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#18-2

後部座席に座った宗介は、母に言われて嫌々ながらシートベルトを締めた。昔からこれが嫌いだ。母の運転する車に乗るなんていつぶりだろうかと考えても、思い出せないほど遥か昔のことだった。 「今はいいけど、着いたらちゃんと留めろよ、ボタン」 運転席の母が振り向いて襟元をちょい、と指で示す。 母はスーツだが、宗介は制服を着ていた。 学生にとっては制服がフォーマルウェアに該当するとは知っているが、庇護者であることの証明のようなそれは、こんな日にも相応しいと言えるのだろうか。宗介には疑問だった。 「……一番上まで?」 「一番上はいいよ、閉めたらダセエから。でも二番目はダメ。あとシャツの裾も入れろ」 言いながら母はサングラスをかけ、アクセルを踏んだ。滑るように発進するマセラティ・ギブリの車内で、宗介は座った位置を少し横にずれた。母とバックミラー越しに目が合ってしまいそうだったから。 マンションの駐車場を出ると、強い陽射しが車内に差し込んだ。窓の外に視線を向けていた宗介は目を細める。 朝からほとんど水しか入れていない胃袋に、唸り声のようなエンジン音がいやに響いて、宗介は吐き気をもよおしそうになった。 「なんで急に場所変わったんだ?」 「ああ、それなぁ」 気を紛らわせるため尋ねてみると、母は喉奥をくつくつ鳴らして意地悪げに笑う。 「純度百パーセント、圭介のワガママだよ」 「親父の?」 「ホテルRの会場がさ、最上階でガラス張りだったんだ」 あんな部屋に入ったらあいつ、チビっちまう。そう母は愉快そうに言った。 数年前に母が教えてくれた、父の弱点。当初の予定通りの会場で行われていたなら、高所恐怖症の父が慌てふためく姿を見て、少しは溜飲が下がったかもしれない。そう思って宗介は深く息を吐いた。 「前にも言ったけど」 軽快に車を走らせながら母が言う。 「嫌だったら断っていいんだからな」 のんびりとした口調なのは、わざとそうしているのだろう。宗介は視線を母へと移した。前方を見つめたまま運転中の表情は見えない。 「相手、かなり素行が悪いらしいから。聞いただろ?」 「……素行が悪いのはこっちもだろ」 「バカ。全然、違うよ」 宗介の投げやりな自虐を母はきっぱりと否定した。むずむずと居心地の悪いような気分になって、宗介はローファーの爪先を擦り合わせる。 「円佳のことだって、おっさん同士が勝手に盛り上がってるだけでさ。おかしな方向に進むようなら、ちゃんと俺がなんとかするから。お前がなんでもかんでも背負いこもうとしなくていいんだぞ」 母の言葉が右折のウィンカーの規則正しい音に重なる。 反論する気はなかったが、適当な相槌でやり過ごす気にもなれなかったから、宗介は黙っていた。 母が何を言ったって、父の考え方はきっと変わらない。父は子供の進む道を舗装してやることこそが親の務めだと信じ込んでいて、そして、子供を人間だと思っていない。本人に自覚はないだろうが。 ーーだから、俺があいつの失敗作になればいい。 あいつに整えられた道を進んで、どこまでも不幸になればいい。 そう思っていることは、母には言えない。泣かれそうで。 だから宗介は黙ったまま、頭を少し後ろに倒して、シートに深く凭れる。 窓の向こうに広がった抜けるような青空に、網膜が焼かれる気がして、少しのあいだ目を閉じた。

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