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#11-6
「母さんのヒートの様子を見たそうだな」
見透かしたような父の言葉に宗介は肩を強張らせる。父の傍らに立つ葉山の顔に目をやると、表情の消え失せた、普段の彼からはおよそかけ離れた顔をしていた。
部屋にはずっと圭介の声だけが静かに響いている。
「私もバース性で差別をする気はない。ただ、オメガが社会的に地位ある人間になるためには、あれはあまりにも大きな障害だ」
恭がヒートの度に仕事を数日間休んでいること。重すぎる恭のヒートは抑制剤を使っても抑えきれず、仕事に支障をきたすこととなっている。圭介はそう語った。
「オメガのお前に、会社を継ぐことは難しいだろう。どこかに嫁いでもらうことになるだろうな」
「……あ?」
そこで初めて宗介は、引き結んでいた口を開いた。
嫁ぐ。幼い宗介には馴染みのない言葉だったが、意味はわかった。
会社を継ぐ代わりの結婚。それをしろという。眉間に皺が寄る。
「そんなん、勝手に決めんな」
発せられた息子の言葉に、圭介は表情はそのまま、目線だけを少し上げた。予想の範囲内だったのだろう、どこか独白に近かった口調を、教え諭すようなものに変える。
「お前にはまだわからないかもしれないが。結婚というのは本人たちだけではない、家同士のものでもあるんだ。お前たちの相手は私が決める」
「ふざけんな。嫌だ。絶対嫌だ」
自分のことを勝手に決められたり、押しつけられるのは大嫌いだった。僅かに肩を竦める父を宗介は睨みつける。
家のため――否、会社だ。会社のためにこいつが決めた相手と結婚するなど、死んだほうが数倍ましだ。宗介はそう思った。
反抗心を露わにした息子の視線を受けても、圭介は涼しい顔をしていた。「お前たちの幸せのためだ」と平淡な調子で言い放つ。
「地位も財産も、誰もが簡単に手に入れられるものではない。それが人生の全てだとは言わないが……我が子に与えられるものは与えたい。親として当然の感情だと思わないか」
「知らねえよっ。俺は要らねえから放っとけ」
「それに、オメガというのは、子を孕むことが何よりの幸せなんだそうだ」
圭介の右手で通知書がひらめく。それ自体には何の効力もない、たったの紙切れ一枚。
「母になることで喜びを感じる。母さんもそうやってお前たちを産んだんだぞ。本能が求めるんだ」
「……だから俺にも子供産めってか?」
耳の奥で母の喘ぐ声がする。何が幸せだ。喜びだ。宗介は語調を強くする。
「俺は絶対に嫌だ。あんなこと、死んでもしねえ」
椅子から立ち上がり、同じ視線の高さになった父の無表情を強く睨みつけながら、憤りで荒くなりかけた呼吸を努めて深くした。
「てめーの言うことなんか聞かねえぞ。勝手に人生決められてたまるかっ」
そう言い切ると、返事を待たずに父へ背を向けた。間際、葉山とも目が合うが、引き止められることはなく、宗介は振り返った勢いのままに部屋のドアへと突進した。
やたらと重く感じるそれを押し開き、わざと大きな音を立てて乱暴に閉める。
その直後、ドアの脇に立っていた人影に気づき、思わず飛び上がった。
光希だった。
ずっと聞き耳を立てていたらしい。眉をハの字に思い切り下げ、泣きそうな顔で何か言いたげに唇を歪ませている。
宗介は自分より二十センチほど低いその顔を、数秒のあいだ見つめ返し――すっと視線を逸らして、隣をすり抜けた。玄関に向かって廊下を早足で進んでいく。
「宗介ぇ」
後ろから光希の、情けなく自分を呼ぶ声がした。背に縋られているようだったが、宗介は振り返らなかった。
時刻は夜の九時をまわったところ。いつも履いている青いスニーカー。その踵を潰して、十才の子供が出歩くには暗すぎる外の世界に身を投げた。
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