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#7-5

宗介が通ったあとと思しき廊下を抜ける際、那緒は犬にでもなった気分だった。 体育館を出た途端、甘い匂いが道筋を知らせるかの如く続いていた。こんな匂いを撒き散らしていたら、絶対に他のアルファに見つかってしまう、そう思って焦りを強くした。 最大の問題は宗介が自覚していないことなのだ。那緒の知る限り、ここまで強く匂うのは二年前、初めて感じたあのとき以来ではあるが。 恐らくフェロモンの量や濃さにもまだムラがあるのだろうと推測を立てる。 そして教室に近づくにつれて強まるそれは、宗介自身がそこに留まっているであろうことを予測させた。 案の定だ。那緒が教室に辿り着いたとき、宗介は入り口に背を向けて立っていた。 不自然に静かな佇まいに、那緒の脳裏を不穏な予感が走る。 「……宗ちゃん……?」 恐る恐る名を呼べば、宗介は大きく肩を震わせて振り返った。見開かれた三白眼にありありと浮かんだ焦燥。 ただならぬものを感じ、那緒は彼に駆け寄ろうとするが、あたりに充満したオメガのフェロモンがその動作を妨害した。 気が遠くなるような、強烈な匂い。 昨夜まで那緒の部屋で感じていたものとは比べものにならなかった。 粘性すら感じる、湿度の高い甘さ。吸い込んだ気道が蜜を流されたようにじっとりと濡れる錯覚。 前のめりに倒れそうになった那緒が、実際にはほとんど直立のまま意識だけをその場に踏みとどまらせたとき、宗介は動いた。 那緒が立っているのとは反対側の出入り口に向かい、矢のように駆け出す。廊下へ飛び出したその痩身を、那緒も一拍遅れで慌てて追った。 「ついてくんじゃねえよ……!」 突っ切った廊下の向こう、宗介が目指したのは校舎の別棟へと繋がる渡り廊下だった。ガラスの引き戸を開けた瞬間に冷たい風が吹き込む。 宗介は腰ほどの高さの柵を軽々と飛び越え、上履きのまま中庭へと飛び出した。 那緒はもたつきながらも後を追う。柵を上手く越えられず転んだ。すぐに立ち上がり、校舎の影に消えてしまう間際の背中を捉える。 その先にあるのは部室棟だ。どこへ行くのかと疑問がちらつきながらも、足を動かす方が先決だった。 「宗ちゃんっ」 部室棟のさらに奥にその姿を見つけた。古いプレハブ造りの倉庫の一部だ。がたがたと大きな音を立てながら、宗介はその入り口を開けようと躍起になっていた。 今は使われていない場所だ、開くはずがない、そう那緒が思ったのも束の間。錆び付いた戸は鈍い音を響かせて開いた。 ぎりぎり通れる程度の幅だけ口を開けたその奥には、暗がりが待っている。宗介はそこに身体を滑り込ませ、すぐに閉め直そうとしたが、那緒が追いついてしまう方が僅かに早かった。 「宗ちゃん、待てって!」 外から縋りついて力をかけられると、引き戸はあっさり動かなくなった。 それでも平常時の宗介ならば那緒を閉め出すことは可能だったかもしれないが、走っているうちにもどんどん熱っぽさを増した身体は言うことを聞かないらしい。 那緒は宗介もろとも倒れ込むように倉庫の中へと押し入った。 埃にまみれた床に頭を打った宗介が、那緒の身体の下で鈍痛に悶えている。そんな状況でも甘い匂いは薄らぐことがなかった。 胸の内に溢れんばかりに満ちていく、熟れた花のような匂い。 那緒はぐらつく理性を総動員させて宗介を見下ろした。荒い呼吸、紅潮しきった頬、潤んだ目。明らかにヒートだ。 「抑制剤は……?」 「……ッ」 声を詰まらせた宗介の様子に、持っていないのだと察する。 「何やってんだよ、持ち歩いてなきゃダメだろっ」 「……っるせえ、指図すんな!」 噛みつく勢いで返され、那緒の頭には少し血が昇った。 こんな匂いさせて、そんな顔して、俺を押しのけられないくらいフラフラなくせして、何を。 沸き上がったのは憤りと綯い交ぜになった劣情だった。衝動のままに宗介の両手首を捕らえ、冷たい床に押さえつける。 宗介の瞳に驚愕が浮かんだ。那緒に挙動を封じられるなど、想像したこともなかっただろう。 宗介の身体は抗えない興奮状態にあったが、那緒も同じだった。 ヒートを起こした宗介を見るのも、そのフェロモンを肌で感じるのも初めてだった。それも、こんなに間近で。 一呼吸ごとに腰が重くなっていく。口の中に唾液が溢れて止まらない、獣じみた欲情を自覚した。 宗介の全てが、まるで蜜を滴らせる果実だ。誘われ、たまらない気持ちになる。 何とかしてあげなければ。宗介を助けてやれるのは今、自分しかいないのではないか。 そんな思考が陽炎のように揺らめく狭間で、那緒はごくりと喉を鳴らす。 ――俺に抱かれたら、宗ちゃんのヒートも治まるんじゃない?

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