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#10-4
物理的に塞いだ耳に、不愉快な声が漏れ聞こえてくる。
「友春くん」
正直なところイヤホンを突っ込んだだけのそれは到底耳栓とも呼べないのだ。音楽を聴いているふりをして実はそれすらも聴いていない。イヤホンは無音だ。
いくら不愉快でも、その声をシャットアウトしてしまうのはリスクが高いから。
「ねえ、友春くんってば」
現時点では、永遠に続く構ってちゃん攻撃の他に被害はない。しかし唐突に妙なことを大声で言い出さないとも限らない。
そんな事態が発生した際に、遅れをとらず阻止できるよう、友春は無視を決め込みつつも光希の言葉をしっかりと聞いていた。
「友春くん友春くん友春くんん、ねえ、無視しないでよ寂しいい」
ノートに目を落とす友春の視界に、無理矢理入り込んでくる茶色がかった髪。真っ黒な瞳の色だけが兄と同じで、他は全く似ていない顔。
ノートごと視線を横へスライドさせ、友春はついさっき出されたばかりの宿題に意識を傾ける。
「とーもーはーるーくぅぅん」
ついに駄々をこねる子供のような声を出し始めた。鬱陶しいことこの上ない。友春は舌打ちしたい気持ちさえも押し殺した。無視だ。完全無視。
周囲のクラスメイトは誰一人として近づいてこない。
入試の首席合格者でもあるその新入生が、泣く子も黙る鬼塚宗介の弟だと知っているからだ。
光希が昼休みのたび友春のもとへ通い始めたここ三日ほどのうちに、いつの間にか知れ渡っていた。
ほんと最悪、と思いながらほんの一秒か二秒、目を閉じたその隙に、右耳からイヤホンが引っこ抜かれた。見開いた目に憎たらしい笑顔。
「やっとこっち見てくれたー」
機嫌良さげに言いながら、奪ったイヤホンを自分の左耳へと運ぶ。「うわ、ふざけんなやめろ」イヤホンの共有、友春が最も嫌悪感を抱く事柄のひとつ、いろいろな意味で。
どこ吹く風で光希は「あれ? 音しなくない?」と言った。
「友春くん、俺のことシカトするためだけにこれ着けてたの? ヒドくない?」
「うるさい……返せ」
乱暴に奪い返し、そのまま自分の耳へ戻す気にもなれず左手の指でコードを巻き取る。職員室に消毒用アルコールあったな、あとで借りに行こう。密かにそう決意しながら。
「お前さ、何なの、自分のクラスに友達いないの」
「いるけど友春くんの方が好き」
「あっそ。俺はお前のことがめっちゃくちゃ嫌いなんだよね。一年の教室帰れよ」
「なんで俺のこと嫌いなの? 宗介と仲悪いから?」
それもあるしそれ以前の問題。友春は答えない。そもそもうるさい奴は嫌いだ。相手をしたくなくて立ち上がる。
「ねえどこ行くのぉ」
「ついてくんな、マジで。マジで」
「置いてかないでよ」
「そんなに寂しいならお兄ちゃんに構ってもらってくれば?」
募る一方の苛立ちが両手に余る。
トイレの個室にでも籠城してみようか。こいつなら昼休みが終わるまで、ドアの前で延々喋り続けそうだ。
廊下をずんずん進んでいく友春の後ろを、光希がちょこちょことついてくる。
今はまだ友春の方が背が高いが、十五歳の光希はこれから成長期だろう。確か宗介も高校一年くらいで一気に伸びた。
歩きながらも絶えず友春に声をかけ続ける光希。すれ違う生徒が時折視線を寄越す。
「友春くんと話したいだけなのに」
しゅんとしたような口調も演技だとわかっている。友春は振り向くと、冷たい目を肩越しに光希へ向けた。
「お前と話すことなんかひとつもない」
「俺はあるよー、いっぱい。友春くんと仲良くなりたいんだもん」
「ならまずは黙ってみれば?」
「ヤダ」
堂々巡りだ。友春はこれ見よがしに大きな溜め息をついた。
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