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#6 春と修羅
友春は運が悪かった。
面倒事の回避には全力を尽くす友春である。そのために手段を選ばない。
しかし今回はどうしようもなかった。
午後から行われる入学式に向け、準備や新入生の誘導、その他諸々をこなす雑用係を仰せつかってしまった。
新三年生の各クラスから一人ずつとのことで、去年から持ち上がりの担任が無作為に選んだのが友春だった。
適当な理由をつけて辞退したいところだったが、有無を言わさず「準備があるから今すぐ体育館へ行け」という指示が下った。
文句を言う暇すら与えられず、マスクの下で思い切り顔を歪めたのだった。
渋々足を運んだ体育館に当たり前のように那緒がいて「あれ、トモも? 珍しいね」などと言ってきたのは、笑えたが腹立たしかった。
保護者のためのパイプ椅子を並べ、式後に新入生へ配られる資料の整理までさせられ、ほとんど準備は済んだものの、まだ解放はされない。入学式のあいだもずっと体育館で待機し続けなくてはならない。
あまりのダルさに目眩を覚える。
新入生や保護者の誘導係だけはどうにか免れ、友春はステージ脇の用具庫へと避難した。
扉と幕で仕切られているため教員の目の届かない、なかなかに都合の良い場所だった。
ちゃっかりついてきた那緒と共に、適当なところに腰を下ろす。幕の隙間から壇上の様子が伺えた。今は無人で演台だけが中央に佇んでいる。
入学式が始まるまであと二十分、式自体が一時間といったところか。
今頃、自分たちの教室ではロングホームルームが行われているはずだ。そちらはそちらでダルいので、それをサボれると思えば悪くなかったかもしれない。
友春はそう考えることで気を紛らわした。
ああ、それにしてもダルい。全てがダルい。煙草が吸いたい。
「トモ、さっきから溜め息つきすぎじゃね?」
「うるさい。ナオのせいだよ」
「俺が何したって言うんだよ……」
隣の那緒の存在すらダルい。友春はポケットに突っ込んだままのスマートフォンを取り出した。絡まないよう器用に巻かれたイヤホンを伸ばす。
「寝る。何かあったら起こして」
「え、マジで? 俺一人はさすがに暇なんだけど」
「そのへんで筋トレでもしてれば」
「ええー……」
音漏れしない程度まで音量を上げ、壁の方を向いて目を閉じた。その隣で那緒が途方に暮れたような顔で肩を竦める。
友春が本当に寝息を立て始めた頃、扉の向こうが俄かにざわつき出した。
那緒が小窓から状況を伺うと、保護者の誘導が始まっていた。並べたばかりのパイプ椅子が順番に埋まっていく。
やることもないので那緒は言われた通りにスクワットを始めてみたが、落ち着かないのですぐにやめた。床に座ってストレッチをしてみる。それも開式時間が近づくにつれ体育館内が静かになると、何となく気力が削がれて、結局友春の横に戻り大人しく座った。
やがてマイクを通した司会者の声が響き、新入生入場の音楽が流れ出す。
それなりの音量にも関わらず、ぴくりとも反応しない友春を横目に、那緒は大きな欠伸をした。
国歌斉唱、式辞、祝辞と滞りなく式は進行していく。
幾度となく舟を漕ぎかけるも、何かあっては友春に殺される、という強迫観念じみたものが那緒の瞼を上げさせた。
時々うつらうつらとしながら、来賓祝辞やら生徒会長の歓迎の言葉やらを聞き流していた那緒だったが、ふと、聞き覚えのある名前がアナウンスされるのが耳に飛び込んできた。
「えっ」と思わず声を漏らしながら立ち上がると、那緒は幕の合間から壇上が見える位置へ、無意味に中腰で移動した。
新入生代表挨拶といえば、普通、入試の首席合格者がやるものだ。ということは演台の前でちょうど一礼をした男子生徒は恐らく、首席合格の新入生ということなのだろう。
一礼から顔を上げると、実に堂々とした佇まいで一歩前へ踏み出した。
その横顔がやはり見覚えのあるものだったので、那緒は慌てて友春の肩を揺り起こした。
「トモ、トモ、起きて」
不機嫌な表情で目を開きイヤホンを外した友春を、その機嫌に構うことなく腕を引いて立たせる。
先程自分がいた位置まで引っ張っていくと、壇上を指差して囁く。
「あれ、宗ちゃんの弟だよね……?」
マイクによって拡声され響くのは、凛とした滑らかな声。那緒が彼と最後に言葉を交わしたのは何年も前のことだから、声変わりしたであろうそれが宗介とよく似ていることに驚いた。そして何より、彼自身の面影は変わっていない。
友春は少し目を細めてその姿を見据え、やがて思い切り眉根を寄せた。
鬼塚光希。
紛れもなく、宗介の二つ歳下の弟だった。
「うちの高校受けてたんだ……知らなかった」
那緒が呟く。
すらすらと淀みなく、嫌味なほど完璧に新入生代表挨拶を済ませると、光希は盛大な拍手を受けながら壇上を去っていった。
「昔から頭良かったし、何でもできる感じだったけど、代表挨拶かぁ。凄いね」
戸惑いの残る声で那緒がぼそぼそ続けるが、友春は拍手の音に紛れて舌打ちをする。
「俺、大っ嫌いなんだよ、あいつ」
それだけ吐き捨てると、座っていた場所へ戻り、どさりと腰を下ろした。
マスクの下の表情は見えずとも、目の色だけで不機嫌を顕にした友春に、那緒は何と言っていいものか逡巡し、結局何も言わなかった。
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