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#12 白日
友春くん、といやに浮き浮きした声が追いかけてきた。
じりじりと力を持ち始めた、初夏の空の下。
下校時刻になったばかり、下駄箱の向こうに見覚えのある茶色い頭が見えたので、見つからないよう急いで靴を履き替えたのだが。
無駄に終わったらしい。
勝手に隣に並んで顔を覗き込んでくる光希を無視して、友春は歩を早める。
図書室での一件以来、光希が友春の教室までやってくることはなくなった。しかし校内で顔を合わせれば、相変わらず何だかんだとうるさく寄ってくる。
下校がかぶるのは初めてのことだった。光希はいつにもまして嬉しそうで、それが友春にとってはいつにもまして鬱陶しい。
「友春くん、いつもこんなに帰るの早いの? 委員会とかやってないの? 明日から一緒に帰ろうよ」
「………………」
「え、いいの? やったー! 俺教室まで迎えに行こうか? それとも下駄箱で待ち合わせ? どっちも捨て難いなー」
「勝手に話進めんな」
マスクの下で閉ざしていた口を思わず開くと、満足げににんまり笑う顔。
何でもいいから会話をしたい光希の思惑通りに、まんまと返事をさせられてしまったようだ。本当に腹が立つ。友春は顔を反対側に背けた。
家は同じ方向。友春の家のほうが少し近い。ということは、このままでは友春の家に着くまで、光希はずっとついてくるだろう。
家を知られるのは御免だ。今後どんな面倒な事態を引き起こすか知れない。
どうやって撒こうか、と考えながら友春が黙っている横を、光希は途切れることなくぺらぺらと喋りながら歩き続ける。
「宗介と水族館行くんでしょ?」
やがて光希がそんなことを言い出した。宗介から聞いたとは思えないから、円佳だろうか。夏休みが始まって二週目の水曜日に日程が決まったばかりだった。
「ズルい。俺も友春くんとデートしたい」
「デートじゃねえし。宗介と、でもねえし」
どうでもいいことではあるが、その表現はあまりにも現実との乖離があって不愉快なので、友春はそう指摘した。
主賓は円佳だし、那緒もいる。そもそも円佳のためでもなければ、宗介が遠出を言い出すことなんてないだろう。
すると光希は少しのあいだだけ黙り込んでから、
「宗介と二人がよかった?」
ぽつりとそう投げかけてきた。拗ねた子供のようにも聞こえた声音に、友春は横目でちらりと光希を見遣る。
苛立たしい笑みを消し、こちらの反応をつぶさに伺うような目をして、光希は友春をじっと見つめていた。
居心地の悪くなるその視線を遮るように、友春は片手で雑に前髪をかきあげる。
「……あのさ。お前もしかして、何か勘違いしてない?」
以前、男と会っていたことを「宗介にバラす」と言われたのを思い出した。あのときは意味がわからなかったが、今の言葉や表情から推察するに。
案の定、光希はぱちぱちと大きくいくつか瞬きをしてから言った。
「友春くん、宗介のこと好きなんじゃないの?」
それを聞いた途端、なんとなく力が抜けたようになって、友春は肩を落としながら大きな溜め息を吐き出す。
「何をどう見てそう思ったんだよ……」
「えー、何でだろ、なんかずーっとそう思ってた。違うの?」
「違うし」
那緒と違って、宗介に恋愛感情を抱いたことも、性愛の対象として見たこともない。きっぱり否定すると光希は「なーんだ」と同じく気の抜けたような声を漏らした。
「じゃあ他に好きな人いるの?」
「別に、俺は誰も好きじゃない」
「俺は?」
「論外。……つーかさ、あいつ最近、なんかおかしくない?」
宗介のことだ。友春は胸に引っかかっていたことを口にしてみる。
このところの宗介は、いつもどこか上の空というか、煮えきらないものを抱え込んでいるような雰囲気がある。
数日前に那緒とも話してみたところ、那緒も同じように感じていた。そしてどうやら、その原因が自分のやらかした例の件だと思いこんでいるらしい。友春にはしっくりこない仮説だったが、可能性として否定はしきれない。
とにかく、表向きは普段と変わらないが、幼馴染である自分たちにしかわからない程度の違和感が、宗介の態度に生じていた。
光希に聞くのは些か癪だったが、原因が家のことであれば、何か知っているはずだ。しかし友春の期待を裏切り、光希はきょとんとした顔で首を傾げるだけだった。
「そう? どのへんが?」
「いや……なんとなく、だけど。お前何か知らないの」
「知らなーい。あいつがおかしいのは元からじゃん。ね、それよりさあ」
肩透かしをくらった気分で再び溜め息を吐く友春に、光希がぐっと身を寄せてきた。造形の整った顔に正面から見据えられる。
油断していた友春は、その眼差しをまともに受け止めることとなった。
「友春くんってオメガ?」
「……ちげーよ、ベータだよ。お前アルファだろ、だから俺口説くのなんか時間の無駄だっつってんの」
「ふーん……じゃあこれ、オメガのフェロモンのせいとかじゃないんだ」
「は?」
「最近、友春くんのことばっか考えちゃうんだ、俺」
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