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#18-4

物音を辿ると父の書斎に着いた。軽くノックしてから、意を決してドアを開ける。大きな本棚にはたきをかけていた葉山が振り向いた。 「光希さん。どうしましたか?」 眼鏡の奥の瞳は穏やかで、いつも通りの彼だった。光希は室内へ踏み込んでドアを閉め、なんでもないふうを装いながら葉山に尋ねる。 「宗介たち、もう出たの」 「ええ、たった今ほど。大切な日ですからね」 「ホテルRでしょ?」 「ああ、いえ、それは……」 返事をしかけた葉山は、すんでのところで口を噤んだ。ほんの僅かに眉を顰め、顎を引く。 「……どうして知ってるんです」 彼の言いかけた言葉だけで、状況を察するには十分だった。「場所が変わったの?」光希は臆することなく問いかける。 「どこになったの。教えて」 表情を訝るようなものに変えた葉山が、静かに目を光らせた。 「何か企んでるんですか、光希さん」 「……教えてよ。お願い」 「言いません」 決して強い口調ではないが、こういうときの葉山は頑として折れないことを光希は知っていた。葉山は雇い主である父に従順だ。穏和な人柄だが、父の意向に沿わないことに対しては厳しい。 それを知っているからこそ、光希は、すぐに諦めた。 それ以上、彼に対して粘る代わりに。 ずっと隠し持っていた、できれば今後も使わずに済ませたかったカードを切ることにした。 ごく、と唾を飲み込む。 「葉山さん。俺ね……葉山さんのこと嫌いじゃなかったよ。優しいし物知りだし。でもね、昔、宗介が言ってたんだ。あんたのこと、なんでかわかんないけどなんか嫌だ、って」 深く息を吸ってから話し始めた光希に、葉山は表情を険しくする。 「宗介ってさ、意外と人を見る目はあるんだよ。小学校のときね、俺の担任の先生をすっごく嫌っててさ。俺はいい先生だと思ってたんだけど、実はそいつ、小学生に手ぇ出してたショタコンクソ野郎だったんだ。それ知ってから、宗介のそういうのは信じることにしたんだ、俺」 「……光希さん」 「だからね、ずっと、勘違いか、何かの間違いだって、思おうとしてたんだけど。たぶん、勘違いじゃないんだよね。あれはやっぱり、そういうことだったんだ」 途中、葉山が何事か言って遮ろうとしたが、光希は無視した。声が震えそうになるのを、拳をきつく握りしめてこらえる。 ぐっと目元に力を入れて、心なしか白くなった葉山の顔を見据えた。 「葉山さん、俺のこと……と、盗撮、してたよね、小さい頃」 葉山は露骨に狼狽の色を見せた。構わず続ける。 「俺、見ちゃったんだ、昔。あんたの鞄の中に、写真と……お……俺のっ、ぱ」 「()()()(てい)です!」 絞りだそうとする言葉に、耐えきれなかったのは葉山のほうだった。力ない声で「A区の、美巴志亭です」と繰り返してから、その場にへたりと膝をついた。 項垂れて朧気に床を見つめ、血の気の失せた顔で呟く。 「ご……後生ですから、旦那様と奥様には……」 弱々しい訴えに、光希は唇を噛みしめた。 「……言うか言わないかは、これから考えるよ」 そう言い残して踵を返す。重く感じるドアを開け、室内に葉山ひとりを残して廊下に出た。 大股で玄関まで歩いていき、靴箱から靴を取り出す。スニーカーに足を突っ込み、紐を結ぶため座りこんで。 その手を止めた。 噛んだ奥歯をぎり、と鳴らし、弾みをつけて立ち上がる。 今しがた通ってきた廊下を、ほとんど駆けるようにして戻り、そのままの勢いで書斎のドアを押した。先ほどと同じ位置に、同じ姿勢で佇んでいた葉山が、青ざめた顔を上げる。 肺に大きく息を吸い込んで。 光希は叫んだ。 「大人なんてみんなクソだっ、ばか! ばぁーか!!」 ばたんっ、と力まかせに閉めるドア。普段は極力足音をたてないように歩く光希が、どたどたとうるさく玄関まで走り、行儀悪くスニーカーの踵を潰したまま外へ飛び出した。 叫んだ喉と目頭が熱い。 なぜか視界が滲んだ。 手の甲で乱暴にごしごし擦ってから、友春にコールするべくポケットへと手を伸ばす。

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