60 / 111

#12-5

翌日。朝からそわそわと浮き足立った母の様子がどうにも落ち着かず、那緒は普段より二十分も前に家を出た。 早く学校に着いたところで特にすることもないから、コンビニでも寄って時間を潰そうかと考えながら歩いていたが、差し掛かった曲がり角でふと思う。 ここを曲がれば、宗介の家の方角だ。 少し遠回りで学校に到着できる道があり、恐らく丁度良い時間になるはずだ。それにタイミングが合えば宗介と一緒に登校できるかもしれない。 宗介が鬱陶しがる様子は目に浮かんだが、那緒はあまり迷わずそこを右折することにした。宗介と二人で通学路を歩くなんて小学校以来かもしれない。 期待しつつものんびりとした調子で歩を進めていたが、辺りでは群を抜いて大きなマンションの前で鉢合わせになったのは、那緒の大好きな幼馴染ではなかった。 「あれ、ナオくんだよね?」 柔らかそうな茶色い髪の毛、優等生らしくほとんど着崩していない制服。マンションのエントランスから駆け寄ってきたのは、少し前に一方的に見かけたきり、顔を合わせる機会のなかった相手だった。 「俺のこと覚えてる? 宗介の弟の」 「あ、うん、光希……くんだよね」 「呼び捨てでいいよお。昔はそうだったじゃん」 中型犬を思わせる人懐こい笑顔。やや圧された那緒の鈍い反応を意に介さず、光希はごく自然に那緒の隣に並んだ。 「わ、ナオくん背ぇ高くなったね! 何センチあんの?」 「えーと、一七八とかかな……」 「いいなあー! 俺もそのくらい伸びるかなあ?」 「あー、うん、どうだろうね……?」 朝日のような朗らかさで喋る光希が、那緒には些か眩しすぎた。無意識のうちに目を細めてしまう。 「ナオくん、もしかして、宗介のこと迎えにでも来たの?」 「え! いや、迎えになんてそんな、たまたま通っただけというか……」 「ふーん? そうなんだ。あいつとっくに家出たはずだよ」 「え。そうなの?」 予想もしていなかった情報に驚く。宗介がいつも教室に入ってくるのは然程早くない、むしろ始業ギリギリの日も多かった。 「最近は円佳と一緒にごはん食べて、円佳を学校まで送ってってるみたい。小学校って登校時間早いじゃん?」 マンションを振り返りながら光希は言う。そうなんだ、と那緒は気の抜けた声で返すほかなく、そんな那緒を見上げて目を合わせると、光希はにっこり笑った。 「ナオくん、俺と一緒に学校行こ!」 七月の太陽は朝から力強い。歩いているだけで汗ばんでしまいそうな晴天だが、光希は涼しい顔をしていた。暑くないの、と聞いたところ「暑いよ?」と不思議そうに返された。小首を傾げる仕草があまりにも宗介と似ていなくて、本当に血が繋がっているのかと那緒は疑いたくなる。 そこでふと、ずっと気になっていたことを確かめるチャンスではないかと思い至った。 「あ……あのさ、光希」 「うん?」 「あの、ちょっと訊きたいんだけど……」 宗介は何か隠している。 長い付き合いなのだからそれくらいわかる。 「余計なお世話」を殊更嫌う宗介だ、詮索するつもりはなかったが、今回のそれは随分と長引いているように見えた。表情に憔悴の色が時折滲むのは、那緒の気のせいではないはずだ。 宗介の様子がおかしくなるとき、原因は家のことと決まっていた。円佳が小学校に上がり、鬼塚家にも何か変動があったのかもしれない。 そんなことをそれとなく光希に訊いてみたくなった那緒だが、それとなく、さりげなく、は那緒にとってもっとも苦手とするところであった。 案の定、那緒が挙動不審ぎみに言葉を探し始めた途端、光希は小さく笑って言った。 「ナオくんも宗介の話だ」 呟くようなその声に、那緒ははっとして口を噤んだ。宗介が円佳以外の家族の話を嫌がるのと同じで、仲の悪い兄の話題は光希にとって地雷であっても不思議はない。 「ごめん。嫌だった?」 慌てて謝る那緒だったが、光希は「いいよ、別に」と小さく首を横に振った。

ともだちにシェアしよう!