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#9 ベータ:盤野友春
友春が日常的にマスクを着用するようになったのは中学二年生の頃であるが、そのきっかけは何だったのかと問われれば、話はさらに五年ほど遡る。
小学校の三年生、そろそろ反抗期に差し掛かろうかという年頃だった友春は、初めての恋愛をした。少なくとも当時の彼にとってそれは恋愛であった。
相手は学校の教師だ。年齢は三十代半ば、物腰柔らかな独身の男性教師。
真面目で誠実そうだと保護者たちからの評判がすこぶる良く、児童たちからは優しいが面白味に欠けると思われている、そういう人物だった。
友春の学級担任ではなく、部活動や委員会で接したのかといえばそういうわけでもない。梶田 というその男とどのようにして近付いたのか、友春自身、これといった記憶がなかった。
覚えているのは、いつの間にか放課後の理科室に通うのが日課になっていたことだけ。
梶田は「ともはる」と名前を呼んでその小さな頭を撫で、膝の上に座らせてキスをした。シャツの裾から手を入れて、ほとんど骨と皮だけの幼い身体を撫で回した。
初めはむずむずと擽ったいだけだった脇腹や背中が、回数を重ねるごとに痺れるような感覚を得るようになり、太い指の先で転がされた乳首はふっくらと腫れて鋭敏になっていった。
下半身に触れられることはなかった。代わりに梶田は友春の口内を毎回執拗に愛撫した。薄い舌をつまんで弄び、零れる唾液を啜った。
九才児の狭い口腔は、成人男性の指を差し入れられれば簡単に喉まで届いてしまう。
えづくのをある程度我慢できるようになると、性器を挿入された。
上顎や頬の内側や舌に擦りつけられ、時々喉奥まで拓かれたあとは、とても優しく後頭部を撫でられた。青い臭いのする精液を噎せながらも飲み込むと、抱き締めて褒められた。
その褒美が欲しい一心で、友春は外れそうになる顎を懸命に開いていた。
梶田と友春との関係は一年以上も続き、誰にも明らかにされることのないまま、梶田は他の学校へと異動していった。友春が四年生を終えるときのことだった。
梶田がいなくなって一ヶ月もすれば、友春はその存在をなんとも見事に綺麗さっぱり忘れた。
宗介が荒れた時期と重なったのもその理由のひとつだ。
直前の冬にバース性検診の結果が出てから、宗介はほとんど家出状態になった末、那緒の家に居着くようになった。梶田と離れてからは友春もそれにくっついて那緒の家に入り浸ったので、寂しさや恋しさなど感じる暇もなかった。
そうしてやけに擽ったがりな身体と過敏な口内の粘膜をもったまま友春は成長し、やがて精通を迎えた。中学二年の春だった。
周囲のクラスメイト達は密かにグラビアを共有して楽しんでいた。アルファとオメガの男性同士のものもあるが、圧倒的に女性のものが多かった。
人口の半数以上を占めるベータ性は、ベータの男女でなければ繁殖が出来ない。そのためか女性を性的対象として見る者が大多数であった。
そこに違和感を抱く自分に気づいた友春は、夏のある日、唐突に思い出した。
梶田に触れられていた日々のこと。理科室の匂い。喉を擦られる息苦しさと、その奥に感じていた、微かな気持ちよさ。トイレに行きたくなるのと似たあの感じ。
軽い夏風邪をひいたのをきっかけに、友春は年中マスクを手放せなくなった。大人の男に性器として扱われていた部分を、それで隠した。
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