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#14-7

ようやくグッズショップの出口に宗介たちの姿が見えて、那緒もウミガメのプールに背を向ける。 円佳は何やら灰色がかった巨大な丸い物体を抱えていて、遠目にもわかるほど上機嫌だ。手を振りながら那緒は、ふと思いついて友春に訊ねてみる。 「そういえばトモ、いつの間に光希と仲良くなったんだよ」 「あ? 人伝(ひとづて)に連絡先聞き出して毎日毎日クソみてーなLINE送ってくるストーカー野郎と俺が仲良しだと思ってんの? スッカスカの脳ミソ、役に立たねえなら寄付してアザラシにでも食ってもらうか?」 光希との関係性と現状への不満の説明、那緒の行いに対する糾弾と発言の浅慮さの指摘。 それら全てを短く簡潔にまとめた言葉は、こちらに向かって歩いてくる円佳に汚い言葉を聞かせまいとする友春なりの配慮なのかもしれない。 そう考えることにしながら那緒は、確かにアザラシは肉食だってパネルに書いてあったなあ、と思った。 水族館をあとにした四人は駅へと向かう。最初に目についたコンビニへ友春は脇目も振らず入っていき、五枚入りの使い捨てマスクを買って即座に開封した。 せっかく遠出したのだからと駅前のモールをぶらつき、帰りの電車に乗ったのは三時を過ぎてからだった。 車内は朝よりもいくらか混み合っており、ボックス席には空きがなかったので、窓を背にして四人並んで座る。 宗介と那緒に挟まれた円佳は、アザラシの縫いぐるみを抱きしめながらしばらくお喋りをしていたが、やがて宗介に全体重を預け寝入ってしまった。 「円佳、イルカショー観たあとはイルカの縫いぐるみにするって言ってたのにね」 「俺もイルカの方がいいんじゃねえのって何回も言ったんだけどよ。これにするって聞かなかったんだよ」 「まさかリアル路線のアザラシを選ぶとは……」 「いいじゃん、シュールで。さすが円佳ちゃん、センスあるわ」 灰色の斑模様が入った柔らかそうな被毛生地に顔を埋め、すやすやと寝息を立てている。円佳を起こさないよう、三人の声は抑え目だった。 「俺、明日から補習なんだよね……」俯いて自分のサンダルの爪先を見つめながら、那緒が憂鬱を露わに呟いた。 「マジ? 数学のやつ? お前ひっかかったの、だっさ」中吊り広告の活字を読みつつ、笑い混じりに友春。 宗介は黙って向かいの窓から外を眺めている。膝の上に円佳の麦わら帽子。車体の振動に合わせて若草色のリボンが揺れた。 まだまだ日は高く、車内は控えめながら冷房が効いている。電車は中心街から離れて、車窓ぎりぎりまで朝顔の蔓が伸びる民家沿いを抜けていく。 やがて田園だか畑だかの広がる郊外へ差し掛かると、窓の外の景色はほとんど空の青だけになった。 那緒はその青にトンネル型の水槽を連想するが、不思議な静けさに包まれたあの水の青とは、濃度も密度も別の種類のものに思えた。 しかし、晴れていた空は地元に近づくにつれ、次第に色彩をくすませていった。確かな質量を感じさせる雲が所々に現れ始める。差し込む太陽の力が弱まっていくのが明らかで、友春が「傘持ってない」と独りごちた。 景色の中に建物がまた増えてきて、町並みが見覚えのあるものに変わってくる。そして、あと五分もすれば到着というところだった。 「ナオ」 左側から宗介に名前を呼ばれ、那緒は顔を向ける。宗介は相変わらず正面を見つめたまま、「さっきの話」と言った。 「別に、俺は……大人しく他人のもんになんかなってやる気もねえんだ」 低く、抑えた声ではあるが、はっきりとした発声だ。友春に聞かれることもきっと構わないのだろう。 何か答えるのも頷くのも違うような気がして、那緒は黙ったまま宗介を見つめた。 「どうにかするよ。自分で。俺の問題だからな」 宗介の短い言葉もやはり、何かを求めているものではなくて。それきり続く声はなかった、お互いに。 たぶん素知らぬ振りで聞いていたに違いない友春も、何も言わなかった。トモが俺の立場だったらどうするんだろう、とは、那緒は薄っすら考えた。 がたん、と車体が一際大きく揺れる。円佳が起きたのではないかと思って那緒が見ると、思った通り、白い瞼がゆるりと持ち上げられた。 まだ覚醒しきっていない瞬きを繰り返す妹に、宗介は「そろそろ着くぞ」と声をかけて。 その響きの穏やかさに、那緒はまた思ってしまう。 友人ひとり、幼馴染ひとり、好きな人ひとり、自分には救えないのだと。

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