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#16-5
三日後の昼過ぎ、那緒は自宅に友春と光希を迎え入れた。久々に来訪した友春と、十年ほど前に一度か二度会って以来の光希に、母が一頻りはしゃぐ。
「光希くん? 宗ちゃんの弟の? やだ、あんなに小さかったのに! うちでスイカ食べたの覚えてる? やだぁ、大きくなっちゃって!」
こんな調子だ。見るからによそ行きの笑顔を張り付けた光希の様子に、那緒は申し訳ないような恥ずかしいような気持ちになった。
母の猛追から逃げきり、三人はようやく那緒の部屋へ入る。
部屋の主ではなく友春がベッドの上に陣取って座ることには、もはや那緒も疑問を抱かない。那緒はデスクチェア、光希は床のラグの上に、それぞれ向かい合って座った。
「さてと。光希、何かわかったかよ」
議長然とした態度で友春が口を開くと、光希は頷いて答えた。
「相手の男は鍛治ヶ崎秀二 って名前。今はグループ会社の役員やってて、ゆくゆくはそこを継ぐらしいね。三十歳、アルファ、K大卒、趣味はフットサルとスノボ」
「趣味とかどうでもいいんだよアホ」
「まあ、チャラいことは伝わったかな……」
友春の舌打ちと那緒の苦笑をよそに、光希は那緒の母お手製のクッキーに手を伸ばす。さくさく音を立てて咀嚼し「あ、美味しい」と呟く様子は、宗介よりむしろ友春に通じるマイペースさがあるな、と那緒は胸の内だけで思った。
「宗介の夏休み中に顔合わせ済ませようってことで、今スケジュール調整中みたい。決まればすぐわかると思う」
「じゃあ遅くても一ヶ月以内ってことか」
「あんまり時間ないね」
「あんまり、じゃないよ、ナオくん。来週になるかもしれないし、明日かもしれない。様子見てる暇ないよ」
真剣な表情で言い放つ光希に気圧され、那緒は頬をひきつらせた。反対に友春はにやりと口を歪める。
「ヤる気満々じゃん。いいね」
満足げに言いながら、勝手に窓を細く開けた。エアコンで冷やされた部屋に、僅かに熱風が入ってくる。煙草の箱とライターを取り出す姿に、那緒はあれ、と思う。
「トモ、禁煙は」
「五日は保ったよ」
「あ、そう……」
「え! 友春くんって煙草喫うの!?」
素っ頓狂な声をあげた光希を一瞥しつつ、友春は取り出した煙草を口にくわえた。
「でかい声出すな。ナオママに聞こえんだろ」
「つーか俺の部屋で喫うなってば……」
ライターをかちかち鳴らす友春から、距離をとるように光希が後ずさる。ラグの敷かれていない壁際までずりずりと移動し、露わになったフローリングの上に体育座りになった。
「何してんの」
「俺、ダメなんだ、煙……」
「へえ、いいこと知った。これからお前避けに使うわ」
光希のことは一寸たりとも意に介さず、友春は悠々と煙を吐き出した。窓の外に向けるだけの良心が友春に残っていたことに那緒が安堵したのは秘密である。
「で、どうする。やっぱり相手の男脅すのが一番カタいと俺は思うんだけど」
「脅すって言ってもさ、ネタがないじゃん、ネタが」
「んなもん作りゃいいんだよ。痴漢冤罪とか」
「えー、うまくいくかなあ……」
不安げな那緒に友春は「ぐじぐじ言ってねえでお前も考えろ」と睨みをきかせた。
「ええと、宗ちゃん拉致して、返してほしくばこの縁談を白紙にしろ……とか?」
「それ、仮に成功したとしても、その場だけだろ。また同じことになるに決まってる」
「そうなんだよね。延期じゃ意味ないんだ、根本的にどうにかしないと」
うーん、と各々頭を捻る。窓の外から蝉の声だけがしばらくのあいだ聞こえていた。
やがて煙草を一本喫い終えた友春が、携帯灰皿を開きながら溜め息混じりに言った。
「最終手段はあれだよな」
なになに、と身を乗り出す那緒と光希。
「光希が宗介の身代わりになってそいつと結婚」
「い……イヤだよ! 何言ってんの友春くん!」
「これなら全部キレイに解決だろ。身を挺してお兄ちゃんと妹守れよ」
「無理無理! 違う手考えよ!?」
慌てふためく光希に那緒は宥めるような失笑を向けるが、冗談とは言い切れないのが友春の恐ろしいところだ、とこっそり思っていた。
勘弁してよ、とぼやきながら膝を抱え直した光希が、ふと何かに気づいたように「あ」と声を漏らす。ジーンズの尻ポケットに手を伸ばし、スマートフォンを取り出すと片手で操作し始めた。
「忘れてた。これ、相手の男の写真」
一枚の画像を表示して那緒たちに画面を向ける。
居酒屋かどこかで撮影されたものだろう。こざっぱりとしたワイシャツ姿で、ビールジョッキ片手に白い歯を見せて笑う男の姿が映し出されていた。
紙面の写真をカメラで撮影したものらしく、鮮明さにはいまひとつ欠けるが、風貌を見て取るには十分だ。
「……割とイケメンだね」
「まあ、この見た目で金まで持ってたら、そりゃ遊び放題だよねえ」
「あ、やべえ、すっげームカついてきた……こんな奴に宗ちゃんとられんのマジで嫌だ……」
「ナオくんの志気上がるポイントうけるんだけど」
那緒と光希が言い合う中、友春が「貸せ」と言ってひょいとスマートフォンを取り上げた。
眉根を寄せ、訝るような顔で、画面にじっと視線を落とす。
「……名前、何つった?」
「鍛治ヶ崎秀二」
「あー……」
呻くような声を漏らしながら、粗雑な仕草で自分の髪をくしゃりと掻きあげた。画面を見つめて伏せ気味の睫毛が二、三度瞬く。
「俺、持ってるわ」
「え?」
「こいつ脅すネタ」
何事かと見つめていた二人にそう言うと、友春は軽く肩を竦めて「ははっ」と短く笑った。
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