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#13-5
円佳の手を引いてバスに乗り込み、宗介が向かったのは繁華街のとある高層ビルだった。
二人を見て怪訝そうな顔をしたスタッフからチケットを買い、エレベーターで最上階へと昇る。
展望台として一般開放されているそこは、夕方以降はカップルばかりになるようだった。ちょうど日の落ちる間際で、空を赤橙色に染め上げる太陽が目線よりも低いところに見えて、円佳は「うわあ」と感嘆の声をあげた。
「そうくん、ゆうやけ、まっかっか」
「そうだな、真っ赤だなぁ」
「すごーい。たかいよ。おそらの上みたい」
臆することもなくガラスにぺたりと張り付いて、遥か下方に広がる街の風景に見入っている。そんな円佳を二歩後ろで見守りながら、宗介もそこからの景色を眺めた。
ビル群を焼くほどに鮮やかな茜色と、昼間の空の青をフラスコで煮詰めたような深い藍色。それらが混ざって滲んだ部分は、蜂蜜色の帯になっている。
「おそら、きれいだねえ」
「……ん」
振り向いた円佳が手を伸ばしてくる。やわらかな指が手のひらの中に滑りこんできて、それがあまりに小さくて温かいので、宗介は少し、ぞっとした。
やがて茜色が地平線に飲み込まれ、上空から夜が滴ってくる。円佳の手を握ったまま、ぼんやりとそれを眺めながら、宗介は意識を七年前へと飛ばす。
終業式の前日だったのははっきり覚えている。
那緒の家のリビングで見た朝のワイドショーでは、確か、今年一番の暑さになると予報が出ていた。
小学五年生だった宗介は、一週間のうちほとんどを那緒の家で過ごしていたが、その日は自宅へ帰らなければいけなかった。
週に一度は帰って、親に顔を見せること。
那緒の母との、宗介にとってそれは、守らなければならない約束だった。
だが、学校が終わったら真っ直ぐ帰れ、とは言われていない。宗介はいつも公園で時間を潰し、日が落ちてからようやく母の待つマンションへと帰っていた。いつもは。
その日は違った。
終業式の前に持ち帰るよう言われたのだろう。図工の作品やら習字道具やらを両腕に抱えてよたよた歩く、弟の光希を見つけてしまったのだ。
「宗介は持って帰らなくていいの? おどうぐ箱とか、給食袋とか」
「俺はもう全部終わってんだよ」
「ずるいぃ」
「ずるくねー。お前がトロいんだっつの」
そういった荷物は全て、昨日までに那緒の部屋に運搬済みである。光希の荷物を半分持ってやり、日が傾くよりずっと早く、宗介は自宅の敷居を跨ぐこととなった。
二人揃ってリビングに入ると、ソファに座って仕事をしていたらしい母が、上げた顔に驚きを浮かべた。
「宗介も一緒だったのか。珍しいな」
宗介が無言で光希の荷物を降ろすと、「あ! 床に置くなよ!」と光希が憤った。それを見て宗介の行いを察したのだろう、母が立ち上がって歩み寄る。
「偉いなぁ、宗介。いいお兄ちゃんだな」
何も答えない宗介だが、母が大きな手で頭を撫でようとすると、振り払うことはせず仏頂面で受け入れた。
「光希! 宗介にお礼言ったのか?」
母にそう言われると、光希は拗ねたように少し唇を尖らせつつ「ありがと」と小さな声で言った。宗介も憮然としたまま「……別に」とだけ返事をする。母は切れ長の目を細め、満足そうに微笑んでいた。
母の腹部は大きく膨らんでいた。これまでにも何度も見たから違和感はない。
数日前から在宅勤務に切り替えていて、もう数日したら休暇に入るらしい、と道すがら光希に聞いた。女の子らしいよ、とも。
「もう名前も決めてるんだって。でも母さん、教えてくれなかった」と不満げにしていた光希だが、宗介にとってはどうでもよかった。どうでもいいと思い込もうとしていた。
もうすぐ妹が増えるということ。
母が子供を産むということ。
それを考えるとき、あの日寝室で見てしまった光景と切り離すことは宗介には不可能だったから、考えないようにしていた。
「ねえ母さん、宗介ね、こないだおれの漢字ドリル破ったんだよ。びりびりにしちゃったんだ。怒ってよ」
「んー? 破るのはよくないけど、どうせ光希も何か宗介怒らすようなことしたんだろ」
「おれ何もしてないもん!」
「……光希が俺の教科書に水ぶっかけたんだ」
「わざとじゃないって言ったじゃん!」
幼気な抗議を背中に聞きながら、宗介はそれ以上相手にすることなくリビングをあとにしようとする。光希のぶうぶう言う声に被さって、
「宗介、ナオくんのお母さんに迷惑かけてないか?」
そう、母のよく通る声が追ってきたが。宗介はそれにも応えなかった。
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