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#19-2

嘘のように行列の消えた車道の横をしばらく走ってから、スマートフォンを取り出してマップを確認し、道路を渡って右側の路地に入る。 ここからは住宅地に入っていくから、注意しなければ迷ってしまいそうだった。 慣れない長距離ランニングに息は上がっているが、そのお陰で精神的な息苦しさは忘れていられた。 握ったペットボトルの中身を少量ずつ減らしていきながら、先程までの国道とは違い、細く入り組んだ道を進む。マップではこのあたりだ、と思った直後、左前方の視界が突然開けた。 那緒は足を止める。はあはあと荒い呼吸をしながら注視する。 立ち並ぶ民家の狭間に現れた、大きな平屋の建物。周囲よりも高さがないから、ぽっかりと空が見えていた。手前にはさほど広くない駐車スペースがあって、高そうな車が三台停められている。 門の脇に立てられた控えめな看板に、「美巴志亭」の文字。 ーー着いた。 どくどくと大きく脈打っている心臓が、一際跳ねた気がした。 ドリンクを飲み干し、止めどなく流れる汗を手の甲で拭いながら、上半身を折って呼吸を休めた。 後先考えず走り出した那緒は、もちろんタオルも何も持っていない。ふと気づけば、流れ落ちたり振り払ったりした汗が、足下のコンクリートに点々と黒い染みをつくっていた。 友春はもちろん、光希もまだ着いていないらしかった。 十一時はとうに過ぎているから、宗介たちは中で食事会の真っ最中だろう。 ぐるりと塀で囲まれていて、中の様子は全くわからないが、門はオープンな造りだ。そこに近づき、ひょっこりと覗きこんでみた。 門から建物の玄関までは敷石が真っ直ぐに並べられている。左手には竹が植えられ、右手には庭園が広がっていた。玄関は閉ざされており、誰もいない。静まりかえっている。 貸切なのか予約のみの営業なのか、とにかく敷居の高そうなことだけは明らかだった。 人の気配がないのをいいことに、那緒は恐る恐るながら、門の内側へと足を踏み入れてみる。 そこだけ違う世界のような深い緑の庭園だった。 モミジの木が連なっていて、秋になれば美しい紅葉が見られるのだろう。小さな池の畔には石灯籠、大小さまざまで遊び心のある飛び石に、青々と湿った苔石。 全身の血も筋肉も熱せられた今の那緒には、その空間の涼やかさは心地よいものだった。強い陽射しを避けて、モミジの陰にそっと入り込んだ、そのときだった。 奥のほうから複数の人間の笑い声が聞こえてきた。 酒が入っていると思しき豪快な男性の声に、女性の甲高い声もする。那緒は反射的に身を縮め、その方向に耳を澄ませた。 庭の奥に小さな離れがあり、地味な色の着物姿の女性が一人、ちょうどそこから出てきたのが見えた。渡り廊下を急ぎ足で母屋へと戻っていく。 恐らく料理を運ぶ従業員だろうと那緒は考える。 とすれば、その離れの中には客がいるということになる。今しがたの声はそこから聞こえたに違いなかった。 女性の姿が完全に見えなくなるのを待って、那緒はできる限り身を屈めたまま、岩や木の陰を縫うようにしてそこへ近づいていく。

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