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#15-4

那緒が帰宅すると、庭の物干し竿に父が大量の洗濯物を干していた。 陽射し対策だろうか、つばの広い帽子を被っている。那緒の記憶が正しければ、あの帽子は母のものではなかっただろうか。というより見るからにレディースものだ。 「那緒、おかえり!」 息子の帰りに気づき、父はタオルを広げる手を止めて、顔を綻ばせた。小さなえくぼのできる父の笑顔は若々しくて、昔から全然変わっていないような気がする。 「ただいま。……すごい量だね」 「こんなお天気、逃したらもったいないからね。那緒のシーツも洗って、今脱水にかけてるところだよ」 「あ、そうなんだ。ありがと」 作業を再開すると同時に、父は鼻歌を歌い始めた。シャツをハンガーにかけて皺をのばし、バスタオルは一枚一枚ピンチに挟んでいく。リズミカルな動作はまるで踊っているようで、その姿に那緒は懐かしさを覚えた。 そういえば父は昔から洗濯が好きだった。よく晴れた土曜日なんかは朝から洗濯機を三回も回し、シーツやカーテンを風呂場でじゃぶじゃぶ洗って、せっせと干していた。那緒の家の物干し竿は、だからとても長くできている。 「手伝うよ」という言葉は自然に出てきた。玄関先に鞄を置き、父の足下の籠に手を伸ばす。 「この靴下、母さんのかな」 「あ、それは僕のだよ。可愛いでしょ、トラさん柄」 蝶ネクタイをしたトラのイラストが大きく織り込まれている、くるぶし丈の薄手の靴下を、那緒は苦笑いしつつピンチにかけた。そういえば父は可愛らしい動物モチーフのものも好きだった。 青空の下、父と二人で庭に洗濯物を干している。なんだか那緒は不思議な気持ちがした。 まだ那緒の背丈では物干し竿にとても手が届かなかった幼い頃、父に抱き上げてもらいながら「お手伝い」をしたのを覚えている。 いつの間にか身長を追い越してしまった父の、楽しげに口角のあがった顔を盗み見ながら、那緒は過ぎた年月を少し、思った。 リビングの掃き出し窓から、母が「純也くん、脱水終わったよぉ」と顔を出した。那緒の部屋のシーツと思しき、白い布の塊を抱えている。 「あら、那緒。おかえり」 「ただいま。それちょうだい」 湿ってひんやりしたシーツの塊を受け取ると、柔軟材の匂いに包まれた。 「ここに掛けよう」と言って父が竿の高さを調節する。父の手を借りながらシーツを広げ、二つ折りになるように掛けて、大きなピンチで留める。 風にはためく様子はどこかの旗か横断幕のようだ。父はそれを見て満足げにへにゃりと笑っていた。 籠の中身を全て干し終えると、父は掃き出し窓を開け放って敷居のところに腰掛けた。 縁側に座るおじいちゃんみたいだな、と那緒が思ったのを知ってか知らずか、不意に手招きをし、自分の隣を手でぽんと叩く。 ここに座れ、ということだろう。那緒は多少のきまり悪さを感じたものの、断る理由を探すことはしなかった。 幅一メートルほどの、決して広くはないスペースに、父と目線を揃えて座る。 物干し竿、庭の夏草の緑、空の青。きっとありふれた風景だろうが、那緒にとっては、慣れ親しんだ庭の新しい顔を見たような印象だった。 「那緒、大きくなったねえ。身長どのくらいあるの?」 父がのんびりと口を開く。「一七五くらい」と那緒が答えると、羨ましいなあ、と肩を竦めた。 「ママの家系、結構大きいもんね。おじいちゃんも背高かったの、覚えてる?」 父の話し方は、その性格通りにゆったりと優しい。少女のようなところのある母とはまた違った意味で、年齢を感じさせない人だった。 那緒がほんの二週間ほど前まで、自分とは血が繋がっていないのだと思い込んでいた父親。事実を明かされて以降は、それまでと違った意味での気まずさを抱いてしまって、あまりまともに話をしていなかった。 母が実親ではないということのほうがショックが大きそうなものなのに、そちらは案外すんなりと受け入れてしまった自分が那緒は不思議だった。 正確な血縁関係で言うと叔母ということになるのだろうが、十八年間の日々を振り返れば、母は自分の「親」であるとしか言いようがなかった。 父がオメガだと知ったとき、なぜ父に対してはそう思えなかったのか。 一緒に暮らしていない期間が長いからーーという以上に、もっと正確な答えがあるような気がして、しかし那緒にはそれがまだ見つかっていない。 そして、本当のことを知ってからは、父に聞いてみたいこともいろいろあった。そのうちのひとつくらい、今なら聞けるような気がした。 那緒は密かに唾を飲み込み、できるだけさりげなさを装いながら「あのさ」と切り出す。 「俺を産むとき、どうだった」 那緒にとっては勇気の要る質問で、口にしてからも若干の後悔を感じるほどだった。 その言葉を受けた父がしばらくのあいだ何も言わなかったのも、「やっぱりなんでもない」と言って逃げ出したい気持ちに拍車をかけた。 時間にすれば数秒か十数秒ほどだったのだろうが、その沈黙は那緒にはあまりに長くて、押し潰されそうだ。 やがて父が長く大きく息を吐いた。 溜め息にしては朗らかな気配のするそれに、那緒はちらりと横目で父の様子を窺う。父は俯いていたが、笑顔だった。眉をハの字にして、どこか困ったようにも見える笑顔で、 「す……っごい、大変だった!」 そう言うと那緒を見た。夏の太陽にきらきらと反射する湖畔のような瞳が、那緒の視線をしっかりと掴まえた。

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