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#12-3
少し歩いて角を曲がれば、友春の家はもうすぐそこだった。
結局光希を撒くことができなかったので、いっそ通り過ぎて誤魔化してしまおうかとも思った友春だが、十字路で光希がきょろきょろと辺りを見回し始める。
「このへんじゃなかったっけ、友春くんち」
ぎょっとして振り向く友春を、光希は不思議そうに見返した。
「何で知ってんだよ」
「だって来たことあるもん。昔。宗介と」
全く記憶にない。率直に言うと光希は「ヒドいなあ」と笑った。
どう控えめに見積もっても十年は前の話だろう。家の場所まで覚えている光希の方が異常だ、と友春は思う。
昔から聡明さを感じさせる子供だったが、いろいろと損な性分の兄と違い、立ち回りが巧く器用な印象だった。友春にとってはそこが何となく憎たらしかった。
もはやいろいろと面倒になった友春は、諦めたように肩を竦めて「ここ」と自宅を指さした。
強いて言うなら瓦の屋根が特徴だろうか。他に特別目立ったところもない、ごくありふれた一軒家だ。友春のポリシーである「無難、凡庸、普通」から逸れることのない、住宅街に溶け込む外観。
光希は眩しいもののように見上げると、「キレイなおうちだね」と呟いた。
家に上げろとゴネられることを友春は想像していたのだが。
「じゃあね、友春くん。また明日」
そう言って光希はゆるりと手を振った。
拍子抜けしたような気分になって、そんな自分にも何となく白けて。友春は返事をせずに背を向けた。
鞄に手を突っ込んで鍵を探していると、少し離れたところから、今度は違う声に名前を呼ばれる。
「あら、友春くん、おかえりなさい」
出所は隣の家の庭だ。母よりいくつか年上の専業主婦の女性が、如雨露 を片手に立っていた。足下の鉢植えには黄色い花がこんもりと咲いている。友春には名前のわからない花だった。
「あ、こんにちは……」
「今日も暑いわねー。夏バテしてない? 元気?」
「あ、はい、大丈夫です」
「来週はもっと暑くなるってねえ。あら、夏休みいつから? もう始まってる?」
「あー、十九日からです」
矢継ぎ早に重ねられる彼女の質問に、友春は短く答えていった。
隣の息子はとうに社会人になっているはずだ。高校生の夏休みがいつからか始まるかなんて、彼女の生活に恐らく関係はない。
関係のないことを知りたがるのがオバサンというものだ、という認識のもと友春は、深く考えずに聞かれたことにだけ答えることにしていた。
隣人は笑顔に似た表情で、なおも言葉を重ねてくる。
「さっきの子、お友達?」
「あ、ハイ」
「そうなの、いいわねえ」
何がどういいのだろう。全く理解できないまま、友春は曖昧な作り笑いを返してみせた。ぺこりと軽く会釈をして、探り当てた鍵を鍵穴に差し込む。
誰もいない玄関でドアを閉め、ひとつ大きく呼吸をすると、急にずっしりと身体が重くなった気がした。
疲れた。
学校を出てからのほんの二十分ほどで、頭の中がどんよりとだるくなった。
友春は靴を脱ぐよりも先に、ドアに背を預け膝を折る。俯いた目に映る、床に落ちた小さな土塊と、自分の靴の先。
アンコン。光希にその言葉を遣われたことが、やけに印象に残っていた。
言い慣れた言葉ではないがゆえの、どこかぎこちなく聞こえた響きが耳にこびりついている。
とは言え友春も、あまり積極的にその言葉を遣うことはなかった。センチメンタルな語源も、妙に収まりの良い響きも腹が立つ。
男女の古来性に基づいた同性愛はゲイやレズビアンと呼称がついてはいるが、現代において、古来性による性愛の垣根は以前よりずっと低い。アルファとオメガであれば男同士、女同士でも繁殖ができ、さらに結婚について性の縛りがなくなったためだ。
しかし、そんな中でも性に関する差別的概念は存在する。
根強いのがアンコネイトだ。
アンコンとヘイトを繋いだ言葉であり、繁殖不可性愛に対し嫌悪感を抱いたり、差別的な思想をもつ人々を指す。
そして友春の両親はアンコネイトだった。
隣人は母と仲が良い……というより、いつも誰かの噂話をしている。今まで友春も散々聞かされた。お向かいの娘さんが結婚するだとか、どこそこの息子さんは酷い出来損ないで親に苦労ばかりかけているだとか。
光希のことを、彼女は母に何か言うだろうか。友春くんが珍しくお友達と遊んでたわよ、とか。
余計なことを言われないだろうか。友春がいずれベータの女性と結ばれて子孫を残す、それ以外の未来を想像だにしていない母に、両親に。
キスされたのを、腕を組まれたのを、見られていなかっただろうか?
――どうでもいい、知られて縁を切られるならそれで仕方ない。
そう思える日もあった。
それと同じくらいの頻度で、両親に知られるのが怖くてたまらない日もあった。
今日は、後者だ。
うずくまったまま友春は「あほくさ」と呟く。辛うじて涼しさの残る玄関に自分の声がやけに響いて、外では蝉が鳴いていたことに今更気づく。
ドア越しにも薄っすら聞こえるその声に、背中をじりじりと責め立てられているようだった。
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