「父さんの会社の取引先で、鍛治ヶ崎(かじがざき)ってジジイがいて。そいつの長男の息子が円佳と同い年で、アルファだってわかったもんだから、ぜひ婚約者に、みたいなことになったらしいんだ」 相当に薄いであろう麦茶を文句も言わずに啜りながら、光希は話し出した。友春は早速眉を顰める。 「婚約って、まだ七才だろ。お前らってまさか、みんな許嫁とかいんの？」 「さすがにそこまで時代錯誤じゃないよ。そういう話になったのもたまたま。小学校入る直前で、検診の結果が出たとこだったんだ、ちょうど」 この春に小学校に入学した円佳が、就学前のバース性検診でオメガという結果が出ていたことは、友春も宗介から聞いた。確か那緒の家でエンドレス神経衰弱に興じさせられた日だ。あの頃にはすでに婚約の話が出ていたということになる。 「で、宗介がそれ知ってキレた？」 「卒業したらどっかに嫁げって話は、その前からされてたみたいだけどね。まー当然、聞く耳持たずだったけど」 宗介に限ってそんな話を大人しく聞き入れるはずがない。円佳の件を白紙にさせる条件として、自分の縁談を飲んだのだろう。友春は気の遠くなるような思いに駆られて額を押さえた。 「鍛治ヶ崎の次男が、確か三十かそこらで、まだ独身なんだって」 「そいつが宗介の相手にされたわけか」 「父さん的には、鍛治ヶ崎とのパイプさえ太くなれば、別にどっちでもいいからね」 むしろ円佳ルートより、宗介のほうが遥かに手っ取り早いし。言いながら光希は麦茶風味の水を飲み干し、小さくなった氷を口に含んだ。 「その次男がさ、まあ遊びまくってるクソ野郎らしくて。男女問わずあちこち手ぇ出してんだって。それで揉めて、今までいくつかあった縁談、全部白紙になってんだって」 がり、と氷をかじる音。 友春は思う。どうやら宗介に宛てがわれたのはろくでもない相手らしい。それなら何の遠慮もなく宗介奪還にかかれるというものだ。 「……つーかお前、めちゃくちゃ知ってんじゃねえかよ」 大したこと知らない、なんてどの口が言ったのか。呆れ口調で友春が言うと光希はけろっとして答える。 「俺、趣味なんだ、立ち聞き」 「悪趣味この上ねえな」 軽口めいて返しながらも友春は、お互い小学生だった時分、教師との密会を終えて開けた扉の向こうに光希がいた、あの瞬間を思い出して密かにぞっとした。あまり深く考えないことにして話を戻す。 「そいつとの話は結局、どこまで進んでんだよ？」 「まだ宗介とは直接会ってないはず。来月あたり、顔合わせの食事会か何か考えてるみたい。成立前提のお見合い、みたいな」 「向こうからお断りされるって線は？」 友春にとっては何気ない発言だったが、光希は苦虫を噛み潰したような顔になった。 「ゼロじゃないだろうけど……そいつ、最初は結婚ちょっと渋ってたのに、宗介の写真見て手のひら返したらしい」 なるほど、少なくとも見た目はストライクゾーンのようだ。聞いた限り、中身を重視するタイプとも思えない。 「とりあえずその顔合わせブチ壊すか」 友春の物騒な物言いに、光希は腕を組んで首を捻った。 「それで解決になるとは思えないんだよね。鍛治ヶ崎のジジイ怒らせて関係決裂、とかになったら、さすがに父さんキレると思うし。宗介どうされるかわかんないよ」 「なら宗介がお断りされるように仕向けるか？　でもそれじゃ、円佳ちゃんの話が戻ってくるだけだろ、きっと」 「うん。ジジイ、そっちもまだ微妙に諦めてないっぽいから」 「円満に破談、かつ円佳ちゃんの件も白紙にさせる……って、難しいぞこれ」 友春は脚を組み直しながら唸る。 宗介だけならもっと話は楽だろうが、円佳を守れなければ意味がないのだ。予想以上に難儀なミッションに思えた。 そのとき、友春のスマートフォンがポケットの中で振動した。取り出してちらりと通知を確認した友春は、僅かに瞠目してから画面をタップする。 数秒ののち、皮肉げな笑みと共に呟きを零した。 「三人寄れば文殊の知恵、とは言うけど……役に立つかな、こいつ」 「え？」 「ま。いないよりマシか」 「何、どうしたの友春くん」 身を乗り出してくる光希にスマートフォンの画面を見せる。そこにはアプリで受信したばかりのメッセージが表示されていた。 『宗ちゃんのこと、やっぱり何とかしたい。手伝ってくれない？』