかった一ヶ月の間にも同じ想像をしたけれど、そのときよりずっとずっとリアルで、怖くてたまらなかった。 「嫌だよ、宗ちゃん。死なないで」 ぐずぐずと洟を垂らしながら、宗介の手を握りしめる。 「一緒に生きようよお」 宗介の指を那緒の涙が伝った。 そこから伝染したみたいに、宗介の目にも涙が浮かんで一瞬で溢れかえるのを、那緒は見た。 両のこめかみを滑り落ちて、するすると止め処なく流れていく。長い睫毛が瞬くと雫にまで月が反射した。 「バカじゃねえの」 宗介が同じ言葉を繰り返す。 那緒の手を握り返す。 そのまま二人でしばらく泣いた。 夜風は温くて優しかった。

ともだちにシェアしよう!