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#10-6

「……覚えてる? 友春くん、理科室の前で俺と会ったこと」 変わらず小声でひそひそと囁くように光希は続けた。友春は答えない。感情の色の薄い目で、そこに並んだ背表紙の「芥」の字を見つめている。 「俺知ってるよ。友春くん、梶田先生と一緒に理科室から出てきた。何回も……俺、何回も見たよ?」 友春は何も言わないまま、記憶だけを反芻していた。 もちろん覚えている。四年生のときだ。不快な記憶だった。光希は二年生だったはずだ。 ある日いつものように放課後の理科室を出たら、待ち構えるかのように光希が立っていた。そしてにこにこ笑って、友春と一緒に出てきた梶田に言ったのだ。「先生、日直終わったよ」と。梶田は光希の学級担任だった。 覚えている、はっきりと。 露骨に強張った梶田の顔。その手を無邪気に取り、教室へと引っ張っていった光希が、振り向いて友春に笑いかけたのも。 廊下に一人取り残された自分が、突然なぜか酷い吐き気に襲われ、飲み込んだばかりの青臭い粘液をトイレで吐いたことも。 「当時はよくわかんなかった、何かワルイことしてるのかな、ってことしか。だから忘れてたんだけどさ……こないだのあれ見て思い出したんだ」 「……マジでお前、何がしたいの?」 強請る気なのだろうが、目的がわからない。友春は獣が威嚇して唸るように低く問い返す。光希は楽しげに少し笑った。 「別に? ただ友春くんが俺のこと全然見てくれないからぁ……俺は仲良くしたいだけなのに」 「仲良く」 「そ、仲良く」 鸚鵡返しに拾った言葉を光希がさらに繰り返す。友春はゆっくりと光希に胡乱な目を向けた。 図書室の静寂と古い蔵書の匂い。 向き合って立ってみると、光希はその表情に小さなクエスチョンマークを浮かべた。構わず一歩、上履きを履いた足を踏み出して距離を詰める。右手の人差し指をマスクに引っ掛け、顎まで下ろす。 晒された唇を、数センチ低いところにある光希のそれに押しつけた。 重なる間際、僅かに鼻先がぶつかる。 光希は目を見開くが、逃げを打ちはしなかった。睫毛の触れ合うような間合いでしっかりと見つめ返してやりながら、唇を割って舌を侵入させる。 硬直している光希のそれに絡め、吸いついて、自分の口内に引き入れてから軽く歯を立てる。じゅる、と微かな水音が響いた。 耐えられなくなったのか、ついに光希が目をぎゅっと瞑る。ざらついた舌の表面を擦り合わせてやると、ぴくりと震えて身を強張らせた。 童貞クソ雑魚ガキ、と思いながら友春はわざと甘ったるく吸い上げ、最後に舌先を少し強めに噛んでから粘膜を解放した。 細く繋がった糸を、見せつけるような舌舐め擦りで断ち切る。 「仲良くって、こういうの?」 厭らしく口角を上げて囁き、呆然として固まった光希の身体を片手で小さく突き飛ばした。まだ成長しきっていない、男の身体になる前の薄い胸板。友春は吐き捨てる。 「どいつもこいつも、アルファの野郎はチンコでしかモノ考えらんねーのかよ」 素早くマスクを戻しながら踵を返す。出口へ向かって歩き出すが、光希はもう追っては来なかった。

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