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#5-2

円佳と手を繋ぎ帰宅した宗介を出迎えたのは二つ年下の弟だった。 「お帰り」 玄関を開けると同時に投げ掛けられた声。 パーカーのポケットに両手を突っ込んで立つ弟の姿に、宗介は眉間の皺を深くする。 そんなことは露知らず、円佳は握っていた宗介の手を離し、無垢な笑顔を光希(みつき)へと向けた。 「みーくん、ただいま!」 「円佳、ちゃんといい子にしてた? またナオくんのとこに泊まってたんでしょ?」 「うんっ、円佳いいこにしてたよ」 マジックテープ式の靴をいそいそと脱ぐと、滑り止め付きの黄色い靴下をぺたぺた言わせながら、光希の腰にぎゅっと抱き着く。その髪を軽く撫でながら、光希が「偉いね」と微笑んだ。 「手洗っておいで。母さん待ってるよ」 うん、と元気に返事をした末妹が廊下を走っていく。 その姿を見送ると、光希は笑みを浮かべたままで、まだ靴も脱がずにいる宗介に目線もくれずに言った。 「オッサンまだ帰ってきてないよ。母さんはリビング。葉山(はやま)さんはもう帰った」 声だけは自分と似ている光希の、穏やかだが陶の器のように冷たいその言葉に、宗介は一層眉を顰める。 この弟がわざわざ顔を合わせに来るときは、大抵ろくでもないことが待っている。無事に円佳を家まで連れ帰った今、もはやこの自宅に長居する理由はない。 宗介は瞬時に結論を弾き出すと、弟を無視して踵を返した。しかしつい先刻閉めたばかりのドアに手を掛けるより早く、光希に腕を掴まれる。 「さっき母さんと電話してるの聞いたんだけど、オッサン、誰か連れて来るっぽいんだよね。お前に逃げられっとたぶん俺が面倒臭いからさ、今日はウチいてくんない?」 厚手のジャケット越しに感じる光希の手は、振り払えないほど強くはなかった。しかし宗介はそうはせず、見下すような視線を肩越しに向けながら、弟を鼻で笑ってみせる。 「テメー、マジで最近、クソ親父の犬だな」 「……キモイ事言うの勘弁してよ。お前のせいじゃん」 光希の表情が面白いように歪む。二重瞼に色素の薄い瞳。父親譲りのそれが不満げに濁って宗介を睨んだ。 「お前が大人しく長男やっててくれれば、俺だってあいつと会話しなくて済むのにさ」 「知らねえよボケ」 「知れやカス」 氷塊で切り付け合うような応酬。宗介の目元がきりきり血走る。対する光希は臆することもなく、その目を冷ややかに見返した。 「とにかく今日はお前がオッサンの相手しろよ。たまには機嫌とっといた方が、お前だっていいんじゃねーの」 宗介の腕を掴んでいた手を、泥でも払うような仕草で離して、光希は僅かに語気を強める。宗介はそれも一笑に付した。 「やなこった。テメーがやれ」 「俺が酒注いだって、あいつ、お前の話ばっかだよ。クソくだらねえ。世界一無駄な時間」 「どのみち無駄な負け犬人生だろうが」 「あ? 負け犬はどっちだよ。底辺が偉そうに吠えんな」 一メートルも離れていない二人の間に、氷点下の風が吹き荒れる。 殺伐とした睨み合いを終わらせたのは、ぱたぱたと駆けてくる足音だった。 「そうくん、またお出かけするの? 円佳もいく!」 言いつけ通りに手を洗い、リュックを下ろしてきたらしい円佳が、二人の兄の元へと戻ってきた。宗介に飛びつく勢いで駆け寄ると、再度しっかりと手を繋ぐ。 きらきらした目で見上げられ、毒気を抜かれた宗介が「……いや、出掛けない」と円佳に答えるのを聞いて、光希は思わず顔を背けて笑った。

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