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#17-2

数日前、那緒の部屋に場面は戻る。 友春は光希の喚く声を聞き流しながら、件の男ーーシュウジこと鍛治ヶ崎秀二へ送るメッセージ文面を作成中であった。 「嫌だ! 何で!? もう既成事実はあるんだからさ、また会う必要ないじゃん!」 「だァから、こういうのは物的証拠が重要なんだよ」 那緒のベッドに堂々と寝そべりスマートフォンと見つめあう友春に、光希はほとんど追い縋るような格好だった。その形相は必死そのもので、同じ室内にいるはずの那緒は、どこか遠くの出来事のようにそのやりとりを眺めていた。 「じゃあさ、ちょっとだけ会って、一緒にいるとこの写真だけ撮ったらよくない!? ホテルまで行く必要ある!?」 「音声も録んだよ。証拠は多いほうがいいだろうが」 「やだやだ! 絶対やだ! やだよおお」 「こいつマジうるっせえぇ……」 辟易しきった声をあげつつも友春はスマートフォンの画面から目を離さない。 やがて「ハイ送信」とリズムをつけて言いながら軽快にタップする指。光希は泣き声と共にベッドに突っ伏してしまった。反対に友春は起き上がり、だいぶ氷の溶けたアイスティーに手を伸ばす。 「つーか、なんかサラッとカミングアウトされたんだけど……トモってそっちだったんだ」 那緒は些か躊躇いながらも言った。何せ、友春が写真の男を「セフレ」とあっさり言い放った衝撃から、まだ十分も経過していないのである。 光希があまりに喚くので、那緒はその驚愕を表すタイミングを奪われたのだが、このまま触れずに流すのはさすがに難しかった。 「サラッとしちゃったな。そうだよ。別に宗介抱きたいとか思ってないから安心しろ」 「だッ……、お、おう……」 クッキーを摘みあげながら、友春は平然としている。動揺している自分が恥ずかしいような気分になって、那緒は目を泳がせた。 ベッドに突っ伏して泣いていた光希の声が、次第に呻くようなものへと変わり、ついに静かになる。その肩のあたりを友春が「おい」と雑に叩いた。 「この俺が身体張ってやるっつってんだ、有り難がれよ」 数秒ののち少しだけ顔を上げた光希は、昏い目をしてひとつ鼻を啜ると、 「……もういい、やっぱり宗介なんかどうでもいい、作戦中止」 この世の終わりのような声でそう言って、友春に「アホ」と頭をはたかれた。 そして友春が男と取り付けた約束の当日。 待ち合わせ場所のファストフード店の中、那緒は一人、友春とは離れた席で待機していた。 平日の夕方、食事時ではないが、店内は比較的混みあっている。 光希は邪魔になる可能性が高いため役割を外された。どちらにせよ本人も嫌がっただろう、思いを寄せる相手がほかの男とホテルに入る現場を写真に収める係なんて。 「お前一人に任せんのマジで不安だけど、これしかねえからな。しっかりやれよポンコツ」 散々言い含められ、那緒は陸上の大会前に似たプレッシャーを感じていたものの、失敗は許されない。友春のほうが遙かに大きいリスクを負っているのだ。 店の出入り口と、友春のいる席、両方を監視できる位置に陣取り、那緒は緊張して待っていた。 烏龍茶を啜りながら(味はよくわからない)、落ち着かずにちらちらと友春の様子を伺う。友春は百円のコーヒーに一切口をつけないまま、マスクも外さずに座ってぼんやりとスマートフォンをいじっていた。 約束の時間ぴったりに、男は出入り口にその姿を現した。那緒は身を固くする。 写真で見たよりも精悍な印象の男は、すぐに友春を見つけ足早に店内を横切っていく。向かいの椅子に腰掛けると、にこやかに何事か話しかけながら、冷めているであろう手つかずのコーヒーを二口ほど飲み下ろした。 二人が席を立つのを見て、那緒ははっと我に返る。出入り口そばのトラッシュボックスに紙のカップを捨てる男。その一歩後ろに友春がいて、店を出る間際、一瞬だけ視線を那緒のほうに投げかけてきた。 しっかりやれよポンコツ、と聞こえた気がした。 心臓を跳ねさせながら、プラスチックのカップを手に立ち上がる。

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