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#11-5

それからしばらくして、母の妊娠がわかった。 母はきょうだい全員とそれぞれ二人きりになって、膝の上に抱きながらそれを報告した。今までもそうだったように。 宗介はリビングで母と隣り合って座った。膝を叩き「おいで、宗介」と言うので、首を横に振った。少し残念そうな顔をしながらも、母は無理強いしなかった。 今年で三十四になるはずの母、(きょう)は、普段はオールバックにしている髪を下ろしていた。 癖のない真っ直ぐな黒髪がさらさらと揺れる。その合間に覗く、怜悧な色をした切れ長の目。 宗介とよく似たそれを優しげに緩ませて、恭は宗介に微笑みかけた。 「宗介。弟か妹、もう一人増えるとしたら、どっちがいい?」 宗介は顔を背けながら、投げやりに「どっちでもいい」と答えた。すでに弟が三人、妹が二人いるのだ。どっちも欲しくない、と言わなかったのは、宗介なりに母の気持ちを考えてのことだった。 恭はそんな宗介を少しのあいだ黙って見つめた。それから、両膝の上できゅっと握られている小さな拳に、自分の手を重ねる。手が振り払われることはなかった。 「宗介。うちは変な家だって思うか?」 穏やかな声で問われ、宗介は答えられず顔を伏せてしまう。 去年の夏、宗介は那緒と友春と画策して、毎年恒例で有無を言わさず連れて行かれる親戚への挨拶回りをボイコットした。 今年は最初から連れて行くのを諦められた。そういう自分の行動が母を困らせているのはわかっている。 無言を肯定と取った恭が、ふっと苦笑いを漏らす。 「そうだよな。ほかのうちとは違うとこ、いっぱいあるよな。嫌な思いさせてるかもしれない。ごめんな、宗介」 そんな言葉に、宗介はいよいよ俯いた。母から謝罪を聞くことの、罪悪感に似た居心地の悪さ。 恭は握った宗介の手を引き寄せ、自身のまだ平らな腹部に触れさせた。 「でもな、これだけは、ほかの子たちの親と同じだ」 宗介が顔を上げる。 手のひらに触れた衣服越しの体温と、それよりもダイレクトに伝わる、大きな手の温かさ。 黒曜石のような瞳で、自分と重なった母の手を見つめた。白い肌、真っ直ぐ綺麗に浮き上がった甲の筋と、長い指。視線をさらに上げると、美しい貌が間近に自分を見つめていた。 「愛してるよ。お前たちを世界で一番愛してる。命より大切な、俺の子供たちだ」 低く澄んだ優しい声には、嘘のない慈しみが込められているように、宗介には思えた。 だから、余計にわからなくなって、結局何も言えなかった。 あの日覗いた寝室で聞いた声。自身の快楽だけを貪る、理性の欠片もなくなった声。あれは本当に母だったのだろうか。どれが本当の母なのだろうか。 二月、宗介は通算五度目のバース性検診を受けた。二週間ほど経った日の夜、父の圭介(けいすけ)が自室に宗介を呼んだ。 父の書斎兼寝室となっているその部屋に、宗介は一度も入ったことがなかった。室内で待っていた葉山に促され、圭介に向かい合う形で置かれた椅子につく。 圭介は肘掛けのついた椅子に座っていた。手にした書類にじっと目を落とし、何事か考えに耽っている様子だったが、やがて組んだ膝の上にそれを伏せると口を開いた。 「十歳になったんだったか。学校はどうだ、宗介」 見下ろしてくる視線を受け止めつつも、宗介は返事をせず黙っていた。父と向かい合って言葉を交わすなど、いつ以来かも記憶にない。 宗介の無言を意に介したふうもなく、圭介は長い脚を組み替えながら言う。 「お前は賢い。素行に多少問題はあるが、それもお前の能力ゆえのものだと私は思ってる」 圭介の髪や瞳は、やや淡い茶色をしていた。宗介は自分と全く似ていないそれを見つめ返す。 「同級生が子供っぽくてイライラしないか? 教師のやり方に疑問を感じないか? 大人と話していると、自分が見くびられている気がして腹が立たないか?」 あまり体温を感じさせない声で、圭介は淡々と続けた。 「私はそうだった。飲み込んで大人しくしていたがな」 そこで圭介は再び手元の書類を開いた。 昨日届いたばかりの、宗介のバース性の通知書だ。宗介はまだその内容を知らない。 指先でゆっくりと紙面をなぞりながら、ふうと小さく息を吐く。 「お前がアルファかベータなら、会社を継がせるつもりだったんだが……オメガだそうだ。残念だ」 突然告げられたその事実に、宗介は身を固くした。 学校で習った様々な知識よりも先に脳裏に過ぎったのは、母の脚だった。知らない男に抱え上げられ、棒きれのように揺すられている二本の脚。

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